2019年1月

悔い改めて信じること

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。」 (マタイ6:24)  聖書は単に「信じなさい」とは教えていません。正確な言い方をするならば「悔い […]

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ただ主に仕えよ

「イエスは言われた。『退け、サタン。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と書いてある。』 そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。」(マタイ4:10−11)  洗礼を受けた後、イエスさまは […]

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渇きを癒すイエスさま

「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」(ヨハネ7:37)  人間は、神に創られたがゆえに、神を離れては本当の意味での満足と平安をいただくことはできないと聖書は教えます。創世記にはまさに、その事が出て […]

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嵐の中での信頼

「5羽の雀が2アサリオンで売られているではないか。だが、その1羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも1本残らず数えられている。 恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかに […]

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必要を満たしてくださるお方

「彼らは、荒れ野で迷い、砂漠で人の住む町への道を見失った。飢え、渇き、魂は衰え果てた。苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らの苦しみから救ってくださった。 主はまっすぐな道に彼らを導き、人の住む町に向かわせてくださ […]

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神に赦された者として生きる

「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。」(ルカ6:29)  名説教者として知られている渡辺善太牧師が語った話です。  あるヤクザが神さまを信じ、本気になって […]

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イエスは誰?

「『この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。』ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。 そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担 […]

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ピスガの頂に立つ経験

「モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。」(申命記34:1)  聖書は、モーセが、本当に恵まれた最期を迎えたことを伝えています […]

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ザアカイを変えたイエスさまとの出会い

「イエスは言われた。『今日、救いがこの家を訪れた。』」(ルカ19:9)  エリコという町にザアカイという徴税人がいました。彼は生まれながらに背が低く、それがコンプレックスとなっていました。〈いつかみんなを見返してやる!〉 […]

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福音のバトンを持って走り抜こう!

「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、 自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であ […]

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