2023年1月

「その子を私のところに連れて来なさい」

「その子を私のところに連れて来なさい。」(マルコ9:19)  主イエスが、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登りました。そこでお姿が変わり、天から降って来たモーセとエリヤの二人と交わりの時を過ごされました。 そうした […]

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祈り―神と共にいる経験

「あなたの庭で過ごす一日は/私の選んだ千日にもまさる。/神の家の戸口に立つことは/悪の天幕に住まうにもまさる。」(詩編84:11)  神学校の恩師が詩編研究のクラスで「詩編信仰の極みは神とのロマンスにある」と語った言葉を […]

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この日を楽しみ喜ぼう

「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。」(詩篇118:24 新改訳聖書)  昔よく、家族そろって横浜に行きました。共に食事をし、買物をし、散歩し、たわいもないおしゃべりをし、記念に何枚も写真を撮りました […]

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誰が隣人になったか

「誰が…隣人になったと思うか」(ルカ10:36)  ある時、律法の専門家がイエスさまに「私の隣人とは誰ですか」と訊ねました。それを受けたイエスさまは有名な「善きサマリヤ人の譬え」のお話をされたのです。 エリコ街道で追いは […]

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信じ、待ち、期待する神

「園丁は答えた。『ご主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。もし来年実を結べばよし、それで駄目なら、切り倒してください。』」(ルカ13:8−9)  ある時、イエスさまは、私たち […]

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隠れたことを見ておられる神

「あなたの断食を人に見られることなく、隠れた所におられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」(マタイ6:18)  牧師をしていてつくづく思うのですが、目 […]

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この世の基準と神の国の基準

「弟子たちの間で、自分たちのうち誰がいちばん偉いかという議論が起きた。イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子どもを引き寄せ、ご自分のそばに立たせて、言われた。『私の名のために、この子どもを受け入れる者は、私を受け入れるの […]

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キリストの愛にどっぷりつかって

「ですから、主の囚人である私は、あなたがたに勧めます。招かれたあなたがたは、その招きにふさわしく歩み」(エフェソ4:1)  パウロは、自らを「主の囚人」と呼びます。実際、この手紙を書いていた時の彼は、ローマで幽閉生活を強 […]

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イエスを見つめながら

「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」(ヘブライ12:2、新共同訳)  今日は高座教会の創立記念日です。76年前の今日、最初の主の日の礼拝が捧げられました。それから今に至るまで数多くの信徒が起こされ、今も […]

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イエスというお方

「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『私は望む。清くなれ』と言われると、たちまち規定の病は去った。」(ルカ5:13)  ある日、イエスさまのところに「規定の病」を患った人がやってきました。 当時のユダヤ社会では、人がこ […]

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