高座教会の沿革
クレメンスホール時代(1946年~1963年)
1946年 | 一冊の英文聖書が与えられ、教会設立の思いが起こされる 吉﨑忠雄牧師が着任 最初のクリスマス(中央林間の鷲沢宅) |
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1947年 | 1月19日に最初の聖日礼拝(中央林間の爾見宅) 正式名称を「日本基督教団高座コムミュニティ教会」とする 最初のイースター(鷲沢宅) 日曜学校(のちの教会学校)が始まる 南林間に教会堂建設用地を購入 賀川豊彦師を招いて特別伝道集会を開催 |
1948年 | 第1回洗礼式と最初の聖餐式 青年会「テモテ会」が発足 クリスマス讃美礼拝が始まる |
1949年 | 宗教法人となり、「日本基督教団高座教会」と改称 「みどり幼稚園」を開設し、保育を開始 最初の教会堂クレメンスホール が完成し、献堂式を行なう |
1950年 | 第1回教会会議を開催 みどり幼稚園の第1回卒園式 日本基督教団を離脱、「カンバーランド長老教会」に加入し、「カムバーランド長老高座基督教会」に改称 |
1951年 | 公所に日曜学校の分校を開設 テモテ会による最初の修養会(箱根仙石原) 横浜市希望が丘で家庭集会が始まる(石橋宅) 大和幼稚園で特別伝道集会を開催 「婦人会」が発足 |
1952年 | 日曜学校を「教会学校」に改称 中学生の会「小羊会」が発足 |
1953年 | 初代宣教師トマス・フォレスター師が来日 希望が丘に教会学校の分校を開設 クレメンスホールを増築 |
1954年 | 新しい礼拝堂建設計画が決定し、特別献金が始まる 上草柳と諏訪神社に教会学校の分校を開設 |
1955年 | 秦野市渋沢で家庭集会が始まる 高校生の会「一粒会」が発足 |
1956年 | 創立10周年、カンバーランド長老教会加入6周年、特別感謝礼拝を行なう 「教会標語」の使用開始 カンバーランド長老教会の総会(GA)に吉﨑牧師を派遣 フォレスター師一家が南林間の宣教師館に転居 |
1957年 | 吉﨑牧師が退任、生島陸伸神学生が伝道師に任職 吉﨑牧師が就任した渋沢教会の設立礼拝 スタンレー・ジョーンズ師を招いて特別伝道集会を開催 |
1958年 | 新しい礼拝堂建設のための一円献金運動が始まる 生島伝道師が牧師に就任 |
1959年 | 佐々木三雄一家がブラジルへ移住 |
1960年 | 教会の年度を1月~12月に変更 |
1961年 | 第二代宣教師トルバート・ディル師が来日 「高座カムバーランド長老基督教会」と改称 朝山正治神学生、希望が丘伝道所へ(→5月に国立のぞみ伝道所へ) |
1962年 | 婦人会による最初の修養会 みどり幼稚園の組会で聖書勉強会が始まる |
1963年 | 教会総会で新しい礼拝堂の建設を決議 婦人会が「ナオミ会」、若婦人会が「ルツ会」となる 敬愛寮の訪問と奉仕が始まる |
エルサレム館時代(1964年~1981年)
1964年 | 新しい礼拝堂建設のための克己献金が始まり、外部に対し募金の協力を呼びかける 第三代宣教師メルベン・スタット師が来日 二代目礼拝堂(のちのエルサレム館)が完成し、献堂式、クリスマス礼拝、燭火礼拝を行なう フォレスター師帰国 |
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1965年 | 「礼拝堂完成祝賀特別礼拝」を行なう 早天祈祷会と夕拝(夕方の祈祷会)が始まる カンバーランド合同礼拝行なわれる(高座、渋沢、希望が丘、国立、東小金井) |
1966年 | みどり幼稚園の保護者に、毎月1回の聖日礼拝と聖書勉強会への出席を義務づける 創立20周年、感謝特別礼拝、特別伝道集会を行ない、記念誌『カンバーランド長老高座基督教会20年の歩み』刊行 ディル宣教師帰国 |
1967年 | ボーイスカウトとガールスカウトが発団 宣教師、スタット師に交替 |
1968年 | 機関紙としての『パンくず』を創刊 大久保和子神学生が牧師助手に就任 ボーイスカウトのPR映画「少年よ太陽のように」の製作に協力し、教会隊のスカウトも出演 |
1969年 | 「ベテル聖書勉強会」が始まる 中学科の礼拝「ジュニアチャーチ」が始まる 「ショップ」が全焼 |
1970年 | みどり幼稚園の二代目園舎が完成 役員会を長老会と執事会に分ける 柳瀬仲司師が教区牧師、高座教会協力牧師に就任 |
1971年 | 瀬底正義神学生が伝道師として任職し、希望が丘教会へ 「アガペ授産所」(のちの「障害者総合福祉施設アガペセンター」)の奉仕が始まる 二代目オルガンに「クロダトーン」導入 スタンレー・ジョーンズ師が信徒研修会の講師として再訪 |
1972年 | 「訪問伝道」と「祈りのチーム」づくりが始まる 濵崎孝神学生が伝道師に任職。翌年、協力牧師に就任 みどり幼稚園の日曜保育が始まる 「ゆりかご」(妊婦と出産婦のための小冊子)発刊 喜寿会の週報折り奉仕始まる クリスマス讃美礼拝を2回に分けて行なう |
1973年 | 二代目牧師館が完成 「ベルの会」発足、「ベル・ニュース」配布開始 各会で特伝を行う ブラジルの佐々木三雄が長老の按手を受ける |
1974年 | ペンテコステ伝道集会とクリスマス讃美礼拝を大和学園体育館で行なう オフセット印刷機を導入し、『パンくず』等を印刷 図書販売が始まる 礼拝堂の化粧室を献納 「長期構想委員会」を設置 |
1975年 | 聖日礼拝が2回(9時・11時)となる 「壮年会」が発足 濵崎牧師辞任 受洗者の証しが文書の形式になる(これまでは礼拝の中) 献堂献金を始める |
1976年 | 「地区担当長老制」が始まる 「教育月間」が始まる 町田公次が初代教会主事に就任 「ピリポ館」が完成 教会音楽の夕べが開かれる(以降継続) |
1977年 | 聖日礼拝が3回(9時・10時30分・12時)に みどり幼稚園が学校法人となり、「高座学園高座みどり幼稚園」に改称 創立30周年、記念礼拝で「30周年記念宣言」「大礼拝堂建設宣言」、記念修養会を行ない、記念誌『ただキリストの導きの中で』刊行 「エマオ館」が完成 宗教法人規則を変更し、「カンバーランド長老キリスト教会高座教会」と改称、また「日本教区」は「日本中会」と改称 ボーイスカウト・ガールスカウト発団10周年 |
1978年 | 「成人教育」が始まる 石塚惠司神学生が伝道師に任職 「心と心の伝道」講習会を開催 礼拝後の昼食奉仕が始まる 「ナザレ児童図書館」を開設 クリスマス讃美礼拝を教会の庭で行なう |
1979年 | 大久保和子牧師助手退職 家庭クリスマス礼拝を行なう(テープ利用。賛美礼拝は大和学園で) 「地域子どもクリスマス」が始まる |
1980年 | ブラジルから佐々木長老夫妻が来日、報告と証しを行ない、「海外伝道部ブラジル集会」となる 石塚伝道師が牧師に就任 「訪伝'80」を行なう クリスマス賛美礼拝を礼拝堂で地区別に行う |
1981年 | 受難週祈祷会を1日4回持つ 福音歌手胡美芳を招いて「老人伝道集会」を開催 仮礼拝堂が完成し、クリスマス聖日礼拝とクリスマス讃美礼拝を行ない、翌年1月に献堂式 公所でラミークラブ始まる |
新礼拝堂(1982年~2013年)
1982年 | 羽鳥明師を招いて「献堂記念大伝道集会」を開催 成人教育「4・5集中講座」が始まる 教会の庭で献血を行う(91年まで継続) 「子ども祝福式」(のちの「成長感謝礼拝」)が始まる |
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1983年 | 「すばらしい分かちあいのとき」が始まる 「教会音楽の夕べ」鈴木雅明によるチェンバロ演奏と証しの会を開催 クリスマス賛美礼拝での自由献金を社会福祉協議会へ献金(以降、継続) |
1984年 | 教会学校の公所分校開校 月報「地の塩」創刊 生島牧師がブラジルを訪問 故紙回収を始める(95年まで継続) |
1985年 | 阿部恵神学生が伝道師として任職(86年に牧師に) 在日カンボジア人福音集会が始まる |
1986年 | 靖国神社公式参拝反対声明を出す 教会友愛セールを行なう ブラジル集会を「12地区」とし、石塚牧師が一家とともにブラジルへ赴任(90年に帰国) 病床訪問(89年から「シャローム」)始まる |
1987年 | 古畑和彦神学生、松本雅弘神学生が伝道師として任職(88年に牧師に) 教会祈祷会が始まる(火曜日午前、水曜日夜→火曜日は95年まで) 召天者記念礼拝が行なわれる(以後、継続) 創立40周年、記念礼拝(ペンテコステ)、記念特伝を行なう ボーイスカウト・ガールスカウト発団20周年 教会園遊会を行なう(90年まで) |
1988年 | 「5つのパンと2匹の魚」(婦人求道者のための祈りとフォローの働き)できる 「いこいのへや」(高齢者を中心とした交わり)が始まる |
1989年 | 阿部牧師ブラジルへ(94年に帰国) 日系ブラジル人集会が始まる 「総会検討委員会」を設置 母と子の会「たんぽぽ」が始まる |
1990年 | 柳沢美登里姉がバングラデシュへ 矢野文伝中会教職志願者、富士峰山伝道所へ(92年に伝道師任職) |
1991年 | 女性長老についての勉強会を行なう 中会から譲渡(79年)された土地の登記が完了する 壮年会の求道者会「ときの会」できる |
1992年 | 宗教法人規則と選挙要綱を改訂 公所で大人の礼拝を始める 「敬老の日感謝の祝い」(のちの「敬老感謝礼拝」)が始まる |
1993年 | 丹羽義正神学生が伝道師として任職(94年に牧師に) 教会憲法にもとづく教会員総会となり、長老・執事各18名を選出(初めての女性長老誕生) 「委員会制度」が始まる 石塚牧師、アメリカで研修 |
1994年 | 古畑牧師が退職し、独立する田園キリスト伝道所へ。教会員25名が移籍 「礼拝堂検討委員会」を設置 海老名集会で聖日礼拝開始 生島牧師が定年退職し、海老名の伝道所へ。教会員59名が移籍 「共同牧会」が始まる |
1995年 | 公同礼拝の名称を「主日共同の礼拝」とし、礼拝順序を変更 新共同訳聖書を採択 阿部牧師が辞任 「高座教会活動基本理念」をまとめる ブラジル12地区が宗教法人となる スチュワードシップバザーが行なわれる(以後、継続) 高座教会・ブラジル人集会・カンボジア人集会の合同礼拝を行なう(以後、継続) |
1996年 | ゆりかご会(幼い子を持つクリスチャンの親の会)できる 「執事グループ」を「執事会」に改称 ブラジル12地区で礼拝堂を献堂 「信徒宣教者」制度が始まる |
1997年 | 委員会制度を一部改訂、長老に牧会担当ができる 創立50周年、記念礼拝、記念コンサート、記念特伝を行なう 記念誌『キリストのみわざをほめたたえる』を刊行 居垣裕芳中会神学生が伝道師に任職 松本牧師、メンフィス神学校で研修 佐々木長老夫妻を招待し、ブラジルの報告・証しをうかがい、交わりのときを持つ 教育観「ヨベル館」が完成 ボーイスカウト・ガールスカウト30周年 ボーイスカウト、ビーバー隊・カブ隊を発隊 |
1998年 | 成人科「信仰告白」の学びが始まる 「祈りのポスト」を設置 |
1999年 | 高座みどり幼稚園創立50周年 丹羽牧師が高座教会を辞任し、東小金井教会へ 佐藤岩男中会神学生、玉井幸男中会神学生が伝道師に任職。佐藤伝道師はさがみ野教会代務者、玉井伝道師は海老名シオンの丘教会へ 宮城幹夫が総務主事に就任、町田主事が退職 |
2000年 | 齋藤一成神学生が伝道師として任職 学生会が「ハーベスト」に改称 石塚牧師夫妻がブラジルを訪問 日本中会50周年記念大会を行なう 日本語訳『恵みの契約』が出版される |
2001年 | 在日ペルー人集会が始まる 松本牧師がブラジルを訪問 宮城総務主事が教会主事に 「コミュニティー教会委員会」が発足し、「3つのめざすもの(ベクトル)」を策定 |
2002年 | 地区割を変更 「讃美歌21」を導入 石塚牧師が高座教会を辞任。松本牧師が担任牧師に 齊藤伝道師が牧師按手を受け、共働牧師に就任 ナオミ会とルツ会が合同して「婦人会」となり、伝道集会の名称が「ノア会」となる ブラジル12地区がマッタ・デ・サン・ジョアン伝道所となり、石塚牧師が担任牧師に |
2003年 | 新年地区祈祷会を再開 「神を体験する」の学びによりリーダーが育成され、「マスターライフ」の学び買いが始まる 東京基督教大学主催の「高座エクステンション」を行なう(以後継続) 礼拝堂にピアノを設置 |
2004年 | 齋藤牧師が辞任 大井啓太郎中会教職者が牧会担当主事として就任 高座教会ホームページ委員会発足 松本担任牧師が聖契神学校講師として奉仕 |
2005年 | 宮井岳彦神学生が伝道師に任職し、高座教会、成瀬教会、田園伝道教会に派遣される 賜物を発見するための学習会を行なう 小グループリーダー研修会、小グループリーダー養成講座を行なう コミュニティー教会特別委員会「第三次答申」 「新礼拝堂建設委員会」が発足 |
2006年 | 春と秋にそれぞれ1か月の「歓迎礼拝」が始まる 3代目オルガンに「アールボーン」を導入 三大節の9時礼拝を「子どもと大人が一緒に守る礼拝」とする 「日本中会礼拝書試案」に基づき礼拝を整え、「使徒信条」「主の祈り」の口語訳を採用 ハーベストと青年会が合同して「若枝会」が発足 高座みどり幼稚園の谷中光秋園長・理事長が退任、松本牧師が理事長、鈴木裕美が園長に就任 長老定数の18名から12名への変更を決定 宮井伝道師が成瀬教会に派遣される 元栄信一神学生が牧会担当主事に就任 町田零二兄が教育担当スタッフに就任 「神を体験する」学習会が始まる 柴田裕が小会担当主事に、小出久雄が総務担当主事に就任 小グループ宣教大会(米国ウィロークリーク教会)に大井主事、松本徳子が参加 |
2007年 | 創立60周年、記念礼拝を行なう ボーイスカウト・ガールスカウト発団40周年 「高座みどり幼稚園ミッションステートメント」を宣言 「ニーズ型小グループ」が誕生 柳沢美登里が牧会担当スタッフに就任 宮城教会主事が退職、柴田小会担当主事がが教会主事に就任 地の塩コミュニティーブラジル人集会の一部であったスペイン語礼拝が「スペイン語礼拝」として独立 |
2008年 | 「主の祈り」を日本中会訳に変更 カンバーランド長老教会総会(GA)を日本で開催 執事定数の18名から12名への変更を決定 加藤由美子姉が主事室職員に就任 |
2009年 | 加藤由美子が総務主事に就任 「とりなしの祈り」セミナーと奉仕が始まる 高座みどり幼稚園創立60周年 「新礼拝堂建設計画」の取り下げが決定 「教育サポーター委員会」が発足 鈴木手以神学生が伝道師に任職し、田園伝道教会へ 元栄信一牧会担当主事が牧会総主事に就任 町田教育担当スタッフが任期を終える |
2010年 | 「KOZAフェスタ2010」を開催 カンバーランド長老教会200周年記念行事に訪問団を派遣 「アガペ聖書の会」奉仕グループを設置 |
2011年 | 「日々のみことば」のメール配信が始まる 礼拝出席の求道者をフォローする「アンデレ・ミニストリー」が始まる 大井牧会主事が辞任し、渋沢教会へ 平尚紀神学生、片桐美穂子神学生が職員となり、瀬底正博が牧会担当スタッフに就任 「隣人を愛する習慣作りセミナー」を開始 |
2012年 | 創立65周年、「宣教65周年記念礼拝」「宣教65周年記念大会」を行なう 「高座教会ミッションステートメント」を宣言 「KMS委員会」を設置、礼拝堂改修への取り組みが始まる 元栄牧会総主事が辞職し、台湾高雄活石霊糧堂へ |
2013年 | 関伸子伝道師を招聘 「執事職」を廃止 「冨士霊園墓所礼拝」が始まる 婦人会例会が「木曜会」となる |
礼拝堂リニューアル(2014年~)
2014年 | 関伝道師が副牧師に就任 礼拝堂が改修され、パイプオルガンを導入し、献堂式を行なう 早島万紀子、筒井寛子、高座教会オルガニストによるパイプオルガンコンサートを開催 |
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2015年 | 高座みどり幼稚園の新園舎が完成し、「認定こども園」となる 「ファミリーチャペル」が始まる シャローム館に「ホッとスペース”虹”」を開設 信徒教育「エクササイズ」が始まる |
2016年 | 和田一郎神学生が伝道師に任職 平尚紀職員(神学生)が伝道師に任職し、成瀬教会へ 松本牧師奉職30年記念、夫妻でイスラエル旅行 「マリッジコース」が始まる マッタ・デ・サン・ジョアン伝道所がカンバーランド長老教会MMTの傘下となる |
2017年 | 創立70周年、記念礼拝を行なう ボーイスカウト・ガールスカウト発団50周年 「プレイズチャペル」が始まる |
2018年 | 和田伝道師が副牧師に就任 宮城献神学生が伝道師に任職 |
2019年 | 婦人会を「女性会」に改称 高座みどり幼稚園創立70周年 |
2020年 | 宮城伝道師が副牧師に就任、その後カルヴァン神学校へ留学 新型コロナ感染症対応のため、一時期礼拝堂での礼拝を中止する YouTubeとZoomによる礼拝配信を始める 「デジタルステーション」を立ち上げ、オンライン環境を整える Zoomの集会「道の駅」を始める 「ユースミニストリー」を設置する |
2021年 | 教会の本来の姿を祈り求め「使徒信条」「十戒」を説教で取り上げる 「高座の未来転換応援特別委員会(KMO)」発足 |
2022年 | 「ユースミニストリー」を「WING(WORSHIP INTENDED FOR NEXT GENERATION)」として30歳以下の礼拝としてスタートする 「道の駅」の音楽版としてパイプオルガンコンサート「憩いの時間」を始める |
2023年 | さがみ野教会との宣教協力を行う コロナのため中止していた懇談会を再開する ホームページをリニューアルする |
2024年 | 3月をもって松本雅弘牧師が退任。4月より和田一郎牧師が担任牧師に、宮井岳彦牧師(さがみ野教会)が副牧師に就任 5月より11時礼拝をプレイズチャペルとする |
歴代牧師・伝道師
吉﨑忠雄 | 1946年 ~1957年 |
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生島陸伸 | 1957年 ~1994年 |
柳瀬仲司 | 1970年 ~1973年 |
濵崎 孝 | 1972年 ~1975年 |
石塚惠司 | 1978年 ~ 2002年 |
阿部 恵 | 1985年 ~1994年 |
古畑和彦 | 1987年 ~1994年 |
松本雅弘 | 1987年 ~2024年 |
丹羽義正 | 1993年 ~1999年 |
齋藤一成 | 2000年 ~ 2004年 |
宮井岳彦 | 2005年 ~ 2006年(伝道師) 2024年~ |
関 伸子 | 2013年 ~ 2016年 |
和田一郎 | 2016年 ~ |
宮城 献 | 2018年 ~ 2020年 |