繋がっていれば

「自分を捨て、日々、自分の十字架を負って、私に従いなさい。」 (ルカによる福音書9章23節)
 自分らしさは、自分を見ているだけでは見つからない。 「赤毛のアン」の主人公アン・シャーリーは孤児院で育ちました。家族的な温かい環境で生活することがありませんでした。11歳の時、プリンスエドワード島の年老いた兄妹に引き取られて、やっと家族といえる人との生活が与えられます。島にやって来たばかりのアンは明るくて、素直すぎて、癇癪をおこしてはやり返さずにはいられない少女でした。自分が自分らしくいるために思いをそのまま口にする少女でした。島の学校に通うようになると、アンの赤い髪を「人参、人参」とからかったギルバートに癇癪をおこして怒鳴ってしまった。それを全生徒の前で叱られ恥をかかされたアンは、彼を絶対に許さないと心に決めました。ギルバートはこっちを向いて欲しかっただけ、アンは自分が自分でいたかっただけだったのに・・・。 イエスさまは、わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。ぶどうの木のように、私に繋がっている者は豊かな実を結ぶと話してくださいました。神さまに繋がっていると人は成長します。アンは島に来てから初めて教会に通うようになり、信仰を持つ人々に愛され、神が造られた美しい自然を愛しました。癇癪をおこさなくても自分が自分らしくいられる「ぶどうの木」に繋がっていることでアンは素敵な女性になっていきました。 自分らしさは、自分を見ているだけでは見つからない。イエスさまは自分らしさを「自分を捨て、日々、自分の十字架を負う・・・」ことと言われます。自分らしさを見失うのは、実は「自我」なのですね。キリストに繋がる先には豊かな実を結ぶことができる自分がいるのです。
《祈り》主よ、あの空も、花も、ここにいる人たちも、すべてあなたが造られたと知った時、私の心は穏やかでした。あなたの御手の中にいると知った時、私の心は静まりました。自分が自分でいられることを、感謝いたします。
牧師 和田一郎
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