神様がくれる参加賞

金山達成神学生  奨励要約
エレミヤ書9章22-24節
フィリピの信徒への手紙3章10節-4章1節
2023年1月15日

Ⅰ.新年の目標

 年が明けて、早くも半月が過ぎようとしています。皆さんは、2023年、どのような目標を立てたでしょうか。
 本日お読みしたフィリピの信徒への手紙の3章では、手紙の著者パウロが、フィリピという町の教会に対して、ある目標を指し示しています。この手紙から、この1年私たちはどのように進むべきか、思いを巡らせてみたいと思います。

Ⅱ.パウロが目指している目標とは?

 10-11節を見ると、パウロは、自分の人生とイエス様の人生が重なる、そんな生き方をしていきたいと願っていることが分かります。つまり、イエス様のように生きること、それが人生の目標だ、と語っているのです。
ただ、イエス様のように生きる、というのは簡単なことではありません。12-13節を見ると、パウロ自身もまだその状態に到達したわけでもないし、何とかして捕らえようと努めている、と語っています。
 でも、私たちはこの地上生涯を歩む中で、少しづつではあるかもしれませんが、イエス様に似た者へと変えられていくことができます。そのカギは何か。自分の人生とイエス様の人生が重なっていくためのカギ、それは、イエス様にあって喜ぶことだ、とパウロは語ります。このフィリピの信徒への手紙の、大きなテーマになっている言葉は「喜び」なんです。

Ⅲ.喜びつつ目標達成を目指す

 フィリピの信徒への手紙は、パウロのフィリピ教会に対する献金の感謝をきっかけに書かれ、「喜びなさい!」という励ましのメッセージが込められています。
 「喜びなさい!」と言われると、「そんないつも喜んでいられるときばかりじゃないよ…」と思われるかもしれません。この手紙での「喜びなさい」という勧めは、決して無理にポジティブでいなさいとか、空元気(からげんき)で頑張りなさい、という意味ではありません。
ここでの「喜び」とは、イエス様のことを知り、そしてイエス様の見方でこの世界を見られるようになっていくときに、今この瞬間から生き方が変えられていく、そしてその変化はやがて完成する、という期待感から来る喜びです。感情や環境に左右されるものではなく、神様が十分信頼できるお方であるからこそ生じるものです。
イエス様のように生きるという目標は、私たちが目指し続けるべき目標です。
Ⅳ.目標を達成するためのポイントは?
 パウロは他の手紙でも、信仰生活をマラソンのような競技に例えて話していますが、このマラソンを走るうえでの大事なポイントは、13節にあるように、「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向ける」という、前進しようという姿勢です。少しづつでもいいから、前に進もうとする。現状に満足しない。上昇志向とも言えるような姿勢が大切になってきます。すべての人は追求者であれ、ということです。
 ここで1つ引っかかるのは、「後ろのものを忘れ」という表現です。これは、過去の記憶を無くせ、とか、過去を無かったことにしろ、ということではありません。今までに体験した神様の恵みと祝福を思い起こすことや、神様がこれまでに自分の人生をどのように導いてくださったかを思い返すことは、とても大切です。それは、マラソンを走るためのモチベーションになります。なぜなら、「これから先、神様は私の人生にどんなことをなしてくださるのだろう」と期待することができるからです。
「後ろのものを忘れる」とは、「過去に囚われてはいけない・縛られてはいけない」ということです。パウロも、以前の罪や弱さを忘れてしまったのではありません。その状態から神様によって変えられた、という恵みを喜んでいるからこそ、大胆にイエス様のことを語ることができました。
 過去の恵みを定期的に思い出し、忘れないようにすることは大切ですが、「自分は過去にこんな失敗をしてしまった…」と歩みを止めてしまうべきではありません。私たちは、この2023年、そしてその先の人生に、神様がなしてくださるみわざに期待したいと思います。

Ⅴ.目標達成の先にあるものは?

信仰生活というマラソンを走り終え、イエス様に似た者へと変えられていくその先には、一体何が待っているのでしょうか。14節には、「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞を得る」と書かれています。この地上での信仰生活というマラソンを終えたときには、神様が全員に賞を与えてくださる、というのです。神様がくれる参加賞、です。
 この参加賞は、形式的なものではありません。信仰生活というマラソンは、人によってスタート地点も違いますし、走るペースも違います。時には倒れてしまうことや、逆走してしまうことがあるかもしれません。それでも、最後まで走り切った一人一人の存在を心から喜んでくれて、イエス様と顔と顔を合わせた交わりをもつことができる。パウロは、そのようなゴールがあるということにワクワクしながら、信仰生活というマラソンを、それぞれのペースでいいから、走り続けなさい、と勧めているわけです。

Ⅵ.おわりに

信仰生活のマラソンは、1人で走れるものではありません。パウロはこの手紙の中でずっと、「きょうだいたち」とか「あなたがた」というように、教会全体に語りかけています。17節には、「きょうだいたち、皆一緒に私に倣う者となりなさい」と、パウロ自身の目標をシェアしています。
私は2021年の4月から高座教会で研修をさせていただいて、もうすぐ2年が経とうとしています。この2年間、本当に充実した研修をさせていただけたことを感謝しています。私が研修を通して高座教会に対して抱いたイメージは、「信仰生活というマラソンをみなで一緒に走っているキリストのからだ」です。多くの方々が集っていて、1人1人、歩んできた道のりや考え方も違うけれど、お互いのことを尊重し合いながら、一致して、同じ方向へ向かおうとしている。お互いの長所と短所を組み合わせながら、教会が、まるで1つの生き物のようにして機能している。これは本当に素晴らしいことだと思います。
高座教会での研修を通して、ありのままで神様の前に進み出て礼拝することの大切さや、隣人愛を実践する中で成長していく教会の素晴らしさなど、数えきれないほど多くのことを体験でき、感謝の気持ちでいっぱいです。
私の高座教会での研修は、3月で終わりになります。その後は、皆さんと仕える教会は変わりますが、同じ主にある兄弟姉妹として、ともに励まし支え合いながら、信仰生活というマラソンを走り続け、やがて地上生涯を終えたときに、神様から最高の参加賞を受け取って皆さんとともに喜ぶことを、待ち望みたいと願います。
お祈りいたします。