高座教会の歩みを祈り求める―2023年の教会活動方針を踏まえて

松本雅弘牧師
ルカによる福音書5章33-39節
2022年11月6日

Ⅰ. はじめに

11月最初の主日共同の礼拝の今日は、毎年、次年度の「教会活動方針」をお配りします。早いもので、今年も残すところあと二か月を切りました。皆さんにとって、ここまで2022年はどのような年だったでしょうか。
小会も、今年を振り返り、神さまの恵みを数えつつ、来年度に向けての活動方針をまとめさせていただきました。これについては、後ほど触れたいと思いますが、11月の第一主日は、私たちが神さまの御前に静まって、立ち止まって、今年の歩みを振り返り、そして来年に向けて主に期待する日でもあるように思うのです。

Ⅱ. 新しいぶどう酒は新しい革袋に

さて、そうした上で今日は、ルカによる福音書5章 38節、「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れねばならない。」という、2023年度の主題聖句を含む聖書の箇所を読ませていただきました。まずはここから御言葉に耳を傾けて行きたいと思います。
私たちの聖書を見ますと、ここに「断食についての問答」と小見出しが付いています。
ご存じのようにユダヤでは昔から断食の習慣がありました。調べてみますと当初、ユダヤ人は、レビ記16章に出て来ます「贖いの日」、これは第七の月の十日ですが、その日をイスラエルの人々のために罪の贖いの儀式を行う日、そしてその日に加えバビロン捕囚後に定められた国家的な災いの日を記念し、人々は断食をしていたと言われます。
ところが、その後、ファリサイ派の人々を中心に、宗教的な熱心さのゆえから次第に回数が増えて来て、年に四回となり、さらにイエスさまの時代では、月曜日と木曜日の週二回が断食の日になっていたようなのです。
ただ、ユダヤ人の全てが断食を守っていたか、と言えばそうではありません。この後、ルカ福音書18章に出て来る「ファリサイ派の人と徴税人」の譬えを見ますと、遠くに立って、目を天に上げようともしないで、胸を叩きながら、「神様、罪人の私を憐れんでください」と祈る徴税人を指
して、「神さま、私は、この徴税人のような者でないことを感謝します」とファリサイ派の人が祈っていた。さらに「私は週に二度断食しています」と祈ったと語られていますが、まさにイエスさまの時代、週に二回断食していることが、神さまの御前に高く評価されるべき功徳として、ファリサイ派の人が誇っているところからして、一般の人たちはそこまで守っていなかったようなのです。
さて、そのような背景を踏まえた上で、今日の箇所の33節をご覧ください。
「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。」
そうです。洗礼者ヨハネの弟子たちやファリサイ派の人々のように、主イエスの弟子たちが断食していない、そのことを問題にしている人がいたということでしょう。
元々、断食は、レビ記などに記されている通り、神さまがイスラエルの民に求めていたもので、長きにわたって大切にされてきた伝統のある信仰の行為です。食物を断つことで、霊的に高められることを願って行われていた信仰の実践でした。ただそれがさらに発展し、断食をすること自体が「宗教的人間をつくりだす価値ある行為だ」と考えられるようになってしまったのです。
先ほどの33節は、そうした背景から来る主イエスに対する質問でした。当時の人々から見て主イエスの振る舞いや行為は、どこか宗教的伝統をおろそかにしていると見え、批判の対象となっていたわけです。
いかがでしょう。私たちの社会でも、こうした問題がよく起こるのではないかと思います。また教会の中ではこれと同じ問題がしばしば生じることだと思います。
一方に古い伝統をしっかり守り、一歩たりとも道を踏み外さないようにする人たちがいるかと思うと、他方では形式にとらわれず、むしろ古い伝統には反発して新しい生き方を求めようとする動きもある。
当時のユダヤ人たちが、主イエスを見たことで、心の中に生じて来た様々な批判や疑問を主イエスにぶつけた。それに対する応答が34節からの言葉だったわけです。
ここで主イエスは「婚礼の譬え」を語られました。マタイ福音書の講解説教の時もお話ししましたが、イエスさまはよく婚礼のことを譬えとして用いられます。その場合、終末的な救いの喜びを象徴するものとして語られていました。つまりそこでは、メシア、救い主を花婿に譬えてお話されるのです。この時も同様でした。
34節を見ていただきたいのですが、「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。」これが主イエスの教えのポイントだと思うのです。
断食という宗教的な伝統や形式にしがみついて生きることより、キリストと共に生きることこそが大切だとおっしゃる。断食の目的もそこにあったわけですから…。
そうした上で、来年の主題聖句である御言葉をお語りになります。38節、「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れねばならない。」
私たちがいただいている救いとは何か。それは古い服を仕立て直して新しい服を完成させるのではない。古い人生の仕立て直しではなく、新しい人間の創造なのだ、と主イエスはおっしゃるのです。
主イエスを信じて生きるということは、質的な新しさをもたらす。古い伝統や古い習慣によって信仰を補強しようとするようなことは逆戻りすることで、そのようなことをし続けていったら革袋は張り裂け、ぶどう酒も革袋もだめになってしまうと語るのです。
コリントの信徒への手紙第二の5章17節の御言葉が心に浮かぶのではないでしょうか。「だから、誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさに新しいものが生じたのです。」

Ⅲ. 「2023年教会活動方針」

さて今日は、「2023年の教会活動方針」を配布させていただきました。お持ちの方は開いていただきたいと思います。来年の「主題と主題聖句」がそこ記されています。主題が「ウィズ・コロナの時代を見据えて」で、主題聖句が今お話しました、ルカによる福音書5章38節、「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れねばならない。」です。
では、「Ⅱ.2023年教会活動方針総論」の部分だけお読みしたいと思います。
Ⅰ.主題と主題聖句
〇主題:「ウィズ・コロナの時代を見据えて」
〇主題聖句:「新しいぶどう酒は新しい革袋に入。。,れねばならない。」
(ルカによる福音書5章38節)
Ⅱ.2023 年 教会活動方針総論 ―省略-

Ⅳ. 主よ、御心が成りますように

11月になり、今年も残すところ二ケ月を切った今、一旦、手の業を置いて立ち止まって主の御前に静まり、主が私たち一人ひとりの人生に、どのように生きて働いておられるのか。私の生活のどこに、また教会の働きのどこに、新しいぶどう酒の発酵を主が起こしておられるのかを見極めていきたいと思います。
特にコロナウィルスの影響で、今までの教会活動がリセットさせられるような経験をしてきました。まさに強引に立ち止まらされる経験です。そうした中で私は改めて、高座教会の『七〇年誌』の最後に、編集委員会委員長の鈴木健次さんが紹介している、ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉に心が向いたのです。
「神よ、変わることのないものを守る力と、変えるべきものを変える勇気と、この二つを識別する知恵を与え給え。」
高座教会は主御自身が始めてくださった教会です。その主の御心を求めながら、「主よ、御心がなりますように/御心をなしてください」と祈りつつ、これからも共に歩んでいきたいと願います。
お祈りいたします。

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