キリストの自由

2018年7月22日
和田一郎副牧師
創世記2章1~3節
コロサイの信徒への手紙2章16~17節

1、影にすぎないもの

今日のコロサイの手紙の聖書箇所は「影」と「実体」に焦点を当てています。パウロは17節に書かれている「影」と「実体はキリスト」という二つの言葉を対比しています。実体と書かれた言葉は、人の体という意味で使われる言葉です。ですからキリストの体を「実体」と表現してキリストの体が映った影を、「それは実体ではなくて影に過ぎないのだよ」と、パウロは説明しています。ご存じのように、イエス様が2千年前に来られる前は旧約聖書にのっとった教えをユダヤ人達は守ろうとしていました。しかし、イエス様は旧約聖書の教えを守ろうとする律法学者たちを批判していましたし、パウロもこの手紙に書かれているように、ユダヤ人達が旧約聖書の律法を守ろうとする教えに気を付けなさいと注意しました。イエス様とパウロが「あれは違いますよ!」と警告していた「ユダヤ人達の教え」とは何でしょうか? それがパウロが「影」に過ぎないものだ、と言った16節にある「食べ物、飲み物、祭り、新月、安息日」といったユダヤ教で重んじていた生活様式や儀式的なものです。

2、ユダヤ教主義の始まり

旧約聖書の時代には、イスラエルの国はバビロン帝国に滅亡させられます。そして、住民が強制的に移動させられるという出来事がおこりました。これを「バビロン捕囚」と呼びます。この出来事は結果的に、イスラエル人の信仰が新たに変化するきっかけとなりました。イスラエルの12部族でバビロンに連れていかれたのはユダ族とベニヤミン族だけです。他の部族はすでに消滅してしまいましたので、他の国の捕虜と区別するために「ユダヤ人」と、この時に呼ばれました。そして彼らの信仰は自然と「ユダヤ教」と呼ばれたのです。ユダヤ人達はバビロンに住む捕虜生活の中で、次第に民族的な絆が深まっていきました。その後寛容な政策によって、エルサレムに戻ってきましたが、バビロンの捕虜生活の中で守っていた、ユダヤ人だけの純粋な信仰が壊れることを恐れました。周囲の民族と接触せず、結局ユダヤ教は民族主義的な性質が強くなっていきます。神様の御心を求めるという信仰共同体から、ユダヤ教は儀式や制度的なもの、そして閉鎖的な傾向が強くなっていったのです。それが宗教行事だけではなく、生活様式にも律法が反映されて、ユダヤの一般住民にとって、信仰生活というものが重苦しいものになっていました。
コロサイの2章16節にあるように、確かに、旧約聖書には「食べ物、飲み物、祭り、新月、安息日」の規定について書かれていました。食べ物の規定には、食べてもよい清い動物と、汚れているから食べてはいけない動物がありました。これは神様から選ばれた聖なる民である「しるし」として区別していましたが、いつのまにか異邦人とは一緒に食事をしないという習慣を作ってしまいました。祭りや、新月、安息日といったものは、神様との霊的関係を指し示す、そこに意味がありました。しかし、いつのまにかその儀式や生活様式を守ること、そのものに注意を向けるようになりました。
人間は不完全な存在ですから、今も、かつてのユダヤ人と同じような間違い、同じように周囲の人との争いを繰り返しています。
インドで起こったある出来事です。その頃、インドではヒンズー教とイスラム教が対立して各地で暴動が起こっていました。ある日、一人の男が血だらけになって倒れ込んでいました。その男はカデルという男で、少年に助けを求め、「突然、知らない人に刺された」と言って倒れました。傷を負ったカデルを病院に連れて行きましたが、しばらくしてカデルは死にました。カデルは日雇いの労働者でした。わずかな収入を得る為に仕事に出ていきました。カデルは一人の夫であり、父であり、日雇い労働者であり、インド人でありイスラム教徒でした。イスラム教徒であるがゆえに、ヒンズー教徒から狙われたのです。そして病院でもイスラム教徒への治療は後回しにされていました。
しばらく経って、ヒンズー教とイスラム教の争いはなくなっていきました。あの暴動は、つかのまの一時的な出来事となりました。どうしてあのカデルという人は、死ななければならなかったのだろう。おそらく殺した人は、カデルがどんな人なのかを知らなかったでしょう。殺害者はただ一つのアイデンティティ、イスラム教徒であるという、ただそれだけのことしか見なかったのです。たった一つのアイデンティティに対する暴力でした。
人間には多くの側面があります。この私も、大和市の市民であり、神奈川県に住む神奈川県民です。もし大和市と隣の座間市と利害問題ができたら、大和市民というアイデンティティが強調され、座間市を厳しく見ることになります。
同じような問題が、隣の東京都と利害問題が生れると、今度は、私は神奈川県民として東京都民を厳しい目で見ます。しかし同時に、私は一人の子どもの親という側面をもっています。子どもを守る親という共通した立場の人であれば、座間市の人とも東京都の人とも理解し合える可能性が生れます。しかし、人がもつ多様なアイデンティティから一つだけを取り上げて、その観点からのみ、その人を見ることは、ユダヤ人が民族主義に陥ったことと重なります。ユダヤ人同士の絆が深まることは良い事ですが、ユダヤ人だけが神の民で異邦人は汚れていると信じました。わたしたちもある日突然、一つのアイデンティティを取り上げて、人を攻撃することがあります。たとえば転校生がクラスに来てもなかなかなじめないと、「あいつはどこか違う」「言葉に訛りがある」と、自分たちと違うアイデンティティを取り上げます。それは閉鎖的なユダヤ人主義と同じです。イエス様もパウロも何度も繰り返して、そのユダヤ人たちの間違えを戒めました。それは旧約聖書の正しい教えではないと。

3、善きサマリア人のアイデンティティとユダヤ人

ルカの福音書に「善きサマリア人」はユダヤ人の閉鎖的な民族主義というアイデンティティを見ることができます。
イエス様は、永遠の命を得るためには、神を愛し隣人を愛しなさいと教えます。これに対し、ユダヤ人の律法学者は「隣人とは誰ですか?」と質問します。イエス様は、たとえ話でこの質問に答えます。
あるユダヤ人が旅の途中で強盗に襲われる。身ぐるみ剥がされ、瀕死の状態で道端に倒れている。あるユダヤ人祭司がそこを通りかかったが、見て見ぬふりをして立ち去ります。ユダヤ人やレビ人も同様に、助けず に通り過ぎる。しかし、ユダヤ人がとても軽蔑しているサマリア人が通りかかった時、そのサマリア人はこの人を助けた。けがの手当てをしてやった上、宿屋に連れていき、「費用は自分がもつから、この人を介抱してやってくれ」と頼む。
イエス様はこのたとえ話の中で「倒れていたこの人の、隣人になったのは誰か?」 と律法学者に質問します。律法学者は「助けてあげた人です」と答える。するとイエス様は、「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われました。この譬え話しを聞いたユダヤ人の律法学者にとって、そもそも「隣人を愛する」とは「同じユダヤ人を愛すること」でした。しかし、イエス様の譬え話を聞いて、「隣人になったのは誰ですか?」と聞かれて、「隣人になったのはサマリア人です」と律法学者は答えました。それは正解です。そして「あなたも同じようにしなさい」とイエス様は言った。でも実際の生活においては、彼らはそれをやっていなかったのです。異邦人であるサマリア人を、助けもしないし、助けられたくもないと思っていました。「行って、あなたも同じようにしなさい。でもあなた達は、それをしてないでしょ?それができないでしょ?とイエス様は皮肉を込めて指摘したのです。ユダヤ人が、サマリア人と同じように「隣人になる」ことが出来なかったのは、ユダヤ人という、一つのアイデンティティに偏ったからです。

4、わたしたちの「実体」

パウロが活躍した時代のユダヤ人は、イエス様を信じるだけでは不十分で、ユダヤ教の儀式や生活様式を守らなければならないと主張する人がいました。しかし、イエス・キリストの十字架の死と復活によって、私たちはユダヤ教という人間の知恵に縛られない、キリストにある自由を与えられました。多様な賜物と自由な意思を与えられました。どんなアイデンティティの持ち主でも、キリストを通して神の国に入ることができるようになったのは、キリストによる自由を得たからです。
イエス様という方は神様であり、人間として地上で過ごされました。イエス様は100%神様というアイデンティティと、100%人間というアイデンティティを生きた方です。そして、私たちの信じる神様は、三位一体の複数性をもった一つの神様です。
そういった多様性をもつ神様を信頼する私たちが実践したいことは、まず第一に、私たちが選択するアイデンティティは、クリスチャンであるという霊的なアイデンティティです。しかし、クリスチャンだというアイデンティティだけを主張すれば、クリスチャンではない人と摩擦が生れ、その人達の隣人になることは難しくなるでしょう。私たちはクリスチャンであり、善き市民であり、善き国民であり、善き同僚であり、善き友であり、善き家族の一員であること、この自由を与えられています。この一週間、「神の国」という、多様で自由に満ちた国の民として歩んで行きたいと願います。お祈りをいたします。

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