相続養子縁組
2016年11月13日夕礼拝
和田一郎伝道師
出エジプト記32章13~14節
ガラテヤの信徒への手紙4章1~7節
Ⅰ.後見人の下にいる未成年相続人
前回の3章の終わりのところで、私たちクリスチャンは「アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。」(ガラテヤ3:29)と呼ばれています。「相続する」と言うからには相続する遺産とか資産のようなものがあるはずです。ここで言うその遺産とは、創世記でアブラハムに約束された、「あなたの子孫は祝福される」という、神様に祝福された者となる権利です。
しかし4章に入ってパウロは、ユニークな例をあげて、ガラテヤの信者に対して説明します。ここでパウロは、「相続人」というものを人間の世界の中で、人間の世界の遺産相続に照らして考えているのです。もし、自分が成人に達していない未成年であれば、たとえ莫大な遺産相続があっても、受け取ることができません。ローマの社会では、25 歳になってやっと法的な権利が与えられました。日本では20歳未満の人は未成年として、単独で法律行為を行うことができないそうです。ですから、やはり後見人を立てるのです。もし17歳の高校生の親が亡くなって遺産を残したら、その高校生は遺産を相続する権利を持っていますが、未成年なのですぐには自由に受け取れません。後見人を裁判所に決めてもらい、20歳になるまで待たなければ、自分の自由にはならないそうです。
パウロはアブラハムの子孫に与えられる「神の祝福」という財産の相続権は、人間は生まれた時から誰にでもあるのですが、2節の「父親が定めた期日」いわゆる、イエス・キリストを主と信じる時までは、後見人の監督下にあるというのです。後見人とは律法や世の中の権威や風潮です。イエス様を知らなかった時期は、律法やこの世の中の権威や風潮に従っていました。この手紙が書かれた時代、ローマ社会の多神教の神々に従う不信仰者がいました。ユダヤ人は律法に固執して律法という後見人の監督の下にいました。未成年のように管理されていたのです。
Ⅱ.未成年から成人へ
律法というのは、窮屈でユダヤ人の生活を苦しめる一方で、実はとても分かり易いものでもあります。「こういう時は、こう行えば祝福される」と約束されていますから、その戒めを守り行ないさえすればよいのです。3節のところは「この世の幼稚な教えの下に奴隷となる」とも翻訳できる箇所です。律法を字義通りに守る生き方は、幼稚な教えの下の奴隷だというのです。
たとえば、献金のことを考えた時「什一献金は、しなければいけない戒めですか?」という問いかけがあります。収入の十分の一を献金とするという教えは、旧約聖書のレビ記やマラキ書において、神様が十分の一を捧げなさいと命じられている箇所があります(マラキ書3章)。イエス様もこの律法を「ないがしろにしてはいけない」とマタイ 23 章で言われています。しかし、これは旧約時代のものであると決めている人もいるかも知れません。確かに新約聖書では、明確に命令するように「しなさい」とは言っていません。
ところが新約聖書では、そうした規則にするのではなく、神様が惜しみなく捧げる愛があり、その愛の応答として、自分の生活の中で「第一のものを第一に」という信仰が与えられます。ですから、旧約聖書にある「規則だから捧げる」という、未成年の未熟な考えではなく、大人の考えがイエス様の教えにはあります。大切な事は「神様が御子を捧げられた。」という愛への応答です。具体的な指針を示せばよいのかもしれませんが、律法から解放された成人は愛の律法を知っていますから、愛によって神に仕えることができます。
ガラテヤ書に戻りますが、4節で「時が満ちる」のは、神様が御子キリストを、この世に捧げられた時ですが、神様は人間と同じように、女性の人のお腹から、人間と同じように律法の下に置かれた者として、イエス様を送ってくださいました。それは、その時が満ちたからでした。イエス様はどうして2000年前の地中海の東にあるパレスチナ地方に来られたのか?と前回の説教でも話しましたが、人間の罪がもうどうにも、のっぴきならない状態になって、神様は御子を送る事を成されたのが、この時だったのです。
さらに、バビロン捕囚の後、広範囲な地域でユダヤ人が住むようになっていました。ローマ帝国の支配がはじまり「全ての道はローマに通じる」と言われているように、ローマ全体を網羅する整えられた道が造られました。それからギリシア語という、とても精密な言語が共通語として広がっていました。パウロ達がローマにまで広がる福音宣教を実現したのは、ローマ帝国が築いた道を使い、公用語のようになっていたギリシア語をパウロが話し、散らばったユダヤ人のいるシナゴーグを巡る事で、宣教が進んだ、まさしくこの時代であったからこそできたものです。
Ⅲ.相続権のある「養子」という特権
その目的は、5節後半にあるように、「わたしたちを神の子となさるためでした。」でした。私たちが「神の子」という地位を獲得できるように、イエス様は来られたのです。5節の「神の子」という箇所は、英語の聖書で「養子」という単語が使われていました。ギリシア語で[フィオセシア]というパウロが特別に使った言葉です。日本の聖書はこの[フィオセシア]を、昔から「神の子」と訳してきました。
アメリカでは、養子縁組は一般的なことだそうです。子どもが出来ないから養子をもらうという人もいますが、それよりもよくあるのが、ミックスしたパターンで、自分の子どもがいたとしても、さらに養子をもらうそうです。多くの家庭は、親とは違う人種の養子をもらって、子どもたちの肌の色や髪の色がそれぞれ違います。小さい頃から親とは血筋が違うことを明らかにして、養子であることをオープンにして育てるそうです。
養子縁組というのは、養子となる子どもが、将来有望であるとか、かわいいからとか、親が何か得するからという理由で行われるものではなくて、両親の一方的な愛情と意志によって決定されます。養子となる子どもはそれまでおかれていた不安定な状況から、全く新しい、愛情あふれる家族へと一瞬にして、新しく変えられます。
私たちクリスチャンもそうですね。洗礼を受けてまったく変えられます。私たちは罪の奴隷となっていて、神様の目から全く何のとりえもない者ですが、神様の一方的な愛情と恵みによって「養子」とされます。私たちはただイエス・キリストを信じることによって、「子」とされ、全く新しい、永遠の命、復活の希望、神の家族、祝福された人生というアブラハムの遺産相続へと、導かれます。イエス様がこの世に来られた目的は、神様が約束された「相続を受け取れる養子」としての、愛の関係を得させるためです。
Ⅳ.未成年への後戻り
それなのに、ガラテヤ教会の信徒たちが、なぜ以前の状態に戻ってしまったのか、パウロは幼稚な未成年の状態に戻ってしまう愚かさに、8節以降で注意を向けます。
ガラテヤの人たちは、本当の福音を知ることにより、かつての教えを捨て去ったはずです。パウロは注意深く9節で「しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られている」と言っています。そうですね、私たちが自力で神を知ったという事ではなくて、それよりも、神様が私たちを初めから知っておられて、私たちの状態を知って憐れんでくださったのです。
ガラテヤ教会の人々は、10節にあるように、規則正しい信仰生活を守っていたかも知れません。古代世界においては、暦は重要な意味がありました。しかし、イエス様の教えでは主日と言われる日曜日でさえ、礼拝の日として絶対に守らなければならないとは言っていません。聖書のどこを探してみても週の最初の日、日曜日を礼拝の日と規定している教えは見当たりません。イエス様が、日曜日に復活されたことを弟子達が覚えたので、いわば自発的に集まって、礼拝を捧げるようになりました。私たちは神様に養子とされた者として、自ら礼拝を捧げ、聖霊に導かれて自由に生きる。それこそが、律法という後見人から解放された、キリスト者の本来の自由な生き方です。ガラテヤの信徒たちの失敗を繰り返すことなく、自由とされた者にふさわしく、さまざまな束縛、戒め、世間の目から解き放たれて自由になった者として、生きることです。ガラテヤ教会の為に労苦したことが無駄にならないようにパウロは心配していますが、まさしく、私たちもキリストの十字架のみわざ、十字架の死を無駄にしないような生き方を歩みましょう。この一週間も「しなければならない」という律法に縛られず、イエス様が私たちの為に、この世に来られ、苦しみを受けて、十字架に架かり、神様の子どもとして下さり、家族の一員とされた、この愛に自ら応答する歩みでありますように。