身を起こして頭を上げなさい

和田一郎副牧師
エレミヤ書33章14-16節
ルカによる福音書21章25-36節
2021年11月28日

Ⅰ. 隠された大いなること

今日はアドベント第1主日です。3週間後にはクリスマスを迎えることになります。イエス様がお生れになる400年以上遡った旧約聖書の時代に、神様によって、これからイエス様がお生れになる、そのことが告げられていました。それが旧約聖書の預言書です。それ以外の旧約聖書全体がイエス・キリストという方を指し示しているのですが、まさしくこれから救い主が来られると語られているのが預言書です。
旧約聖書の時代、イスラエル王国というのは、ダビデやソロモン王が繁栄を極めた後、内部分裂が起こって北イスラエルと南ユダ国に分かれました。その後、唯一の真の神様以外に、さまざまな偶像の神を信じるという不信仰が続いていったのです。当然、国は衰え、争いは絶えず、北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、残された南ユダ国も滅亡の危機にありました。エレミヤは、ついに南ユダ国も滅びてしまうという厳しい時代を生きた預言者でした。ですからエレミヤは「涙の預言者」とも呼ばれるのです。エレミヤは、神様からの大切な預言を語っても人々から無視され馬鹿にされ、お前の言っていることは「死刑に当たる」と裁判にかけられ牢獄に入れられました。暗殺計画まで持ち上がりました。エレミヤはそれを力強くはねのけるタイプの預言者ではありませんでした。泣いたり、もう預言者は辞めたいと口にする人間味のある預言者でもありました。それでも神様がエレミヤに告げた通りに、裁きと悔い改めの言葉を隠すことなく語り続けた、真の預言者です。
そのようなエレミヤがいる、南ユダ国はバビロンという巨大な国に滅ぼされようとしていました。エルサレムの都が包囲されてしまった時、エレミヤは不思議な提案を受けました。今日の聖書箇所の一つ前の章32章6節です。彼は言いました「私の畑を買い取ってください」と言うのです。戦争の真っ最中に「畑を買い取ってください」と。土地を買うというのは、その土地に価値があるから買うのです。その土地に住むとか、畑として使うなど生活の糧になる、価値が見込めるから買うものです。しかし、その土地は今まさに滅びてバビロンに占領されようとしている土地です。とんでもないことです。しかし、エレミヤはこの奇妙な提案に対して「私はこれが主の言葉であると知った」と受け取ったのです。それはもう信仰でしかありません。エレミヤには預言者としての確信があったのです。この不思議な提案には意味がある、つまり、今は国が滅びようとしている、しかし、かねてから「その日が来る、あなたたちと新しい契約を結ぶ」(エレ31:27-31)と語りかけていた神様。目の前の状況は最悪の時でしたが、神様は試練と裁きで終わる方ではない、私たちを苦しみの中へ放っておく方ではない。その先には、逃れの道と希望がある。これには何かメッセージがあるとエレミヤは受け取ったのです。
エレミヤは土地を購入する手続きを、エルサレムの都で、ユダの人々全員が注目する中で行いました。彼らは「いったいエレミヤは何て馬鹿なことをしているのだろう」と思ったでしょう。しかし、エレミヤは言ったのです。この土地は、家、畑、ぶどう園として、再び買い取られるであろうと(エレ32:15)。
この事があって続いて33章で神様の言葉があるのです。33章3節「私を呼べ。私はあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる」。ここには「あなたの知らない」つまり、人には分からない隠された大いなることがある、と言うのです。当時の人々の望みとは、目の前の脅威から逃れることでした。ユダは小さな国でしたから、近隣にある大国であるエジプトに助けを求めるべきか?バビロンに素直に屈した方がいいだろうか?といったものです。しかし、「隠された大いなること」とは、そのどちらでもないことでした。
今日の聖書箇所33章15節「その日、その時、私はダビデのために正義の若枝を出させる。彼は公正と正義をこの地に行う」と神様は宣言されました。「若枝」というのは、預言書に出てくる救い主を示す言葉です。人々の願いはエジプトなのかバビロンか、どちらを頼れば国を守れるだろうか、AなのかBなのかといったものでした。しかし、神様のこたえはAでもBでもない、ウルトラCという恵みでした。その日、その時、新しい歴史、新しい世界という扉を開いてくださる、救い主メシアというウルトラCが起こされるというものです。
神様というお方は、不思議なことをされる方です。戦争中に「土地を買いなさい」と言ったり、思いがけない恵みを与えてくださる。そのような経験をされた方もいるのではないでしょうか。

Ⅱ. 我が家のウルトラC

私にも、思いがけないウルトラCという恵みの経験があります。私たちが結婚して、すぐに妻は妊娠したのです。初めて町の小さな産婦人科の病院に行きました。普通の病院は病気やケガで重々しい顔をした人が多いけれど、産婦人科は幸せばかりだな、と何も分かっていない私は漠然と思っていました。しかし、残念ながら妻は流産したのです。そのことを知らされた診察のあと、幸せばかりだと思っていた待合室にも、痛みを持った人がいたのだと現実を知りました。年齢的なこともあって、私たちは不妊治療をすることにしました。しかし、不妊治療の難しさは「期待」と「落胆」に何度も心を揺さぶられることでした。不妊治療が上手くいかなかったので、しばらくしてから里親や養子縁組のことを祈り始めました。児童相談所に行って、講習会や研修を受けるといった手続きと、養子縁組をサポートする団体への登録や研修にも行きました。そのすべての手続きが済んで、あとは養子となる子どもとのマッチングを待つだけになった時に、自然の妊娠をしたのです。今度は流産から守られて無事に息子が生まれました。不妊治療なのか里親か養子縁組か、AだろうかBだろうかと神様に祈っていた先にあったのは、どちらでもないウルトラCという恵みだったのです。
「あなたは前から、うしろから私を取り囲み御手を私の上に置かれました。そのような知識は私にとってあまりにも不思議。あまりにも高くて及びもつきません」
(詩篇 139篇 5〜6節 新改訳2017)
エレミヤ書に書かれている「あなたの知らない、隠された大いなること」とは、33章15節に書かれている「正義の若枝」イエス・キリストのことでした。旧約聖書の時代にメシアを待ち望む期待はありました。メシアとは「油注がれた者」という意味です。ダビデやソロモンのような「偉大な王」をイメージするものでした。またいつの日か、ダビデのような力強い王が現れて欲しい、そうした期待の中で現れてくださったのが、家畜小屋の飼い葉桶にお生れになったイエス・キリストであったのです。

Ⅲ. 象徴的行為

預言書には象徴的行為と呼ばれるものがあります。一見「奇妙だな」と思わせることを預言者に命じるのですが、そこに神様の御心を示すメッセージが含まれています。神様の言葉だけでなくて、象徴的な出来事によって神様のメッセージを人々に伝えました。例えばエレミヤには「陶器士の家に行って土の器を買い、それを割りなさい」とか、「牛につける軛を、自分の首につけなさい」といった、奇妙なことを命じるのです。
「土の器を割りなさい」という行為には、砕かれた器のようにエルサレムはなるだろうといメッセージ。
「軛を首につけなさい」というのは、自分たち首を差し出してバビロンに服従しなさい、という神様のメッセージ。戦争で滅びゆくユダの土地を買うというのは、その土地には新しい時代に救い主が来てくださる、新しい契約がなされる土地となるという希望のメッセージが込められていました。それが象徴的行為の意味です。つまり、聞く耳をもたない人々に奇妙な行動を通して注目を集め、奇妙な行為の中で神様の御心を伝えたのです。
そのような神様からの象徴的行為は、イエス様が地上に来られてからもあったのではないかと思うのです。旧約の人々は、力強い王や国を豊かにしてくれるメシアをイメージしていました。しかし、そのどちらでもない、イエス様は何の権力もない貧しい夫婦の子どもとして、家畜小屋でお生まれになりました。宿屋には彼らの泊まる余地がなかったからです。どの宿も満員で、出産まじかの妊婦を泊める「ゆとり」がなかった。それは人々の心が自分の欲望でいっぱいで、神様の言葉を受け入れる余地が無かったのです、聞く耳を持たなかった。家畜小屋の飼い葉桶はその象徴です。そして、それから30年経っても人の心は同じでした。またもや神様に、聞く耳をもたない人々が、イエス様を十字架につけて殺したのです。十字架がその象徴です。飼い葉桶と十字架は、神の言葉に聞く耳をもたない人々の、心の頑なさを現わすものでした。イエス様を自分の心の中に迎えようとしない、頑なな心です。頑なな人々をご覧になった神様が与えてくださったのは、それを強引に打ち砕く王ではなかった。へりくだり、謙遜、犠牲を通して、ご自分のもとに引き上げてくださるメシアだったのです。聞く耳をもたない人々も含めて、すべての人に愛を示してくださった、その象徴が飼い葉桶と十字架でした。
自己中心という頑なな心を持っている私たちの為に、クリスマスにお生まれになったイエス様を、心の中にお迎えする、その備えをすることがアドベントの礼拝です。

Ⅳ. 人の役に立つヒーロー

私が子どもの頃は、悪者をやっつける正義の味方がヒーローでした。しかし、今の子どもたちのヒーローは「人の役に立つヒーロー」が多いようです。うちの息子は消防車がお気に入りでお風呂で遊んでいます。どんな事でもいいのですが、神様と人の役に立つことを願っています。そして、全人類のウルトラC、キリストという救い主が、エレミヤの預言どおりに来られました。隠された大いなることを成してくださいました。その喜びの出来事を、3週間後の礼拝で共に祝いたいと思います。
「その時、人の子が力と大いなる栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こし、頭を上げなさい。あなたがたの救いが近づいているからだ」(ルカによる福音書21章27-28節)。お祈りいたします。

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