イエスさまの安全地帯

和田一郎副牧師 説教要約
マルコによる福音書1章29-37節 
2023年10月22日

Ⅰ. 『マルコによる福音書』

今日歓迎礼拝ですので、はじめて教会にいらっしゃった方を歓迎する礼拝です。もし初めて聖書を読んでみようとされる方がいたら『マルコによる福音書』を1章から16章の最後まで読むことをお勧めします。イエス・キリストの生涯が記されている福音書の中で、最も短くて、最も簡潔に書かれているからです。

Ⅱ. 忙しい日々を過ごすイエス・キリスト

さて、今日の聖書箇所でイエス様はすでに、宣教活動の真っただ中にいることが分かります。病気で困っている人、悪霊に取りつかれて苦しんでいる人たちを癒して、神の国について宣べ伝え始めたのですが、そのイエス様の評判が広がって、人々が押し寄せてくる様子が書かれています。この書を書いたマルコが「すぐ」という言葉を繰り返し使っています。1章だけで8回も「すぐ」という言葉をマルコは使っていて、イエス様は本当に忙しい日々を過ごしていたのだと感じられるのです。そして、29節「一行は会堂を出るとすぐ、シモンとアンデレの家に行った」と、会堂を出るとすかさず、ペトロの故郷カファルナウムという町に移動されて、ペトロの母親が熱を出していたことを聞いて、早速赴いて、これを癒したのです。すると(32節)「夕方になって日が沈むと、人々は病人や悪霊に取りつかれた者を皆、御もとに連れて来た。町中の人が戸口に集まった」とのことですから、イエス様はいったい何時に寝たのだろうかと、気になりました。こういった宣教活動は3年間続いたのです。それも忙しいだけではなくて、評判の高くなったイエス様を妬んだ祭司や律法の学者たちが、命を狙うようになったので、不安と恐れの中で忙しい日々を送っていたわけです。 
私たちは、昔は今と違って世の中のんびりしていたと思いがちですし、聖書の出来事は昔のことで自分たちの生活とは違ったものだと思いがちですが、そうではないのです。聖書は常に、人間社会を映し出しています。どのような時代でも、生活の中にある問題を映し出していて、人間の在り方を問いかけています。

Ⅲ.「タイパ」を求める時代

今の時代は、生活のペースが速くなってきて、とても忙しさを感じます。最近、「タイパ」という言葉を耳にしました。タイムパフォーマンスのことで、かかった時間に対して、どれだけ効果と満足があるのかを求める傾向があるそうです。出来るだけ短時間で物事を済ませたいという現代のニーズがあるのです。今年、アメリカのメジャーリーグ野球では、ピッチクロックというルールができました。ピッチャーがボールを投げる時、15秒以内に投げなければならないルールです。卓球も長いラリーにならないような「促進ルール」ができたのです。野球も卓球も試合時間が長いと、見てもらえないスポーツになってしまう。タイパの悪いスポーツは見てもらえない時代です。
イエス様の弟子たちもタイパを気にしていました。忙しいイエス様には時間がないのだから、子どもを連れてきた人々を、追い払おうとしました。イエス様に、そんな時間はないと弟子たちもタイパを意識していたのです。しかし、忙しい一日を終えた翌日の朝、イエス様の時間の過ごし方に注目しました。35節「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」忙しい日々の中で、イエス様が大切にしていたのは、祈るという時間でした。祈るというのは神に心を向けて語りかけることです。神様との会話です。その時間をイエス様は朝の一番最初の時間に大切にしていたのです。その後、(38節)「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、私は宣教する。」と、新しい一日に向けて力強い言葉でスタートするのです。  
忙しい日々の中で、イエス様の心と身体の健康を守ることができたのは、神様との静かな時間があったからです。それがイエス様にとって心と身体を休める安全地帯でした。イエス様は「神の国に入る人はどのような人なのか」と、いつも話されていましたが、神の国という名の安全地帯は、どんな人でも入ることができる安全な場所です。それが神の国という安全地帯で、それは今を生きる私たちも招かれている、永遠に安らげる場所です。
今の時代、パンデミック、自然災害や戦争が起こって目の前には危険や、不安があるのだけれども、心の中に安全地帯があることは、どのような人でも、ますます必要なことだと思うのです。

Ⅳ. 心の安全地帯を見つけた女性

日本の戦国時代も争いが絶えない時代でした。戦国武将が争いを繰り返していた時代を生きたあるクリスチャン女性が心に浮かびました。作家三浦綾子の『細川ガラシャ夫人』という小説があります。その主人公の細川ガラシャは、戦乱の時代に信仰という心の安全地帯を見つけた人です。細川ガラシャの父親、明智光秀は、主君織田信長に謀反を起こし「三日天下」で、討ち死にした武将です。
細川ガラシャは、15歳の時に細川忠興と結婚して、子どもにも恵まれましたが、嫁いでいたとはいえ「謀反人の娘」となってしまったのです。周囲は忠興にガラシャと離縁することを勧めます。離縁すればガラシャは謀反人の娘として殺されたでしょう。事実ガラシャの母親も姉達もこの時に殺されました。しかし、忠興はガラシャのことを愛していたので、表向きは離縁して、山奥に送ってガラシャを隠したのです。人目を避けて山奥で二年間の隠棲生活を余儀なくされました。謀反人の娘の命を狙う者が来るかも知れない。夫の細川家も行く末が分からない、先の見えない不安な生活を過ごしていたのです。
この時、ガラシャの身の回りの世話をする数人の女性たちがいましたが、その中に清原かよ・洗礼名清原マリアというキリシタン女性がいたのです。彼女のいつも穏やかな様子を見て、どうして平安でいられるのか聞きました。マリアは「私は何の力もございません。ただ祈るだけです。もろもろの苦難が、お方さまにとって恵みとお思いできますように、という祈りです」。というのです。でもガラシャとしては、「この苦しみを恵みと思うより、やはり城に戻れるように、という祈りの方が有難いでしょうに」と問いただすと、「確かにそうです。しかしながら、人の一生は苦難の連続かも知れません。無事に城に帰っても、また苦難があるかも知れません。キリシタンの教えでは、苦難の解決は苦難から逃れることではない。苦難の解決は、苦難の中に神様の恵みがあると喜べることだと・・・喜びの中に、苦難は住めない、と教わりました」と、清原マリアは答えたのです。
細川ガラシャは、キリストを信じ、その信仰を全うして生涯を終えました。争いの絶えない時代にあって、心の安全地帯、神の国を見つけたのです。

Ⅴ. イエス・キリストという安全地帯

 私は、細川ガラシャの2年間という隠棲生活があったからこそ、心の安全地帯を見つけることができたのではないかと思うのです。忙しい日常の中で、短時間で物事を終わらせようとすることは、大切な時間を捻出するために必要なことでもあるかも知れません。しかし、それだけでは、心の安全地帯を得ることができません。
「私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。」(マタイ11章29節) と主は言われます。静まってイエス・キリストの語り掛けに耳を傾ける時、心に平安をもたらします。
神様は、すべての人に等しく一日24時間という時間を与えてくださいました。一年は誰であっても365日あります。その限りある人生の時間をどのように使うのかということは、どう生きるかということにつながると思います。コスパを意識して、時間を圧縮することは、人生をも圧縮して、あっと言う間に人生が過ぎてしまうでしょう。しかし、大切な時間は大切なものとして、しっかりと時間をかけることで、生きている意味を見つけることができます。心の安全地帯を、キリストに倣って守って頂きたいと思います。
イエス様は、朝早くまだ暗いうちに、起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられました。そして、主は言われます。「私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。」イエス様の語り掛けを、聴いていきましょう。
お祈りをいたします。