その日には

和田一郎副牧師 説教要約
エレミヤ書23章1-6節
使徒言行録4章10-12節
2023年11月26日

Ⅰ. バビロン捕囚の意味

エレミヤ書は、ユダの国が滅ぼされそうになっていた時代に、預言者エレミヤが慰めと希望を語っている箇所です。しかし、結局はバビロン帝国に滅ぼされ、多くの国民はバビロンに連れ去られていきます。この最中に語られたのが(1,2節)「災いあれ・・・私はあなたがたの悪行を罰する」というエレミヤの言葉でした。彼らはエレミヤの言葉をどのように解釈し記憶したのでしょうか。かつて「昭和ブーム」がありました。皆「あの時代は良かった」と理解し、国民は記憶したのですが、ユダヤ人たちはバビロン捕囚を、どのように理解し、民族の中で記憶していったのでしょうか。同じことを経験しても、解釈の違いによってその意味は変わっていきます。
Ⅱ. 私の願いか、仏の願いか
たとえば、法然という僧侶の教えは同じでも門弟たちの解釈の違いによって道は分かれました。法然は「ただ南無阿弥陀仏と念仏を称えれば往生する」という教えを説きました。その点は、門弟の親鸞、弁長、證空も同じなのです。しかし、弁長、證空は、「私が」念仏を称えることで仏様が救ってくださると考えました。つまり救いの始まりは「私」です。一方、親鸞は「仏様が」私を救おうとして念仏を与え、その声に応えて私が念仏を称えると考えたのです。こちらの始まりは「仏様」の方です。「南無阿弥陀仏と称える」という行為は全く同じですが、一方は「私の願い」であり、もう一方は「仏の願い」であったのです。この解釈の違いは、徹底的に「他力」か、それとも自分の力が主導なのかという違いであって、やがて浄土宗と浄土真宗に分かれていきました。

Ⅲ. マカバイ殉教者を記憶する初代教会

カンバーランドの牧師会で『死と命のメタファ』(浅野淳博 著)という本を読みました。本の中で「社会的記憶」という言葉がありました。共同体全体で共有される「社会的記憶」というのは歴史的事実そのものではなく、歴史を体験した共同体が、その出来事をいかに解釈するかによって変化するものだというのです。たとえば、太平洋戦争の出来事も、日本と韓国と中国とでは、歴史認識が違います。社会的記憶が違うのです。社会的記憶は共同体の過去の出来事と繋がりながら、今の共同体のアイデンティティを確立しますし、共同体の将来を方向付けるものだとありました。その意味で社会的記憶は、《将来を記憶する》と言えるということでした。聖書における社会的記憶の例として旧約聖書続編『マカバイ記』を扱っていました。旧約聖書と新約聖書の時代の間には、400年の空白の中間時代があります。その時代にユダヤはギリシャの支配に抵抗した出来事が『マカバイ記』に記されています。しかし、もともとマカバイの書は一つの書としてまとめられているのではなくて、約200年ほどの期間にマカバイと称した文書が8つ程あるのです。その200年の間に何度か書き換えられたギリシャに対する抵抗運動の歴史書です。
初期に書かれた「マカバイ」の書には、ユダヤのマカバイ抵抗軍が、ギリシャと戦う場面や、同じユダヤ人であるエリコの住民を殺戮する場面などがあります。さらに、年老いた母親と7人の息子が迫害にあって殉教していく出来事も記されています。しかし、200年後に書かれたマカバイ書では、戦闘場面がほとんど書かれていなくて、そのほとんどが、年老いた母親と7人の息子たちの殉教の様子が詳細に書かれていて、同胞であるエリコの住民を殺戮した場面は削除されているのです。つまり、マカバイ記の物語がギリシャに対する抵抗物語ではなく、殉教物語に大きく変わっていった、そして同胞を殺戮した加害者性は忘れ去られ、被害者性に焦点を当てて、信仰を堅く守って殉教していった殉教物語に変化していったというのです。加害者という記憶は消し去られたのです。ギリシャに支配され迫害された歴史を、ユダヤ人がどのように理解し記憶していったのか。その記憶がユダヤ人のアイデンティティを作っていった。マカバイ抵抗運動という被害者意識に覆われた加害者意識が、イエス・キリストの時代になって、祭司、律法学者によってイエス様を十字架にかけるに至った、初代教会におけるステファノ殺害へと繰り返されていったとも考えられます。

Ⅳ. エズラの歴史認識

エレミヤ書に戻ります。かつて北イスラエルと南ユダの国は、アッシリアやバビロンという列強国に滅ぼされました。国を滅ぼされたあげく、故郷から連れ去られ、強制的に異国に連行されたのです。私たちが同じことをされたら、その国を恨むでしょう。バビロン捕囚という出来事があったらバビロン帝国を恨み、いつか仕返しをしたいと思うものです。しかし、エレミヤは国が滅ぼされる前から、災いを預言していました。今日の聖書箇所にあるように、(1,2節)「災いあれ・・・私はあなたがたの悪行を罰する」という神様の言葉をエレミヤは伝えていました。それでも彼らは悔い改めることができずに、国は滅ぼされ、バビロンに捕囚として連行されて行ったのです。バビロンという異教の地に連れて行かれ、そこで多くのユダヤ人たちは生涯を終えました。バビロンに住むユダヤ人たちの世代は代わっていきました。そして、ユダヤが滅ぼされてから約130年ほど経ってから、ある人物がバビロンからユダヤに戻って来ました。
彼の名前はエズラ。エズラ記に登場するバビロン捕囚から帰還し、新たにユダヤ信仰共同体を建て直した人でした。エズラがユダヤに帰還したと言いましたが、かつてのユダヤの国を知っていたわけではありません。滅ぼされてから130年ほどが過ぎていましたから、捕囚となった子孫の一人です。そのエズラは、エルサレムに着いてから、まだ荒れ果てたままのエルサレムを前にして、次のように祈ったのです。「先祖の時代から今日まで、私たちは大きな罪責の中にあります。その過ちのために、私たちは王も祭司も剣にかけられ、とりこにされ、奪われ、辱められ、この地の王の手に渡されました。今日のとおりです」(エズラ 9:7)。
エズラは悔い改めの祈りを捧げました。このエズラの祈りの中に当時のユダヤ人の歴史認識と社会的記憶が反映されているのです。「先祖も、私たちも罪の中にある、私たちの先祖は、この地の王の手に渡された」と。つまり、バビロンによって国が滅ぼされたのは、バビロンの侵略そのものが悪いのではなくて、自分達の不信仰が積み重なって、神様によって罰を与えられたのだ。預言者エレミヤが「私はあなたがたの悪行を罰する」と言った神の言葉通りだった。過去の歴史を振り返り、自分たちがこのような運命におかれるに至った原因は、先祖の時代から当たり前のように、積み重なった不信仰であって、それを悔い改めるには、バビロン捕囚という民族全体が立ち止まる出来事が必要であった。バビロンを恨むのではなく、守ってくれなかったと神を嘆くのではなく、自分たちの中に罪の問題があったと理解していたのです。その理解と記憶が当時のユダヤ人のアイデンティティを作り、その後のユダヤ人の共同体の方向性を決めていきました。それが律法に立ち返るということでした。エズラは、エルサレムに着くと、神殿で礼拝できる体制を整え、律法を学び、律法を教え、律法に従って生きる信仰共同体を作っていきます。

Ⅴ. その日には

 エズラ達は、「その日には、ユダは救われ・・・彼の名は『主は我々の義』と呼ばれる。」(エレ 23:6)と預言したエレミヤの言葉を忘れてなかったでしょう。神が人間の思いを超えて歴史を導く『義の神』である、という信仰に立ち続けたからこそ、捕囚という厳しい時代を乗り越えられたのです。そして、エレミヤが預言した、その日には、正しい若枝、イエス・キリストが地上に来られました。
イエス様は「神の国と神の義を求めなさい」と語られました。神の義とは、人間にとって正しいことではなく、神の目から見て正しいことを「神の義」と言います。イエス様は、この世の義ではなく神の義に生きなさいと語り続けました。ご自分自身を捨て、世の中の弱い者の弱さを担って十字架にかかり、神の義をまっとうされました。威風堂々とした王ではなく、多くの人々にとっては認めがたい、逆説的なメシアです。それにもかかわらず、私たちがイエス様の名前をメシア=キリストであると告白するのは、私たちの思いを超えたところに、神の正義がある、キリストこそ神の義である、そのことを心の中に記憶して見ることができるからです。
 エレミヤは、主は私の義ではなくて、我々の義と言いました。争いの絶えない、今の時代は分断の時代と呼ばれます、混迷する世界があります。私たちの唯一の主、私たちの義をこの一週間、心に記憶していきたいと思うのです。人間の思いを越えて神様から見た正しさを、生活の場で表していきましょう。
お祈りをいたします。