ウィズ・コロナの時代を見据えて

和田一郎副牧師 説教要約
イザヤ書2章1-5節
ルカによる福音書5章38節
2023年12月31日

Ⅰ. この年のこの町で

 今年最後の礼拝では、一年を振り返り、今年の主題聖句からお話をしております。 
今年の春、妻と二人で出かけることがあって南林間の駅に向かって歩いていました。すると妻が「どら焼きを買っていきたい」というので、和菓子屋に寄りました。その和菓子屋が、その日で閉店になるということでした。駅前の花屋さんも、閉店して今はコインパーキングになっています。コロナ禍によって時代の変化は加速した、その事をこの一年で実感した思いがあります。これまで大切に続いてきたものが、少しづつ変化しようとしている。コロナを節目として一気に加速したように思います。

Ⅱ. 新しいぶどう酒は、新しい革袋に

今日の礼拝のメッセージは「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れねばならない」古いものと、新しいものという話です。ルカ福音書5章は、ガリラヤ湖で漁師をしていたペトロとヤコブ、ヨハネが(10節)「あなたは人間をとる漁師になる」と言われて、すべてを捨ててイエス様に従う話と、徴税人のマタイが「わたしに従いなさい」(マタイ9:9)と言われて「何もかも捨てて・・・イエスに従った」という話の続きで、今日の話に繋がってきます。新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしないだろう。そんなことをしたら、新しいぶどう酒は、まだ発酵しているのだから、古い革袋は破れてしまいます。新しいぶどう酒は新しい革袋に入れねばならないと、イエス様は話されたのです。
これらの話の間に、断食についても話されました。33節「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています」。当時のユダヤ人にとって、断食は古くから大切にしていた習慣です。断食という苦行によって、自分の至らなさを自分の力で悔い改めて、自分の努力によって正しい者となろうと、断食を大切にしていました。しかし、もうそれはイエス・キリストというメシアが来られたことによって、断食ではなく、食べたり飲んだりする愛餐会に象徴される喜びに生きることができるようになったのです。新しい救いの御業には、新しい信仰生活があるのです。イエス様によってもたらされた神様との新しい信仰生活を喜び生きることができる。弟子たちには喜びがありました。漁師をやめたペトロたちは、すべてを捨てて弟子になったのです。古い革袋を一切捨てて、喜びの輪に加わったのです。マタイは徴税人でした。彼も徴税人という仕事を捨てたのです。税金を取り立てる割り当ては決まっていますから、徴税人に戻ろうとしても簡単には戻れない職業でした。しかし、弟子たちが古い生き方に後戻りする可能性は十分にありました。事実、イエス様が十字架に架かられて葬られた後、また漁師の仕事へと戻って行った弟子たちがいました。信仰生活というのは成長することもあれば、後戻りすることもあるのです。古い生き方を捨てて、新しい生き方に生きるというのは、信仰を持った時の一度のことではなくて、日々御言葉によって新たにされ、繰り返すことによって、キリストに似た者へと成長していく、そこに喜びがあったのです。

Ⅲ. 二刀流という新しいぶどう酒

今年、日本の世の中を振り返った時、忘れられない人物は何と言っても大谷翔平選手です。二刀流という新しいスタイルで、新しい価値を示してくれた人ですし、成長し続けている人だと思いました。大谷選手が新しいぶどう酒だとすれば、革袋は新しいルールです。「大谷ルール」と呼ばれるものがいくつもありました。それはいろんな意味で変わっていったのです。選手登録の制度に、Two-Way Player(二刀流選手)という、新しいルールができました。チームには、ピッチャーとして登板する前後3日間は打席に立たないという、大谷選手に負担をかけない為のルールがあったのですが、この制限を撤廃して新しい起用方法にすると、一躍才能が開花したのです。大谷選手の成長と共に、ルールも変わっていきました。新しい才能に、制度が後から付いてくるようでした。新しいぶどう酒に、革袋が追い付かなくて、慌てて造られたかのようです。
私たちは、日々み言葉によって、新しいぶどう酒が注がれます。毎週日曜日の礼拝によって、新しいぶどう酒が注がれます。新しい気づきが与えられ、自分の新しい力、賜物を見つけて用いて頂くことができるでしょう。古い革袋のままで、賜物や可能性を閉じ込めていないでしょうか。今年与えられた、新しい何かを、新しい革袋をもって、新たな年に用いられることを願っております。

Ⅳ. ピストル 

今、世界は二つの戦争を抱えて年を越そうとしています。2022年2月に始まったウクライナ戦争は1年10カ月が経ちました。さらにガザとイスラエルにおいて新たなパレスチナ戦争が起こりました。さらに中国が軍事力を背景に台湾統一に乗り出すかも知れない。私たちは、戦争の時代に入りつつあるのでしょうか。
先日、寝る前に妻と息子三人で過ごしている時に、息子はプラスチックのピストルをいじっていました。引き金を引いたのではないのに、ピストルの弾が飛んで、私の胸に当たってしまったのです。「痛っ」と私が口にすると「パパごめんね」と言って、私の胸に飛び込んで来ました。私は怒りませんでしたが「もし本物のピストルだったら、パパ死んでたよ」と言うと、息子の目から涙があっと言う間に溢れ出て、大声で泣きだしました。しゃくりあげて、話そうとするのがますます苦しそうでしたが「パパが死んじゃう」とだけやっと言いました。息子は最近「死」ということに敏感になっていたのですが、ピストルのオモチャを通して「命」について何かを感じたのだと思います。
預言者イザヤは、争いの絶えない時代に、幻の中で神様のみ教えを聞きました。(4節)「彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦いを学ぶことはない」。これが世界中の全ての人が歩むべき道だと、イザヤは呼びかけました。「さあ、私たちも主の光の中を歩もう」。それが、人間の知恵に頼って紛争が続いた時代にイザヤが呼びかけた言葉です。2023年も最後の一日を迎えました。私たちが新しい革袋をもって、新しい年を迎えることができますように。
お祈りをいたします。