一粒の麦、地に落ちて死なずば
宮井岳彦牧師 説教要約
イザヤ書63章1-9節
ヨハネによる福音書12章20-36節
2024年3月17日
Ⅰ. 祝福の外にいると思われていた全ての人への福音
20節にこのように書いてあります。「さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。」私はこういう言葉を読むととても嬉しくなります。神さまに礼拝を献げるためにやって来た人々。しかも、ユダヤ人ではない。ギリシア人です。この当時、ギリシア人とユダヤ人とはあまり仲がよくなかったそうです。ユダヤ人からすれば、神の祝福の外にいると考えられていたのではないかと思います。しかしその中にも神を求める者がいて、祭りのときに神を礼拝しようとエルサレムまでやって来たのです。そう、この人たちは私たちと同じです。私たちも神の祝福からほど遠いところで生きてきて、しかし神を求めて今ここまでやって来たました。神を礼拝するために。
ギリシア人たちは主イエスの弟子の一人のフィリポという人に願いました。「イエスにお目にかかりたいのです。」フィリポというのは、弟子たちの中でもギリシア風の名前なのだそうです。少しでも話しかけやすそうな人、自分たちのことを分かってくれそうな人を見つけて、勇気を振り絞って何とか声をかけてみる。そんな彼らの思いが溢れているようだと思います。イエスにお目にかかりたい。本当に神がおられるのなら会ってみたい。そんな思いを抱えて彼らはやって来た。主イエス様に会うために、神さまを礼拝するために、勇気を振り絞ってここまでやって来た。これは、私たちの物語です。私たちのキリストとの出会いの物語です。
Ⅱ. 私の信仰は虚偽だったのではないか?
すると主イエスは答えてくださいます。「人の子が栄光を受ける時が来た。よくよく言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ(23〜24節)。」もしかしたらこれは聖書の中でも最も有名な言葉の一つであるかもしれません。
主イエス・キリストはこのすばらしい福音を、よそ者で、祝福の外にいると多くの人に考えられていたギリシア人たちがやって来た時に宣言してくださいました。
主イエスはおっしゃるのです。私は一粒の麦だ。これから地に落ちて死ぬ。主イエスは、ここではっきりと、これからご自分が十字架にかけられて死ぬとおっしゃった。しかし、一粒の麦が地に落ちて死んだ時に多くの実を結ぶように、私も多くの実を結ぶ。あなたたちこそその実りだ、と主イエスはおっしゃいます。あなたはキリストの十字架の死によって結ばれた実り。主ご自身がそう言ってくださる。
最近、原田季夫という牧師の伝記を読みました。1908(M41)年に神戸で生まれた方で、兄たちは揃って東京帝国大学を卒業し、季夫自身もやがて東京帝大に進むエリート一家で育ちました。幼い頃、キリスト者である母に連れられて日曜学校に通っていたこともあったようです。
1923(T12)年に一家で東京に移住し、その年に関東大震災に被災しています。人々の不安と動揺と混迷の中へ突き落とされる姿を目の当たりにしたということは、季夫の一つの原体験になったようです。その頃、季夫は路傍伝道を聞いて信仰に導かれ、震災翌年に洗礼を受けました。16歳、旧制高等学校1年生のときのことです。
ところが、高校2年の夏から3年の秋にかけて、季夫に大きな試練が襲いかかってきました。皮膚のあちこちに原因不明のでき物が生じて体を侵蝕しだした。季夫は深く悩みました。もしかしたら、自分はらい病なのではないか。
らい病。今はハンセン病と呼ばれるこの病は非常に激しく差別されてきました。この病が発症すると戸籍では廃人とされていました。しばらく前、ハンセン病患者に国策として行ってきた強制不妊手術について国家賠償命令が出たことも記憶に新しいです。国を挙げて差別してきたのです。「らい病」という言葉はこのような差別と偏見の歴史を負っているため、現代ではこの呼び名が避けられています。ただそのことはよく受けとめた上で、ここでは季夫が生きた時代を考慮し、この言葉をそのまま使っています。
季夫は深く悩みました。誰にも言えず、一人で。怖くて病院にも行けませんでした。「らい」と診断されることが恐ろしかったからです。信仰が激しく揺らぎました。日頃、独り子を与えてくださった神の愛を唱え、キリストの復活の恵みを信じてきたのに、「らい」なのかもしれないという試練に立たされた時、それを恐れ、生きる望みさえ見失ってしまう。自分の信仰の真実は一体どこにあったのか。これまでの自分の信仰は虚偽ではなかったのか。
私はここを読んで、胸が締め付けられるような気持ちになりました。よく分かります。順風のときには、私もキリストという一粒の麦の実りにして頂いたと信じられても、逆風激しくなるとすぐに信じられなくなる。忘れてしまう。神を求めようという心さえあやふやになってしまう。そんな偽り者の私は、神の祝福から遠く離れた外に立っているのではないか。
Ⅲ. 今こそ光の御言葉を信じよう
しかし、聖書は本当にすごいと思います。すばらしい解放の言葉です。聖書は私が知らなかった私の姿を、私に先だって発見しています。キリストの福音の光に照らされている私です。キリストは、ユダヤ人であれば誰もが素朴に神の祝福の外にいると思い込んでいたギリシア人の来訪によって、新しい福音の言葉を告げてくださいます。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」福音は私たちの内から湧き上がってくるのではありません。キリストにしか宣言することはおできにならない。あなたは私という一粒の麦が生んだ実りだ!キリストはこんな私にも告げてくださっている。
だから聖書は言います。「光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。(36節)」今です。キリストの光に照らされている今こそ!キリストの福音宣言に聞いている今こそ!この御方の告げる福音を信じましょう。
季夫はこの苦しみの中、フィリピの信徒への手紙第2章6から8節の御言葉に魂を貫かれたそうです。「キリストは、神の形でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の形をとり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで、従順でした。」季夫は病院に行って検査を受けました。結果的に「らい」の疑いは晴れた。しかし、彼はこの健康が自分を保つためのものではなく、神のご用のため、隣人を愛するためのものだと考えました。「らい」に苦しむ人のために奉仕することこそ神が私に求めておられる道と季夫は確信し、その道に進み出した。やがて、ハンセン病療養所に赴き、そこで牧師として仕え、患者のための神学校まで建てました。季夫は1967(S42)年、58歳の時にガンで亡くなるまで、キリストと「らい」に苦しむ人びとに仕えました。
Ⅳ. 私も一粒の麦にしてくださる
キリストはおっしゃいます。「私に仕えようとする者は、私に従って来なさい。そうすれば、私のいる所に、私に仕える者もいることになる。私に仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。(26節)」キリストに仕えたいと願うなら私に従え、と主イエスはおっしゃいます。ご自分について来い、と言われるのです。
しかしもしかしたら、原田季夫牧師の話を聞いて、こう思われた方もおられるかもしれません。「とても自分にはできない。」「自分とは違う立派な人の話だ。」しかしどうぞそのようにはお考えにならないでください。何度も立ち帰りたい。私たちのただ一つの出発点にあるのは、そして私たちの目指す先に待ち受けるのは、全部キリストのしてくださったことです。「よくよく言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」季夫の人生は言うなれば全部これです。いや、私たちも同じです。キリストが私たちのための一粒の麦として、ご自分を献げてくださった。
主イエスはおっしゃいます。「今、私は心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、私をこの時から救ってください』と言おうか。しかし、私はまさにこの時のために来たのだ。(27節)」キリストも心騒がせられるのですね。そして、この「私を…救ってください」の「私を」は、直訳すると「私の命を」という言葉が使われています。これは25節で「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む者は…」と言っている「命」と同じ言葉です。キリストは心を騒がせ、ご自分の命を救ってくださるように神に祈りたいと願いながら、そうはなさいませんでした。却って命を献げ尽くしてくださいました。私たちが永遠に神と共にいるために。私たちを神の光の中に生かすために。この事実が私たちを解放する。キリストに従う道を拓く。私たち自身を一粒の麦としてくださるキリストの愛の道がここに拓かれているのです。
お祈りします。