誰についていきますか?

<春の歓迎礼拝>  和田一郎牧師 説教要約
2024年4月14日
マタイによる福音書6章24節

Ⅰ. 「神」と「富」 

 今日は、春の歓迎礼拝です。この春はどのようなスタートをしていますか?スタートする人をスターターと言います。イエス様はいつもスターターでした。リレーの選手だったのではありませんが、その事を心に置いていただいて今日の聖書の話をスタートしましょう。
今日の話は、「誰も、二人の主人に仕えることはできない。・・・神と富とに仕えることはできない」というイエス様の教えです。二人というのは「神様」と「富」つまりお金です。仕えることは「主人」と「給仕」の働きに譬えられます。給仕は「主人のために何をしたらよいだろうか?」と考えます。富に仕えてしまうと「お金や富を蓄えるにはどうしたらよいか?」ということを第一に考えるので「お金のためになることならするが、そうでないことはしない」となってしまいます。
人間の心には「主人」という存在がいます。自分の願いや目的を達成するための基準となる「主人」です。私たちは自分が自分の主人でありたいと思っていますが、イエス様は「神」と「富」二つの主人を提示しています。つまり自分の主人は自分のようでいて、自分ではないということです。例えば、自分で強くありたいと思っても強くなれない。自分で正しくありたいと思っても正しくいられないのですから。
旧約聖書の創世記を見ると、人は一人で生きていくことはできないですし、そもそも人は神様に似た者として造られました。ですから神様に従って生きることが、本来の人間らしく生きる生き方なのです。しかし、自由な意志を与えられた人間は、勝手に神様以外のものに従ってしまうのです。自分という主人に従ってしまったり、「富」に従ってしまうことがあるのです。神に仕える人は、自分に相応しい道を歩むことができるのですが、富に仕える者はそれが見えなくなってしまう、だからイエス様は言うのです。「誰も二人の主人に仕えることはできない」と。

Ⅱ . 戦国武将 高山右近

   二人の人物に注目しました。まず、高山右近という戦国武将です。高山右近が信仰を持ったきっかけは、右近の父が洗礼を受けたのがきっかけで、家臣と家族150人が洗礼を受けた中に12歳の息子、高山右近もいたのです。
  21歳で城主となっていた右近は、自分の城内に教会を建て、クリスマスを祝い、亡くなった農民の棺を自ら担いだと言われています。その後、織田信長に仕え、本能寺の変の後は豊臣秀吉に仕えて、明石六万石の大名となり秀吉の信頼を得ていきます。
しかし、豊臣秀吉は、主君より神を崇拝しているキリシタンを良く思わず、バテレン追放令を出したのです。秀吉は右近を家臣として高く評価していたので、棄教(信仰を棄てること)を勧めました。
残っている資料によると秀吉は3回も使者を送って説得しようとしました。しかし「自分はいかなる方法によっても秀吉殿に無礼な振る舞いをしたことはない。全世界に代えてもキリシタンであることと自分の魂を棄てる意思はない。よって明石六万石を即刻返上する」と答えました。
その時の右近の頭には本日の聖句「誰も、二人の主人に仕えることはできない・・神と富とに仕えることはできない」という聖書の言葉が浮かんだのではないでしょうか。
秀吉の説得を拒んだことによって明石六万石を没収された右近は、一年ほど逃避行の生活をしましたが、金沢の前田利家が高山右近家族を引き取ったのです。そこで信仰と茶の湯を中心とした生活を続けたので、各地からキリシタンたちが金沢に集まってきて金沢の領内でいくつかの教会を建立したとされています。
その後、徳川幕府は突然キリシタン追放令を発令したのです。この時も高山右近は、神に従うのか、この世の主君に従うのか、選択を迫られたのです。この時も高山右近は神に従うことを選んで、高山一族は日本を離れフィリピン・マニラに向かいました。右近は60歳を超えていました。その出来事は、イタリアのローマ法王にも届き、信仰ゆえに国から追放されたキリスト者がマニラに来るということが伝わって、マニラの港では政府の代表や宣教師たちが温かく迎えたと言われています。当時マニラはスペイン領でしたが、スペイン国王から右近たちを保護するという約束が伝えられたのです。しかし、到着して数年後に63歳で天に召されました。
右近の生涯は、戦国武将として戦いにつぐ戦いの連続。後にはキリシタン禁令という迫害との闘いの連続でした。しかし、一貫していたのは「誰も、二人の主人に仕えることはできない」、戦国武将でありながら、将軍に仕えることなく、最後まで神にだけ仕える人生を送った人でした。右近が金沢で暮らしていた時、1500人ものキリシタンがいたと記録されています。なぜかというと、そこに喜びがあったからです。お金では買えない喜びがあったのです。この世の「富」ではなく、聖書の「神」に仕える生き方には、お金では買えない喜びがあったのです。

Ⅲ. ザアカイ  

イエス・キリストが生きた時代にも、お金では買えない喜びを知った人がいました。ある町に税金を集める徴税人ザアカイという人がいました。ローマ帝国の手先となって税金を取り立てるのが徴税人でした。彼らは同胞のユダヤ人から規定以上に取り立てて私腹を肥やしていたので、ザアカイは町の嫌われ者でした。
その町を通りかかったイエス様はザアカイに声を掛けたのです。「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と。それを聞いたザアカイは「急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた」(ルカ 19:6)。ザアカイに喜びが生まれたのです。そして「わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、誰からでもだまし取ったものは、それを四倍にして返します。(ルカ19:8)」と言いました。イエス様は言われた「今日、救いがこの家を訪れた(ルカ19:9)」と。
イエス様は嫌われ者だったザアカイの家に、初めから泊まることにしていました。ザアカイが自分の財産から施したからザアカイを信頼して、彼の家に泊まったのではないのです。ザアカイが何か善いことをするよりも前から信頼したという、この順番こそ神の愛を明確に表しているのです。イエス様は、まず先に信頼する、まず先に愛してくださったのです。それがザアカイを変えました。
その後、ザアカイが徴税人の仕事を辞めたとは書かれていません。徴税人という仕事は変わらなくても、お金を稼ぐことは続けていても、彼はお金に囚われる生き方から解放されたのです。神の愛という、お金では買えない喜びを知ったからです。「富」ではなく「神」に仕える徴税人として働き続けたのです。

Ⅳ. キリストに従って行く

高山右近とザアカイ。二人ともイエス・キリストを知って生き方を変えた人でした。二人共お金では買えない喜びをイエス様を通して知った人でした。新約聖書に次の言葉があります。
「これまでに書かれたことはすべて、私たちを教え導くためのものです。それで私たちは、聖書が与える忍耐と慰めによって、希望を持つことができるのです。」(ローマ書15:4)
聖書に書かれたことは、私たちを導き、希望をもたせる力があります。イエス様は、まず先にザアカイを信頼してくださいました。そして、まず先に私たちを愛してくださいました。イエス様はいつもスターターでした。今日私たちは、富ではなく、イエス様について行くことの大切さを受け取りました。まず自分がスターターとなって下さったイエス様に倣い、まず自分から人を信頼し、まず自分が愛を現わす。この一週間スターターとなってキリストに仕えていきましょう。
お祈りをいたします。