正しい人ヨセフ

和田一郎牧師 説教要約
2024年5月5日
出エジプト記2章1-10節
マタイ福音書1章18-25

Ⅰ.正しい人ヨセフ

 神様は、ご自身の独り子を、この世に送ることをお決めになりました。そのために乙女マリアの胎を借りることをお決めになったのです。まず、そのことをマリア本人に告げなければならない。天使を通して彼女に告げました、それがルカによる福音書に書かれている「マリアへの告知」です。マリアは天使の言葉に驚きましたし、信じがたい思いがありましたが、神様の御心がこの身になりますようにと、神様の言葉を受入れました。しかし、そのことはマリアの婚約者であるヨセフにも知らされなければなりません。
ヨセフは、マリアとの婚約期間が終われば、夫婦になれると、その日が来るのを待ちわびていたことでしょう。ところが、そんなヨセフの耳に、「どうもマリアは、子を宿しているようだ」という事が耳に入ったのです。ヨセフはショックを受けたことでしょう。マリアを心から愛し信頼していたでしょう。ヨセフは、信じられずに「何かの間違いではないか」と思ったはずです。普通の男性ならば「マリアに裏切られた」と思うのではないでしょうか。 
当時のユダヤ人社会は、このようなことが公になった場合、マリアは「石打ちの刑」を受けて死ななければなりませんでした。しかし、ヨセフはマリアを愛していましたから、マリアを助けるために、「自分とマリアとの子だ」と言って、婚約期間中に関係を持ったと偽ることもできたのですが、ヨセフは、「正しい人」だったので、そのように偽ることはできなかった。
悩みに悩んだ末に、ヨセフは、マリアを助けようとして、ひそかに婚約を解消しようとしたのです。そうすればマリアは石打ちの刑になることもなく、生まれてくる子どもを、私生児として育てていくことができるからです。

Ⅱ . マリアの思い

  ところで、なぜマリアはヨセフに事情を説明しなかったのでしょうか。おそらくマリアは、この難しい問題を神さまに委ねたのでしょう。「きっと神様が最善の方法でヨセフに、この事を分からせてくださる」、と全面的に神さまを信頼して、委ねていたのではないでしょうか。
「お言葉どおり、この身になりますように」と天使に言った、その思いと同じように神様に委ねていたのです。

Ⅲ. ヨセフへの告知  

そして、ヨセフが「ひそかに婚約を解消しよう」と考えていると、天使が夢に現れて言ったのです。
20-21節「ダビデの子ヨセフ、恐れずマリアを妻に迎えなさい。マリアに宿った子は聖霊の働きによるのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
つまり神様は、マリアはあなたを裏切ったのではなくて聖霊によって身ごもったのだ、だから安心して彼女を妻として迎え入れ、生まれてくる子どもをイエスと名づけなさい、と告げたのです。  
この時、天使は「ダビデの子ヨセフ」と呼びかけました。彼がダビデの子孫であったからです。旧約聖書の預言で救い主はダビデの子孫から生まれると預言されておりました。(サムエル下7:8-16)さらに救い主は、ベツレヘムで生まれるとも預言されていましたのです(ミカ5:1)。ヨセフはベツレヘム出身のダビデの子孫でした。
さらに「イエスと名付けなさい」と天使に告げられました。この場合、ヨセフは婚約を解消しようとしていたのですから、名前をつけるというのは、自分の子であることを認めて自分の子どもとして育てなさい、ということです。ですから神様が彼に求めたのは、マリアを妻として迎え入れるだけでなく、自分によらないところで身ごもった子どもを、自分の子として受け入れて、その父となることです。
果たして、ヨセフはどうしたでしょうか。ヨセフには、受け入れる責任も義務もありませんでした。ですから断ることもできました。婚約を解消したからといって非難されることもなかったでしょう。しかし24節「ヨセフは目覚めて起きると、主の天使が命じたとおり、マリアを妻に迎えた。しかし、男の子が生まれるまで彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。」とあります。
つまりヨセフは、神様の御言葉の通りに従ったのです。マリアは聖霊によって身ごもったと言われても、「よく分からない」というのが本音であったでしょう。しかし、ヨセフは神様の言葉を信じたのです。ヨセフはいろんな選択肢を考えて、最善の方法は「ひそかに離縁する」ということでした。しかし、神様を信じる信仰がヨセフにはあったのです、「正しい人」でした。常識ではあり得ないことですし、よく分からなくても神様を信じて、マリアを信頼して妻として迎え入れようと決心したのです。そして生まれた子を、神様の言葉の通りにイエスと名づけました。

Ⅳ. 神の家族という恵み

ヨセフは、自分によらないところで身ごもった子どもを、自分の子として受け入れました。つまり、ヨセフはイエス様の養父でした。しかし、イエス様を養子とは呼ばないのです。父なる神様の独り子ですから、父なる神様の実の子、長男ですからヨセフの養子とは言いません。そうするとマリアはイエス・キリストの生みの親、母親とされていますが、ヨセフは養父ですから、イエス様との関係において親としてのアイデンティティに苦しむということが、少なからずあったのではないかと思うのです。
そのような血縁関係にない親子関係というのは、養子縁組とか養育里親の関係でもあるわけです。そして、教会では霊的な家族を「神の家族」と呼んでいます。血縁関係がなくても、霊的な関係を大切にしています。聖書は一貫して、この血縁関係とは別の霊的な家族関係を大切にしているのです。
出エジプトの出来事では、モーセが養子として成長したことが書かれています。モーセはヘブライ人の家庭に生まれましたが、ファラオの恐ろしい命令によって、赤ちゃんの時に殺される運命にありました。しかし、家族の知恵によって王女の養子となり、エジプトの王宮の一員として成長したのです。奴隷の子として殺されるはずが、養子という形で神様に守られたのです。
私たち人間は、もともと霊的な孤児でした。信仰をもつ以前は、父なる神様から遠く離れている孤児でした。しかし、父なる神様の独り子であり、長男であるイエス様を、救い主として信じることによって、私たちは神の家族に養子として加えられたのです。それで「アッバ父よ」と主なる神様を呼ぶことができたのです。
使徒パウロは、そのことをガラテヤの信徒への手紙で「養子縁組adoption」という言葉を使って、霊的な家族関係にある恵みを説明しています。
「それは、律法の下にある者を贖い出し、私たちに子(養子)としての身分を授けるためでした。あなたがたが子であるゆえに、神は「アッバ、父よ」と呼び求める御子の霊を、私たちの心に送ってくださったのです。」(ガラテヤの信徒への手紙4章5ー6節)
私たち(和田)夫婦は、このガラテヤ書4 章の御言葉から「養子縁組」や「里親」になることを祈り続けてまいりました。結婚した年に妻は妊娠しましたが流産となり悲しみを経験しました。その後、不妊治療を試みましたが妊娠には至らず夫婦にとって経済的、精神的にも負担となったので断念したのです。高座教会に赴任してから特別養子縁組と里親制度について祈りはじめ、手続きが済んだところで妻が自然に妊娠しました。2017 年に長男が生まれ、神様の大いなる恵みに感謝してきました。これまで流産、不妊治療の経験、里親、養子縁組の取り組みをしてきたことも、神様の御心ではないかと受け取ってきました。
さまざまな事情で家庭の温もりを味わうことができない子どもが、この世の中にいることも知りましたので、そのような子どもを、我が家で受け入れたいと示され、講習と実習を受け2023 年に養育里親の認定を受け登録されました。どのような形で里子と関わるかは、相手の子どもの状況によってさまざまですし、すべて神様に委ねております。
私たちキリスト者は信仰によって神を父とし、イエス・キリストを長子とする養子とされました。それによって兄弟姉妹と呼び合うことができる「神の家族」とされましたので、その恵みを証ししていきたいと願っております。

Ⅴ. まとめ

イエス・キリストの養父となったヨセフは、どのような思いで子育てをしたのでしょうか。イエス様と血縁関係はないけれど、マリアの胎内にいた子の父となることを決めたのです。神様はヨセフに、「その子をイエスと名付けなさい」と、生まれてくる子の「名づけ親」という名誉を与えてくださいました。この子はあなた自身の子ではないが、父親としての愛情を示すようにと任命されたのです。事実、イエス様の命をヘロデ大王が狙った時に、ヨセフは家族を守るためにエジプトへ亡命しました。血縁関係がなくても養父と子という「神の家族」とされた絆は強いものでした。
すべての親にとって共通した恵みがあります。それは、子どもに対する親の愛は、私たちに対する父なる神の愛に根ざしているということです。親の愛とは血による関係を問わず強いものです。父なる神様と私たちの関係は、この親の愛に根ざした絆です。この神の家族とされた恵みを味わっていきましょう。
お祈りいたします。