洗礼者ヨハネの証し
<第2アドベント>
和田一郎牧師 説教要約
2025年12月7日
イザヤ書61章1‐4節
ヨハネによる福音書1章6-8節,19-28節
Ⅰ. お前は何者だ
本日はアドベント第2主日です。今日の聖書箇所19節は「さて、ヨハネの証しはこうである」と始まります。荒れ野に現れて、人々に洗礼を授けていた洗礼者ヨハネが、いったい何者なのかが明かされていく場面です。エルサレムの宗教指導者から派遣されてきたユダヤ人たちは、ユダヤ中で評判となっていたヨハネに向かって「あなたはどなたですか」と問いただしました。しかしそれは、単にヨハネの名前を尋ねたのではありません。ヨハネが人々に洗礼を授けていましたが、洗礼とは人と神との関係を新たに整える重大な行為ですから、まさにそこを問題にしたのです。「お前に、そんなことをする資格があるのか。丁寧な響きの「あなたはどなたですか」ではなく、実際には「お前はいったい何者なのか」と迫るような、厳しい問いだったのです。ヨハネは、まさにその鋭い問いかけの前に立たされ、自分が何者であり、何者ではないのかを証しせざるを得なかったのです。
Ⅱ. ヨハネの証し
ヨハネはこの問いに対して「公言してはばからず『私はメシアではない』と言った。」とあります。ヨハネが「私はメシアではない」と言ったことを受けて人々は「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねました。エリヤは旧約聖書に出てくる預言者ですが、マラキ書 3章23に「私は預言者エリヤをあなたがたに遣わす」とエリアがもう一度現れる、と旧約聖書にあります。お前は自分が救い主メシア、キリストではないけれどもエリヤだと言うつもりなのか、と彼らは問うたのです。それに対してヨハネは「違う」と答えました。すると彼らは更に「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねます。「あの預言者」というのは「モーセのような預言者」(申命記18:15)のことで、やはり救い主が来る時に遣わされると考えられていた人です。しかしヨハネはそれに対しても「そうではない」と答えました。つまりヨハネは、「わたしは救い主ではないし、神による救いをもたらす者でもない」と言ったのです。
Ⅲ. 主の道をまっすぐにせよ
しかし、エルサレムから派遣されてきた人々は、ヨハネの答えが「〜ではない」という否定ばかりであることに納得できませんでした。そこで彼らはさらに詰め寄るように言います。「では、あなたはいったい誰なのですか。あなたについて報告しなければなりません。あなた自身を、何であると言うのですか」。つまり、「何者なのか」を問うている以上「〜ではない」という否定だけでは不十分で、「私はこれこれである」という明確な言葉を求めたのです。
それに対してヨハネは、イザヤ書の言葉を用いて答えます。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒れ野で叫ぶ者の声である」。これはイザヤ書40章3節の引用です。ヨハネ福音書は、洗礼者ヨハネが自ら「荒れ野で叫ぶ声」であると自覚し、その“声” としての使命に徹して生きたと証言します。声とは、一瞬響いて消えていくものです。声そのものに目的があるのではなく、声が指し示す別の存在に意味があるのです。一方でキリストは「ことば」と表現されました。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネ1:1)とあるように、ヨハネの消えていく「声」に対して「ことば」とは、永遠に変わらない神の真理そのものが「言葉(ロゴス)」として人となり、私たちの間に住まわれたのです。つまりヨハネは、「声として生きた」。それはすなわち「証しのために生きた」ということです。彼は、自分がメシアでもなければ、エリヤでもなく、あの預言者モーセでもないことを明確にした上で、「私は救い主ではない。ただ、『主の道をまっすぐにせよ』と告げ知らせる声だ」と語り、まさにその言葉によって主イエス・キリストを証ししたのです。
洗礼者ヨハネが預言の言葉どおり「主の道をまっすぐにせよ」と言ったのは、救い主を迎えるために心の準備をしなさいという呼びかけです。人は誰でも、気づかないうちに自分中心の道を歩みます。神様に背を向けて生きています。ですからヨハネの「道をまっすぐに」との呼びかけは、「背を向けず方向転換をしなさい」というメッセージです。古代から、国を治める王が、ある町に来るときには道を整えたといいます。たとえば、相模大野から座間キャンプ基地まで、小田急小田原線に沿って、小田急相模原駅と相武台駅をぬけていく道を「行幸道路」といいます。かつて昭和天皇が、陸軍士官学校の卒業式に行幸するための道路として作られたため「行幸道路」と呼ばれるようになったそうです。それまでは畑の中の曲がりくねった細い道だったそうで、余計な障害物をどかして、雑木林を切り開いて士官学校の卒業式に間に合わせるために2ヶ月間の突貫工事がおこなわれ整備された。その後毎年卒業式には、その道を行幸したそうです。洗礼者ヨハネはその「主の道をまっすぐにせよ」と言って「道」を人の心にたとえました。つまり、傲慢や妬み、怒り、偽りなどの“心のでこぼこ”を悔い改めによって正し、神に向き直ることです。また、忙しさや不安、比較や無関心といった雑音を静め、神の声を聞くための余白を持つこともそうです。それは立派な行いを積むことではなく、神の恵みがまっすぐに届くように、自分の内を整えることなのです。主が通られるのを妨げる障害物を取り除き、人生の優先順位をもう一度選び直すとき、私たちの心にイエスを迎えるまっすぐな道が開かれます。
ヨハネ福音書1章28節は、洗礼者ヨハネの出来事が「ヨルダン川の向こう側、ベタニア」で起こったことを、あえて記しています。「ベタニア」はエルサレム近郊のマリアとマル姉妹が住んでいたベタニアとは別の場所で、エルサレムから離れた荒れ野の辺境の地でした。これは単なる地名の説明ではありません。この場所が荒れ野の辺境という土地であったことを示すことで、神の救いの始まりは宗教的中心地ではなく、人の思いを超えたところから起こるというメッセージを伝えています。また「ヨルダン川の向こう側」というのは、イスラエルの民が約束の地へ入る時に渡った「新しい出発の象徴」でもあります。そこでヨハネが洗礼を授けたことは、古い生き方から新しい生き方への転換を表しています。洗礼者ヨハネの証しがそこで始まり、この後、ヨハネとイエス様との出会いの場がこの「向こう側」であったことは、神の働きが周縁から働かれ、予期しない場所で人を招かれることを表しています。つまりこの地名の記述は、救いの出来事が具体的な歴史の中で、しかも私たちの常識を超えた場所から始まることを知らせているのです。
Ⅳ. 主イエスを証しして生きる喜び
「自分ではなく、キリストを指し示す、救い主を証しする」生き方をした人がいます。韓国の地方都市、木浦(モッポ)という港町があります。そこにある共生園という施設は電気もガスもない粗末なバラックで震える孤児たちが生活していました。そこで平凡に生きた一人の女性、田内千鶴子(1912年-1968年)さんは、ただ「お母さん」として生きました。7歳のとき、父の仕事で高知から韓国に引っ越しますが17歳のときに父親は病死。助産婦をする母の稼ぎで女学校を卒業しますが恩師に頼まれ、キリスト教伝道師の韓国人・尹致浩(ユンチホ)さんが幼い孤児たちと暮らす「共生園」へ赴きます。食事のあいさつや、顔を洗うことを教え、死んでいく子に寄り添い、ひと晩抱いて眠ったといいます。リンゴを口でかみ砕き病気の子に食べさせた姿を子どもたちは忘れませんでした。「この女性はきっと神様の贈りものだ」と夫となる尹(ユン)氏は思いました。しかし彼は日本人を妻にしたことで迫害されました。戦後の混乱や侵略した日本人への恨みがありましたが、千鶴子さんは韓国を去らずに、ただ目の前の一人のために韓国語で語りかけ、チマチョゴリを着て「尹鶴子」と名乗り、3000人もの孤児を守り育てました。彼女は聖書の言葉を説き明かす牧師でもなく、宣教師として宣教団体に所属していたのでもありません。孤児たちの母となってキリスト者としての生き抜いた人です。
多くの人々の心を、キリストへと道をまっすぐに整えたのではないでしょうか。
洗礼者ハネに向かって、「あなたは何者か」という問いに答えて「まことの救い主を指し示す“声” に過ぎない」と言いました。その声の響きはやがて消えていきますが「ことば」は永遠に人々の命となって生き続けるのです。
お祈りをいたします。


