広げよう、神の家族として生きる喜び

ー2026年活動方針を踏まえてー

和田一郎牧師 説教要約
2025年11月2日
ヨハネによる福音書15章11-17節

Ⅰ. 合同した教会の恵みとこれからの歩み

主題「広げよう、神の家族として生きる喜び」
主題聖句「私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」(ヨハネ福音書15:11)
11月の第一主日の礼拝は、翌年の教会の活動方針をもとにお話をしています。今年2025年1月5日に、私たちは高座教会とさがみ野教会がひとつとされ、「喜びのある教会をめざして」という主題のもとでスタートした一年です。毎週、二か所の礼拝堂で主日に礼拝をささげ、互いに顔を合わせ、祈り、励まし、手を取り合って歩むことができたことは、主の恵みです。今年、私たちが体験した「一つとなる喜び」を、2026年はさらに広げていく年としたいのですが、その主題(テーマ)を「広げよう、神の家族として生きる喜び」としました。私はよく「神の家族」とかファミリーという言葉を使うのですが、キリスト教会は信徒同士で兄、姉、兄弟姉妹と呼び合う関係です。そして神様を父として、自分たちを子とされたと表現します。
私は以前見た映画『そして父になる』について、日々のみことばメールで書きました。その映画は二人の父親には6歳の息子がいて、六年間育ててきた息子が、出産時に取り違えられていたという衝撃の事実が分かって、親子は「血のつながりか?」それとも「育てた愛情か?」という葛藤の中で家族って何だろうと考えさせられた映画です。この映画で考えさせられたのは「愛するとは、時間をかけること」だということでした。
高座教会は創設以来77年間、さがみ野教会は48年間、礼拝を捧げて宣教してきました。長い時間をかけて「神の家族」を育んできたのです。そこには喜びがありました。その中心にある御言葉が、2026年の主題聖句である言葉です。「私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」
イエス様は、私たちが単に仲良くすることを願っておられるのではありません。
神の家族として、キリストの喜びに満たされ、その喜びを世界に広げていくことを願われています。キリストが与える「喜び」とは、どこから来るのでしょうか。ヨハネ15章は、イエス様が「ぶどうの木」としてご自身を語り、私たちが「枝」であると示された箇所です。キリストに結ばれるとき、そこに神のいのちが流れ、平安と喜びが生まれます。教会とは「互いに頑張って作り上げる組織」ではありません。キリストに結ばれた枝が育ち、実を結ぶ、神の家族です。その喜びは、血縁を超えて広がり、子どもも大人も、独身者も高齢でお一人暮らしの方も、信仰歴が短くても長くても、誰もひとりぼっちではない共同体、つまり「神の家族」という信仰共同体を形づくります。地域には神様を知らない人たちがたくさんいます。私たちの家族や友人にも神様を信じようとしない方がいます。そうしたかたが神の家族に加わることを祈り求めていきたいと思います。

Ⅱ. 2026年以降のビジョンとして

ビジョン①:地域へ喜びを広げていく。
私たちは子ども食堂「みんな食堂ふらっと」、こどもオアシス「どんぐり」、みどり幼稚園では親子礼拝が始まり、さがみ野チャペルでは土曜日の「サタデーパレット」に地域の子ども達、家族が集まっています。こうした働きの中で、小さな「出会い」と「祈り」が生まれてきました。地域の家庭を神の家族へと迎え入れる。それは、ただイベントをすることではありません。地域の人々が、ブドウの木のように「ここに繋がりたい」と思える場所をつくることです。子ども食堂がスタートし、今後は学童保育、発達支援活動など賜物を引き出す支援活動について、必要であればNPO法人というかたちも検討しながら、かつて「みどり幼稚園」がそうであったように、地域と繋がる懸け橋になる法人を作ることも視野に入れたいと思います。


ビジョン②:人生をともに祝い、涙を分かち合う教会へ。
冠婚葬祭といったライフイベントを大切にしていきたいと思います。洗礼、成長の感謝、成人の祝い、結婚、葬儀、召天者記念。人生の節目を神の家族として祝い、祈り、支え合う。さっそく今月の成長感謝礼拝も、幼稚園とキッズチャーチの子どもたちに焦点をあてて行いますが、子ども達だけではなく、親子で礼拝に集い、祝福を味わう礼拝にしたいと取り組んでいきます。そして、今後も七五三に替わって、子どもの成長を教会で祝福していただけるように取り組んでいきたいと思います。
また、納骨堂の設置を祈りつつ検討しております。天に召された方々も、地上に生きる私たちも、同じ唯一の神様を礼拝しています。高座教会では5月の召天者記念礼拝と、冨士霊園での墓所礼拝を捧げておりますが、冨士霊園は御殿場にありますので、遠くて行けない方も増えています。また、いつも捧げているこの高座教会の礼拝堂で行う主日の礼拝を、讃美歌29番のように「天のみ民も、地にあるものも、父・子・聖霊なる神をたたえよ、とこしえまでも」と称えているように、主日の礼拝をより深い意味を与えて捧げたいと検討しています。主の祈りでは、「聖徒の交わり」を信じます。と祈りますが、天に召された方も、ここに集う私たちも、同じ聖徒として交われます。それは、自分が天に召されても、残った遺族が教会に集う機会を作ります。主を礼拝することを、次の世代に受け渡し「ここで祈り、ここで送り、ここで再会を覚える」そのような信仰の家を築いていきたいと考えております。


ビジョン③:小グループからなる教会
「だれも独りぼっちにならない教会」。この思いから始まった小グループが高座教会には沢山あります。この小グループが、さらに教会そのものになることを願っております。
祈り会、家庭集会、ニーズ型グループ、さらに、すでに活動している奉仕のグループもすべて小グループです。それらの小グループが、相互牧会の場と捉えていきたいと考えております。それぞれが声をかけあい、支え合い、祈り合い、訪れ合う。第二の家族として互いを担い合う。この交わりが、世代や経験を越えて広がるとき、高座教会は本当の意味で、小グループからなる「神の家族」、小グループからなる教会となることを目指していきます。


ビジョン④:感謝の応答としての献金
私たちの献金は、負担でも義務でもありません。教会を建てあげ「神の家族」が集い喜びを味わうことのできる、恵みへの応答です。
収入の十分の一を捧げる、什一献金の呼びかけをこれまで行ってきましたが、現在のスチュワードシップ献金ですべてをまかなうことは難しいので、将来に繋げるための積立の献金をすることにしました。高座教会創立100年は22年後です。今の施設はそのまま修繕を重ねて持続させる必要があります。さらにその先に向かってバトンをつなぐため。2047年に迎える「2回目のヨベル年」に向かって先例に倣い積立の献金を始める必要があります。ダビデ王は、若いソロモンのために神殿建設の準備をしました(歴代誌上22:5)。
今の子どもたちが、次の世代の教会を担うとき「この教会があってよかった」と言えるように、毎月の月定献金と積立て献金を含む、什一献金を捧げていきたいと思います。


ビジョン⑤:若く成長していく
< Growing young > 私たちは、40代以下のミドル層・若者世代が、教会において安心して根を下ろし、信仰と人生の歩みを共に育むことのできる居場所となるように取り組んでいきます。現代の若い世代は、多忙な仕事や子育て、将来への不安、孤立感など、心も時間も多くのプレッシャーにさらされています。その中で、教会は「もう一つの家族」として励まし、共に泣き、共に喜ぶ共同体であることを求められています。イエス様は「わたしはぶどうの木」の話の中で繋がりの中でこそ命が育まれることを教えてくださいました。若い家庭の子育てを支えること、独身の社会人が励ましを受けること、学生が将来に向かう勇気を得ること、転職や転居など人生の転機において教会が「戻って来られる場所」であること。そのために、小グループを整えて、世代を越えた交わりの機会を作り、教会に出入りする誰もが「ここにいていい」「この場所で生きていい」と心から感じられるように、神の家族という土壌を作っていきます

Ⅲ. 喜びを内に、地域に

イエス様は言われました。「私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」2026年、私たちはこの言葉を握って歩みます。神の家族としての喜びが、まず私たちの心に満ち、礼拝堂に満ち、そして地域へ、世界へと広がっていきますように。
神の家族として、共に喜びを広げていきましょう。お祈りいたします。