苦の先にある幸い

和田一郎副牧師 説教要約
ダニエル書3章13-18節
ぺトロの手紙一3章13-18節
2023年7月30日

Ⅰ. 「たとえそうでなくても」

今日、お話したダニエル書の話は、紀元前6世紀、バビロン帝国で起こった出来事です。バビロンの王が3人のユダヤ人青年に向かって金の像を拝むように命じました。もし拝まなければ火の燃える炉に投げ込まれると言われましたが、3人は、主を信じていましたから(17,18節)「私たちが仕える神は、私たちを救い出すことができます…たとえそうでなくとも…あなたが立てた金の像を拝むこともいたしません」と揺るぎない信仰を口にしました。「たとえそうでなくとも」という言葉は、私たちの信仰が、ご利益を求める信仰ではなくて、願いが叶っても、叶わなくても、神様は最善の道を知っておられて、必ず人智を超えて最善を成してくださる。その揺るぎない信仰が「たとえそうでなくとも」という言葉に込められています。

Ⅱ. 日本による迫害

朝鮮人女性が書いた『たといそうでなくても』という本があります。著者の安利淑アン・イ・スク先生は1908年(明治41年)に朝鮮で生まれましたが、間もなく日本が朝鮮に軍事侵攻して朝鮮は35年間植民地となりました。その時代に生れたアン先生は、朝鮮の資産家の家に生まれ、宣教師に洗礼へと導かれた母親の信仰を受け継いで育ち女学校の教員となりました。
ある日、教員・生徒を朝鮮神社に集めて参拝させられることになりました。アン先生が熱心なクリスチャンであることは全校生徒・教師が知っています。「敬礼」という号令と共に全員が最敬礼する中、一番前の列に立たされたアン先生は「たとえそうでなくても」と心の中で繰り返し、空を見上げて頭を下げませんでした。その後、身を隠す生活を余儀なくされますが、やがて投獄されるだろうと考え、刑務所の中で信仰を守れるようにと、聖書から100章の聖句と、讃美歌150曲を暗記しました。ついに逮捕されて6年間刑務所で監禁されました。しかし、アン先生と同じ監房に入れられた囚人たちは穏やかになっていく。囚人たちの多くは、それまで優しくされたことが無かったという人が多かった、自分に対して親身になって敬意をもって接してくれるアン先生によって変わっていくのです。アン先生は刑務所の中にやって来る女性たちが、信仰によって生まれ変わる、その神様の御業のために働こうと決心すると希望が満ちていったのです。
ある女性は元芸者で、アン先生の優しさにも、聖書の言葉にも関心を持たない人でした。しかし、なにより歌が好きで、讃美歌を聞くと、彼女も歌うようになり、心を開いて信仰に導かれていきました。御言葉と讃美歌によって、変えられていったのです。

Ⅲ. 投獄された経験をもつペトロ

今日、朗読した手紙を書いたペトロも牢獄にいれられるという経験をしました。この手紙はキリスト教会に対する迫害が強くなっていく時代に、教会の信徒に向けて、励ましのために書いたのです。イエス様への信仰ゆえに苦しみを受けることがあっても幸いですと。
ある日本人の看守が囚人に「野郎、出てこい」と引き出して床の上に正座させ殴った。体中から血が流れ、気絶して倒れたのを見て「いい運動になった」と言って他の囚人にかたずけさせた。おそれて誰も何も言わなかった。アン先生は取調べ中に感想文を書くように言われ日本警察の非道を20枚に渡って書いたのです。そのような文章を書いたなら、「今度こそ自分は殺される」という思いでした。ところがある看守が「あなたが有名な女性ですね。大変な文章を書いたために、あの日本人看守はクビになりました。署長から警官一同に訓示があって、あんたが書いた文章は、全国の警察に送られましたよ」と。優れたアン先生の文章によって、看守から署長に至るまで、一目置かれる存在になっていった。「正しい良心で、弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの善い振る舞いを罵る者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになります」。という言葉が、そこで現実のものとなっていたのです。多くの囚人と刑務所員たちが、アン先生の信仰によって変わっていったのです。
監禁生活6年の後、1945 年の終戦を迎え解放されました。解放されたアン先生は、今の北朝鮮のピョンヤンにいたのですが38度線を越えてソウルへ戻ると、あるアメリカ人女性が会いに来たのです。彼女は「アン先生のことは、アメリカでは有名な話になっているのですが、何もご存じではないのですか?」と言うのです。実はアメリカ人の宣教師が朝鮮の刑務所にいて、アン先生の話を聞いていたので、それをトラクトにしてアメリカで配っていたのです。そのアメリカ人女性は、是非アメリカに来て証しをしてください。とアメリカへの渡航費を渡して、アン先生は渡米することになり、その後、韓国人キム・ドンミョン牧師と知り合って結婚。英語名をエスター・キムとして、ロサンゼルスで(ベレンド・ストリート・バプテスト)教会を設立し、夫婦で牧会をしました。エスター・アン・キム先生は1997年にアルツハイマー病で亡くなるまで、牧師婦人として伝道を続け著書 ”If I perish” 『もし私が滅びたら』はベストセラーとなりました。

Ⅳ. 武力を「贈与」するという平和の在り方

今年は戦後78年を迎えます。先日カンバーランド日本中会の平和講演会が行われました。「破局の中の希望」と題して、戦争と憲法九条についての講演会でした。戦争を放棄することは、戦争を仕掛けてくる相手に降伏するとか服従することを意味しないと、話されていました。戦争の放棄とは、積極的な「贈与」として行われると言うのです。武力を増強するのではなく「贈与」すると表現されていたのが印象的でした。武力を増強する相手国に対して武力を持たないという在り方は、非現実的だという考えが、今を取り巻く世界各国の方向性です。いや今だけではなく、人類史上繰り返されてきた考え方です。しかし、平和講演会では「そうは思わない。今のように戦争への道に向かいつつある時に、ますます武力や経済力の増強に訴えることが、現実的でありえようか。そんなことで、解決が得られると考えることが空想的である」と語られました。「ただし、日本はそれとは逆の道を辿るだろう」と。今、日本は逆の道を辿っているわけです。しかし必ず、「戦争の放棄」に行き着くことになるが、それは滅亡の後だと。あの戦争のような傷を負わないと、目を覚まして「戦争の放棄」という道を見いだすことができないだろうと提言をされていました。それは今の時代を生きる私たちには、希望があるようで、虚しさを覚える結論なのです。
しかし、私たち「たとえそうでなくても」という信仰を持つ者は、今日扱った証しを見ても、恐れることなく、どのような状況においても希望をもつことができるでしょう。シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの3人が、「たとえそうでなくとも、偶像を拝むこともいたしません」といった信仰は、絶望感や瘦せ我慢の言葉ではありません。願いが叶っても、叶わなくても神様は最善を成してくださる、人知を超えた幸いがあると信じることができるのです。ペトロは手紙の中で「神の御心によるのであれば、善を行って苦しむほうが、悪を行って苦しむよりはよいのです」(17節)と目先の苦しみよりも、その先にある神の御心に目を向けさせます。「義のために苦しみを受けることがあっても、あなたがたは幸いです」(14節)と信仰による幸いを見いだしているのです。アン先生は、獄中で、囚人たちに希望を与え続けました。神様の働きが、ここで出来るという喜びに満ちていました。自分には何もないと思っていても、神様の働きのために差し出せる賜物があれば、それは幸いなことです。先の平和講演会では、「戦後はまだ終わっていないし、戦争はもう始まっている」とも語られていました。
戦後78年の今この時、それぞれ私たちにとっての神様の働きとは、いったい何でしょうか。どのような神様の働きのお手伝いができるでしょうか。今日学んだ証し人たちが、牢獄や自分の持ち場で表した「たとえそうでなくても」という信仰、報いがあろうとも無かろうとも現わすことができる、主の働きに従事していきましょう。
お祈りいたします。