⼆つの計画
宮井岳彦副牧師 説教要約
マタイによる福⾳書2章13~23節
2026年3⽉1⽇
Ⅰ.厭な気持ちになる話
今日の聖書の御言葉は、あまり聞きたくない内容の話です。ユダヤの王ヘロデがベツレヘムとその周辺の2 歳
以下の男児を皆殺しにした、という話です。読んでも悲しくなりますし、とても厭な気持ちになります。皆さん
はどうでしょうか。私は恐らく、これまで今日の箇所を説教したことがなかったかと思います。この直前にある
「東方の博士たち」の話は先月もご一緒に読みましたし、これまでにも何度もお話ししたことがあります。殆ど毎
年クリスマスを迎えると、どこかでこの話をしてきました。しかし今日のところはそうではない。13 節を見ると
「博士たちが帰っていくと」と書いてあります。明らかに前のところの続きです。しかし、ヘロデが赤ちゃんを
虐殺した話なんて好き好んで聞きたい話ではない。ましてクリスマスに聞き話ではない。いや、どんな季節だっ
て、もちろん3 月にだって聞きたくはない。私はそう思ってしまいます。皆さんはこの話を聞いてどうお感じに
なるでしょうか。
そのようなことを考えながら、しかしなお私たちがしなければならないのは、やはり他の何でもなく聖書の御
言葉に耳を傾けることです。他のどこでもなく、聖書から答えが聞こえてくると信じているからです。そうする
と、聖書を読んで感じる「厭だ」という感覚も案外大事ではないか、と思うのです。私は、どうしてこの話が厭
なのか。どういうふうに厭なのか。そういうことがすごく大事なことではないかと思うのです。
そのようなことを思い巡らしながら一週間を過ごしてきて、今私が考えているのは「悲しみ」ということです。
今日、私たちに与えられている聖書の御言葉に耳を傾け、聞き、悲しみを覚えるということがとても大事なことで
はないか。今、そのようなことを考えています。
Ⅱ.⺟ラケルの悲しみ
ヘロデは、東方から来た博士たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と言っ
ているのを知り、不安になりました。そこで博士たちをひそかに呼び寄せて、その子のことを詳しく調べてきて
ほしい、私も行って拝むから、と言います。もちろん、「私も行って拝む」なんて嘘でしょう。しかしヘロデも
ローマ帝国を相手にユダヤを率いて立つ政治家ですから、その手の嘘は上手だったと見える。博士たちはヘロデを
信じたようです。ヘロデに送り出されてベツレヘムへ行き、ついに幼子イエスに会うことができた。ところが、
「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、博士たちは別の道を通って自分の国へ帰りました。
ヘロデは博士たちに騙されたと知って、激怒しました。
そして博士たちが言っていた男の子がいつ頃生まれたのかを割り出し、ベツレヘムとその周辺にいた2 歳以下の
男の子を皆殺しにしたのです。
福音書を書いたマタイは、このときわが子を殺された母親たちの悲しみを、旧約聖書の言葉によって伝えてい
ます。
「ラマで声が聞こえた。
激しく泣き、嘆く声が。
ラケルはその子らのゆえに泣き
慰められることを拒んだ。
子らがもういないのだから。」
ラマという地名は、ベツレヘムの別名だったのではないかという説があるようです。ベツレヘムで母親が激し
く泣いている。子らがいなくなってしまった。嘆き悲しむ声、母の泣き声が響いている。
ここにはラケルという女性の名前も書かれています。
ヤコブという男の妻です。ヤコブには2 人の妻と2 人の側女がいて、12 人の息子が生まれました。ところが、そ
の10 番目までの子どもは全員ラケル以外の女性から生まれました。そして遂にラケルが男の子を産んだ。父ヤ
コブはその子を大層かわいがりました。兄たちの妬みを買いました。兄たちは弟をエジプトに奴隷として売り飛
ばし、父ヤコブと弟の母ラケルに、弟は死んだと嘘をつきました。ラケルはどんなに悲しんだことでしょう。慰
められることを拒むほどに嘆いたその悲しみは、子どもを喪った悲しみです。
この世に、わが子を喪った悲しみほど深い悲しみはないのではないでしょうか。
さらに言うと、先ほどの御言葉は預言者エレミヤの言葉です。エレミヤがラケルの悲しみに重ねるようにして
描いていたのは、イスラエルの国そのものが滅びていく悲しみです。マタイが引用したのはエレミヤ書31:15 で
すが、同じ章の20 節にはこのような神様の言葉が記されています。(ここにある「エフライム」はイスラエルの
人々のことです。)
「エフライムは私の大事な子ではないのか。
あるいは喜びを与えてくれる子どもではないのか。
彼のことを語る度に、なおいっそう彼を思い出し
彼のために私のはらわたはもだえ
彼を憐れまずにはいられない――主の仰せ。」
実は、子を喪った母ラケルの悲しみは神さまご自身の悲しみです。私たちを見る神さまの嘆きです。神さまは
私たちをご覧になって、子を喪った母のように悲しんでおられるのです。
Ⅲ.⼩さなヘロデたちのところへ
先ほども申し上げたとおり、ヘロデは2 歳以下の男児を虐殺しました。メシアであるイエスを抹殺するためで
す。どうしてこのようなことをしてしまったのか。思えば、これはヘロデ一人のことではない。これまで、歴史
の中で、何度となく同じ事が繰り返されてきました。何人もの子どもが母から引き離され、殺され、わが子を喪
った母の悲しみが重ねられてきました。今、この時代にも、同じ事が繰り返されています。同じ暴力が幅をきか
せています。ヘロデはどうして子どもたちを殺したのでしょう。
ヘロデという王は、どのような王だったのか。歴史を見てみると、決して無能な王というわけではなかったよう
です。ローマに支配されていたユダヤの中で王にまで上り詰め、自分の王家を造り、その支配を確立しました。
アントニウスやクレオパトラのような大々的に歴史に名を残している支配者たちに取り入り、あるいは策略を巡
らした人でもありました。その裏では非常に猜疑心が強い人物で、嫉妬や権力闘争のために、自分の妻や息子ら
も殺してきた人物でもありました。国を豊かにするために、人々を抑圧しました。
そしてヘロデは、主イエスの時代の神殿を再建した人物でもありました。不思議なことです。あんなに横暴な
王なのに、どうして神殿に興味があったのでしょう。しかも、ヘロデは純粋なユダヤ人ではなかったようです。
それならどうして主なる神さまのための神殿を再建しようとしたのでしょう。
一方ではそのような疑問に感じながら、他方では「そういうものかな」とも思います。
ヘロデにも、神殿が必要だったのです。自分の立場、王であること、他人を支配すること、自分の思うとおりに
振る舞うこと、自分の面子を保ってくれる神を崇めるための神殿が。
ヘロデにも、神殿が必要だったのです。自分はこのままでいい、変わらなくていい。そうやって自分のしている
ことを肯定してくれる神を納めておくための神殿が。
ところが、そんなヘロデの手に余る事件が起きました。
メシアが生まれたのです。主なる神さまが約束した神の子がお生まれになったのです。この方はヘロデの思い通
りにはなりません。ヘロデの欲しい答えはくれません。
この方はヘロデが聞かずに済ませたい声に耳を傾けます。
泣き叫ぶ母の声です。自分が踏みにじった人々の呻きの声です。私が顧みることのなかった人たちの嘆きの声で
す。このお方はそのような声を無視せず、耳を傾ける。
それどころか、ここで踏みにじられているのは私の子どもたちだ、とおっしゃる方です。そして、自ら悲しみの
中へと飛び込んで来られるお方です。
それがイエス・キリストというお方でした。だからヘロデは困ってしまいました。自分の思い通りにならない真
の神が来てしまった。もう、私はこのままではいられない。自分が王さまのままではいられなくなってしまった。
悲しみの現実を無視することができなくなってしまった。
ヘロデの王国がくずれてしまったのです。
主イエス・キリストは私たちのところへ来られました。
小さなヘロデである私たちのところへ、真の王イエスが
来られたのです。私たちを新しくするために。私たちを、この世界のために悲しむ人にするために。だからこの話
は聞きたくないのです。耳障りなのです。聞かなかったことにして済ませてしまいたい。小さな王ヘロデである
自分を突きつけられる話だからです。
Ⅳ.かなしみを離れず
詩人、八木重吉がこのような詩を残しています。
かなしみを乳房のようにまさぐり
かなしみをはなれたら死のうとしている
赤ちゃんが母の乳房をまさぐっている。乳を飲まなければ赤ちゃんは死んでしまう。それと同じように、私た
ちは悲しむことがなければ死んでしまう。悲しみを離れたら私たちは生きられない。
私たちの中に生きるヘロデは、悲しみを知りません。特に他人のための悲しみを知ろうとしません。自分の世界
が永遠に続くと信じているからです。悲しみを知ってしまったら、王さまのままではいられないからです。とこ
ろが、イエス・キリストは私たちのところへ来てくださいました。ラケルの泣き叫ぶ声が響くこの世界に来てく
ださいました。この世界の悲しみを共に負うために。真の王キリストは私たちの生きている悲しみの世界に来て
くださいました。
21 節に、イエスが両親と共にヘロデの手を逃れたエジプトからイスラエルに戻ってこられたことが報告されて
このように書かれています。「そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。」ここに
は「イスラエルの地に入った」と書いてある。キリストは私たちのところへ入ってきてくださいました。私たち
と共にいてくださるために。私たちをキリストの悲しみへと招くために。神の子でいらっしゃるお方が私たちの
悲しみの現実へ入って来られたのです。

