成長する種

和田一郎牧師 説教要約
2026年5月3日
詩編126編1-6節
マルコによる福音書4章26-34節

Ⅰ. 「聞く」ちからについて

多くの名曲を残したポール・マッカートニー(The Beatles)は、少年時代ボーイスカウトに入っていたそうです。スカウト活動の一環で孤独なお年寄りの話し相手をしていました。ふつうの子どもなら退屈な奉仕だったかもしれません。しかし、ポール少年は楽しんでいました。「自分が作家だと空想して、ネタ探しをしていたんだよ。さまざまな人や考え方の標本を集める気分で楽しかったんだ」と。
彼は19世紀英国を代表する小説家C・ディケンズが大好きでしたが、ディケンズは「人間観察」の名人でした。ポールも人間観察の賜物があったようです。そうした経験が、後の曲づくりに役立ったようです。
バンドメンバーのジョージ・ハリソンは「僕は君のような曲の書き方をしない。どうやって書くんだい?」と尋ねました。それに対してポールは「いいや、思いつくんだよ。小説家が登場人物を作り出すように。」老人の人生、思い出、価値観……それらは簡単には見えません。ポールは耳を澄まして、想像力を働かせ、その深い水をくみ上げました。そして、その水はやがて名曲になりました。
今日のテーマの一つが「聞く」ということです。私たちは日々、多くの言葉を耳にしています。ニュース、会話、SNS、仕事の連絡、けれども音として「聞こえている」ことと、「本当に聞いている」ことは違います。
イエス様は、マルコ4章9節で「聞く耳のある者は聞きなさい。」と言われました。それは、ただ音を聞くのではなく心で受け止めることです。神さまの語りかけに心を開くこと。それが信仰の第一歩です。
人生において大切な変化は、多くの場合、まず「聞くこと」から始まります。慰めの言葉を聞いて立ち上がることがあります。励ましの言葉を聞いて勇気づけられることがあります。そして、神の言葉を聞いて、新しい人生が始まるのです。

Ⅱ. 神の国は、すでに始まり、成長している

神の国とは、死後に行く場所だけではありません。今ここで始まっている、神さまのご支配です。神さまが人の心に働き、希望を生み、愛を育て、人生を新しくしてくださる。
その出来事が、すでにこの世界で始まっています。イエス様はそれを「種」にたとえられました。27節「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。」
種は、土の中で静かに育ちます。見えないところで変化が起こっています。人が寝ている間にも、忙しくしている間にも、命は育っています。それと同じように、神の国もまた、見えないところで進んでいます。私たちは、「何も変わっていない」と思う時があります。
祈っても答えが見えない。努力しても実りが見えない。教会も社会も変わらないように感じる。しかし、神さまは働いておられます。人には見えなくても、確実に種は育っています。神の国は、人間の力だけで進むのではなく、神の力によって進むのです。

Ⅲ. 神の国は、小さくてもやがて大きくなる

さらにイエス様は言われました。30節「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。」この言葉には、イエス様の熱意がにじんでいます。どうしたら人々に神の国の素晴らしさが伝わるだろうか。どうしたら、目に見えない神の働きを、日常の言葉で理解してもらえるだろうか。そう思い巡らしながらイエス様は語られました。
そこで選ばれたのが「からし種」でした。31-32節「それは、からし種のようなものである。地に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
からし種は非常に小さな種です。当時の人々にとっても、「小さなもの」の代表でした。指先に乗せれば落としてしまいそうなほど小さい。
そんな小さな種から、大きな木のように育つ植物になる。イエス様はそこに、神の国の姿を見ておられたのです。神の働きは小さく始まります。誰にも注目されないところから始まります。たとえば、イエス様ご自身の歩みもそうでした。立派な王宮に生まれたのではなく、ベツレヘムの家畜小屋に生まれました。大軍勢を率いてローマ帝国を圧倒することもできたでしょう。
しかしそうではなく、無学の弟子たちと共に歩まれました。当時の権力者たちから見れば、取るに足りない存在に見えたことでしょう。しかし、その小さな始まりが、今や世界中に福音として広がっています。まさに、からし種のようです。私たちの人生でも同じで、神さまは、小さなことを用いられます。一つの祈り。一つの親切。一つの励ましの言葉。礼拝に来る一歩。子どもに聖書の話をするわずかな時間。それらは、あまりに小さく見えるため、私たちは「こんなことに意味があるのだろうか」と思ってしまいます。けれども神さまは、その小さな種を見ておられます。そして、人には見えないところで育ててくださいます。
さらに、このたとえで印象的なのは、「鳥がその枝に巣を作る」という言葉です。大きく育った木は、自分だけが大きくなるのではなく、他のものを休ませ、守り、受け入れる場所になります。
神の国もそうだと思いました。神の祝福は、自分一人の幸せで終わりません。周りの人を生かし、慰め、憩わせるものとなります。
信仰に育てられた人が、家族の支えになります。祈る人が、周囲の希望になります。教会が、疲れた人の居場所になります。小さな種が、大きな枝を広げ、多くの命を支えるようになるのです。ですから、私たちは小ささを恐れなくてよいのです。人数が少ないこと。力が足りないこと。すぐ結果が見えないこと。それらは、神の国にとって決定的な問題ではありません。大切なのは、種が蒔かれているかどうかです。それが、からし種の希望です。

Ⅳ. 大切なのは、聞く姿勢

ここで大切なのは、頭の良さや理解力だけではありません。神の国を見る人は、説明の上手な人ではなく、「聞く耳」を持つ人です。神さまの言葉に耳を傾け、受け止め、従おうとする心。その姿勢こそ信仰です。
親鸞の話が伝えられています。鎌倉時代、親鸞が「自分は苦行を重ねても救われていない」と行き詰まって、それまで修業していた比叡山を下り、法然の説法を聞きに毎日通っていたそうです。
百日が過ぎたとき、法然が親鸞を呼び止めて言ったのです。「私の話を聞いてどう思った?」と。聞かれた親鸞は「危うい」と答えた。その真意を問われ、親鸞は答えたのです。「法然上人さま、真実の言葉を語れば、かならず周囲の古い世界と摩擦をおこすものです。できあがった体制や権威は、そんな新しい考え方や言動に不安を覚えることでしょう。おそれながら、法然さまの説かれることの一つ一つが鋭い矢のように彼らの胸に突き刺さり、肉をえぐるのです・・・知識も捨てる。学問も捨てる。難行苦行も・・・なにもかも捨てさって、あとにのこるただ一つのものが念仏である、と説かれております。これまでそのような厳しい道に踏み込まれたかたは、だれ一人としておられません。それが真実だからこそ『危うい』のです。危うければこそ真実だと、わたくしは思いました。」
親鸞は百日間通って聞き続けました。ただ聞く。それは簡単なようで難しいことです。人はすぐ、分かったつもりになって、自分の考えを言いたくなります。人の話を聞いて評価したくなります。けれども、本当に学ぶ人は、まず聞くに徹する人です。信仰も同じです。神さまに向かって、「私はこう思います」だけで終わるのではなく、「主よ、あなたは何を語られますか」と耳を澄ますことです。そのとき、見えなかった神の国が少しずつ見えてきます。

Ⅴ. まとめ

イエス様は、必死に神の国をどうやって伝えようか?と思いめぐらしていた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか」と。神の国は必ず実を結び、完成へ向かう。私たちは収穫の希望をもって生きる旅人です。
4月29日(水曜日)に石塚惠司牧師の葬儀がありましたが、その場はまさに神の国でした。
石塚先生は、たくさんの人に物語を残してくれたと思いました。イエス様のたとえ話のように、参列した方々に、それぞれの物語があるのだなと思いました。葬儀全体が神の国の物語に満ちていました。神の国はすでに始まり、見えなくても神によって確実に成長している。その流れの中にいる私たちは、信仰をもって聞き従い、完成の希望をもって歩むのです。
お祈りをいたします。