神の家族が人を育てる

<春の歓迎礼拝>
和田一郎牧師 説教要約
2026年4月26日
使徒言行録18章24-28節

Ⅰ. 未完成でも迎え入れられる恵み

エフェソに、アポロという人がやって来ました。彼は雄弁で、聖書にも通じていました。彼は「アレクサンドリア生まれのユダヤ人」とあります。25節には、「彼は主の道をよく学び、イエスのことについて熱心に語り、また正確に教えていた」と書かれています。「主の道」とは、主イエス・キリストを信じる信仰のことです。
ですからアポロは、キリストを信じる者であり、旧約聖書に深い知識を持ち、その理解と語る力を用いて、「イエスこそがキリスト、救い主である」と熱心に伝えていた伝道者でした。そのアポロがエフェソに来て、ユダヤ人の会堂で大胆に教え始めました。
その様子を聞いていたのが、プリスキラとアキラという夫婦です。彼らはすでに18章2節にも登場しています。パウロが第二回伝道旅行の途中でコリントに来たとき、この夫婦と出会いました。夫のアキラとパウロは、どちらもテントを作る仕事をしていたため、パウロは彼らの家に滞在し、一緒に働きながらコリントで伝道しました。この夫婦はパウロにとって力強い協力者となったのです。18章18節には、パウロがコリントを離れてエフェソへ行くとき、彼らも一緒に行ったことが書かれています。そして19節の「一行がエフェソに到着すると、パウロは二人をそこに残して自分だけ会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った。」とあるのは、パウロがこの夫婦をエフェソに残し、自分はエルサレムへ向かって出発したようです。
こうしてプリスキラとアキラは、パウロが急いでエフェソを去った後も、そこにとどまり、エフェソでの伝道を続けていました。その二人が、アポロの大胆で熱心な伝道の様子を見て、26節後半にあるように、「彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した」のです。
ここで言われている「もっと正確に」というのは、アポロが25節にあるように「ヨハネの洗礼しか知らなかった」からです。アポロは聖書に詳しく、熱心で、大胆に、しかも説得力をもって「イエスこそキリストである」と語っていました。しかし彼は、主イエスの名による洗礼については知らず、ヨハネの洗礼しか知らなかったのです。
このヨハネとは、洗礼者ヨハネのことです。彼は主イエスが公に活動を始める前に、荒れ野で人々に語りかけ、「やがて来る神の裁きに備えて、悔い改めて神に立ち返りなさい」と教えていました。そして、その悔い改めのしるしとして人々に授けていたのが洗礼です。これがヨハネの洗礼です。
アポロは、この「悔い改めのしるしとしての洗礼」だけを知っていたのです。そこでプリスキラとアキラは、彼に「もっと正確に神の道」を説明しました。
それは、主イエスの存在です。主イエスの名による洗礼について教えたということでしょう。つまり、洗礼者ヨハネは悔い改めの洗礼を通して主イエスへの道を整えたこと、そして主イエスの十字架と復活によって罪の赦しが実現したこと、今では私たちは主イエスを信じることによって、その御名による洗礼を受け、罪の赦しと永遠の命の約束にあずかることができると伝えたのです。

Ⅱ. 人は神の家族の中で変えられる

ここで大切なのは、プリスキラとアキラが、アポロの間違いを批判することなく、正しい教えへと導いたことです。ここで大切なのは、プリスキラとアキラの関わり方です。
彼らは、アポロの足りない点に気づきながらも、それを公の場で批判したり、間違いを責めたりはしませんでした。アポロはすでに聖書に詳しく、熱心に語る優れた伝道者でした。しかし、「ヨハネの洗礼しか知らない」という点で、福音の理解がまだ十分ではありませんでした。
もしこの時、プリスキラとアキラが人前で彼の誤りを指摘していたなら、アポロの働きは傷つき、彼自身も心を閉ざしてしまったかもしれません。しかし彼らはそうしませんでした。聖書は、「彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した」と語っています。つまり、人前で恥をかかせるのではなく、個人的に迎え入れ、丁寧に、愛をもって教えたのです。ここに、神の家族としての大切な姿があります。
人を育てるとは、間違いを見つけて指摘することだけではありません。相手の良い点を認めつつ、足りないところを愛をもって補い、より正しい理解へと導いていくことです。
プリスキラとアキラは、アポロの「すでに与えられている賜物」を否定するのではなく、それをさらに生かす形で助けました。その結果、アポロはつまずくことなく、むしろより豊かに用いられる伝道者へと成長していったのです。
この姿は、教会がどのように人を育てるべきかを示しています。裁くのではなく、受け入れ、共に歩みながら整えていく――その関わりの中で、人は本当に成長していくのです。
このようにして、アポロはプリスキラとアキラによって聖書の理解と福音の理解を正しく整えられ、伝道者として大きく成長しました。
その後アポロは、アカイア州、つまりコリントへ行きたいと願いました。プリスキラとアキラは、かつての仲間であるコリント教会の人々に「この人を迎えてほしい」との紹介状を書き、彼を送り出しました。
その結果、アポロはどうなったでしょうか。アポロはコリントに到着し、28節にあるように、「彼は聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、ユダヤ人たちを力強く論破した」のです。彼はただ知識が増えただけではありません。大胆に福音を語る者へと変えられていきました。神の家族は、ただ「集まる場所」ではありません。人が変えられ、用いられていく場所です。

Ⅲ. 与えられた役割(一人の信徒の物語)

プリスキラとアキラは、一信徒として記されています。今でいう牧師や宣教師ではありません。職業はテント作りとあるように、一般市民であり、一般信徒です。しかし、自分に与えられた神の働きに従事した人です。伝道者パウロの生活のサポートをしました。
家に招き、一緒にテント作りの仕事をして生活を営んでいたのです。アポロのような有能な伝道者に、福音理解が足りないことを知ると、家に招いて愛情をもって正しい教えを伝えました。それが自分たちに与えられている神の働きだと信じていたからです。アポロはそのような神の家族の中に招かれて、成長することができたのです。そして、次の働きの場へと、この神の家族から送り出されて、伝道者として用いられることになりました。
自分に与えられた神の働きを全うした、一人の信徒として、サグラダ・ファミリアの建築で有名になったアントニ・ガウディの生涯を思い起こしました。
ガウディは幼い頃から信仰を持っていたと言われます。しかし彼の人生を見ると、本当の意味で神に身を委ねたのは晩年でした。若い頃の彼は名声もあり、社交的で、成功した建築家でした。けれども晩年、彼は変わります。毎日、ミサを捧げる質素な生活をし、毎日祈り、自分のすべてを神にささげるようになった。そして彼は、自分の仕事を通して神に仕える者となりました。

Ⅳ. あなたも神の家族へ

今日は歓迎礼拝です。ここで、もう一度心に留めたいのは、「神の家族は人を成長させる場所である」ということです。しかしそれは、単に知識が増えるとか、できることが増えるという意味ではありません。もっと深いところで、人そのものが変えられていく場所なのです。
神の家族とは、「完成された人が集まる場所」ではありません。むしろ、自分の未熟さや弱さを抱えたまま、それでも神に招かれて集まる人々の群れです。神の家族は、あなたを受け入れる場所であり、あなたを育てる場所であり、そしてあなたを遣わす場所でもあります。ここで与えられる愛と恵みは、やがてあなた方を通して、他の誰かへと流れていきます。
あなたにも、神から与えられている歩みがあります。その歩みは、この神の家族の中でこそ、確かに形づくられ、豊かに実を結んでいくのです。
お祈りをいたします。