キリストの後ろ姿

2018年4月22日
春の歓迎礼拝
和田一郎副牧師
ルカによる福音書23章13~27節

Ⅰ.イエスに出会った二人の人

今日の聖書箇所は2千年前のユダヤの国が舞台です。そこではイエス・キリストという救世主が、人々の心や体の病気を癒し、神様とはどんなお方なのかを人々に教えながら、町から町へと旅をしていました。イエス・キリストを救世主と先ほど言いましたが、旧約聖書には数千年に渡って「ある一人の救世主が現れます」との預言が書かれています。その救世主であるイエスキリストが現れたのです。しかし、その影響力に恐れを抱いたユダヤの宗教的な指導者たちは、イエス様を殺す計画をたてました。そして無理やりとらえて裁判にかけたのです。今日の聖書箇所は、その裁判にかけられたシーンから始まります。判決を下すはずの総督がこのように言いました22節「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか?この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからない」。イエス様はまったく罪を犯していませんでしたが、総督は有罪にしてしまいました。それは有罪にして十字架にかけないと群衆が暴動をおこしそうだったからです。判決が下された総督の官邸から、十字架の処刑が行われたゴルゴタと呼ばれる所までイエス様が引かれていきます。十字架の死刑の判決を受けた囚人は、自分が架けられる十字架を担いで処刑場まで歩かなければなりませんでした。その前に鞭で打たれ、兵士からの暴行によって、心も体も傷だらけになっていました。
今日の聖書箇所にはイエスに出会った二人の人がいました。一人はローマ帝国の総督ピラト、もう一人はキレネ人のシモンという人です。この二人はこの日初めてイエス様と出会いました。そしてこの日が最後でした。人生において星の数ほどもある出会いの中の一つ、一期一会の出会いでした。ピラトはユダヤに住んでいましたが、ユダヤ人ではありません。ユダヤを支配していたローマ帝国から送られてきた外国人です。植民地であるユダヤを統治する総督として約10年間この地にいました。その期間に、たまたま裁判という場でイエス様に出会ったのです。ピラトは尋問の中でイエス様のことを知る機会があったのです。「わたしは真理について証しをするために生まれたのだ。そのためにこの世に来たのだ。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」。これは、同じ出来事を記したヨハネ福音書に書かれています。しかし、ピラトはその真理とは何であるかを、深く知ろうとはしませんでした。そして、群衆の圧力に屈するようなかたちで、イエス様に死刑の判決を下したのです。

Ⅱ.イエスのうしろから

もう一人、この日イエス様と出会った人は、キレネ人のシモンという人です。この人は「田舎から出て来た」とありますから、もともとエルサレムに住んでいた人ではありません。何のためにエルサレムに出て来ていたのかというと、その時に行われていたユダヤ人の最大の祭りである過越祭のために巡礼に来ていたようです。そしてせっかく来たエルサレムの町ですから、あちこち見て回っていると、イエス様が十字架を背負って引かれていくところに出くわしたのです。おそらくシモンはイエス様のことを噂で聞いていたのではないでしょうか。ユダヤ中で評判のイエス様がエルサレムに来ると、過越祭のために巡礼に来ていた人々にとって注目の的になっていたからです。そのイエス様が目の前で鞭打ちによって体力を消耗し切って、もう十字架を担ぐ力が残っていませんでした。たまたまそこにいたシモンは、ローマの兵士に呼び止められます。「おい、この人に代わってお前が十字架を担げ」。ローマ兵に命じられては、歯向かう事はできません。彼にとってとんでもない災難でした。なぜ自分がこんなことをしなければならないのか。シモンは重い十字架を背負わされて、歯を食いしばって立ち上がりました。前を見ると、その先にあったのはキリストの後ろ姿です。ボロボロに傷ついて血にまみれた背中が見えました。シモンが聞いていた評判の人イエスという人は、人々を癒す力がある救世主でした。ローマ帝国の支配から解放する、強い力の持ち主しでした。ところが目の前を歩くこのイエスは、なんと惨めな可哀想なやつだろうか。シモンはこの後、ゴルゴタでイエス様が十字架に架けられ、息を引き取るところまで見届けた事でしょう。イエス様が死んだその時、全地は真っ暗で、地震で大地が揺れ動き、岩が裂け、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けました。ローマ兵の百人隊長が「本当にこの人は神の子だった」と口にしました。それから三日後、キリストは復活して40日間に渡って人々の前に現れて話しをしてくださったのです。そこにはもう、あの悲惨で惨めな姿はありません。人間が最も恐れる死というものを打ち破って、永遠の命をご自分だけではなく、キリストを自分自身の救世主であると信じる者であれば、だれであっても、この永遠の命に与れるという希望を伝えられたのです。そして、これが「真理」であり、この真理をあなた達は、世界中に行って伝えなさいと言われました。わたしは天に上げられるが、聖霊を地上に送る。聖霊を受けたあなたたちは力を得る、そうして、わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいると。キレネ人シモンが、どこまで見届けたのかは分かりません。しかし、これらのイエス様の出来事を証しする伝道者として生きる道を選んだのです。

Ⅲ.出会いが残したもの

この日、イエス様と出会ったピラトはキリストと「真理」について言葉を交わしましたが、そのことを知ろうとも、受け入れようともしませんでした。ピラトの心には恐れがあるからです。ピラトは総督という地位に自分の存在価値を置いていました。目に見えるものに自分の存在価値をおいている人には、「恐れ」が付きまとうものです。私たちが恐れるものは、自分自身の限られた力にしか目を向けていないからです。それに対して、神という目に見えない真理に信頼する時、神の尽きることのない力に目を向けることになります。キリストが、そのあり余る力をもって自分を愛してくださることを信じるならば、恐れは平安へ、そして希望へと導かれて行きます。ピラトはそのことが出来ませんでした。彼はその後、西暦36年にユダヤ人の暴動の責任を問われてローマに送還され、その後自殺したと伝えられています。
キレネ人シモンは、次のように伝えられています。シモンの二人の息子、アレクサンドロとルフォスは、イエス様の弟子達と共に、初代教会の主力メンバーとなったと言われています。シモンの妻も、使徒パウロが、実にお世話になったのだとローマの手紙に記されています。つまり家族でクリスチャンとなり世界へと伝道していったのです。シモンのようにイエスに出会って生き方が変わったという人が、いわゆるクリスチャンと呼ばれる人たちです。シモンは、エルサレムに巡礼に行った時にたまたまイエス様に出会ったことで、生き方が変えられました。しかし、実はこれは、たまたまではありません。彼がエルサレムへ行ったのは、神様からの視点で見れば、意味があったのです。大群衆の中で「おいお前」と、ローマ兵に声をかけられたのも偶然ではないのです。十字架を担がされた時は貧乏くじを引いたと思いましたが、それはどれも意味があって、キリストと出会い、生き方が変えられ、家族もまた新しい生き方へと変えられていったのです。
みなさんも、ゴルゴタの丘に向かって歩いて行く、キリストの後ろ姿を、思い浮かべて、心に留めていただきたいと思います。キリストの背中には痛々しい傷があります。血にまみれた背中です。わたしたち人間の中にある、「自分の力でやっていける」「神なんていらない」そうして傲慢になっていく、人間の罪のために、キリストは苦しみを負ってくださいました。その痛々しい後ろ姿に、今日イエス様に出会った事の意味を、受け取っていただきたいと思います。お祈りをいたします。

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