キリストの言葉が豊かに宿る交わり


2016年11月 6日
松本雅弘牧師
コロサイの信徒への手紙3章12~17節

Ⅰ.はじめに

イエスさまはご自分と私たちとの関係を「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と表現されました。私たちが信仰生活を送って行く上で必要なことが、イエスさまのこの御言葉に凝縮されているように思うのです。
いつもお話することですが、私たちがすること、私たちに出来ること、それは、ぶどうの木である「キリストにつながる」ことです。その具体的なつながり方を、私たち高座教会では「信仰生活の5つの基本」と呼び、生活の中で大事にして歩んでいます。
そして2017年は「信仰生活の5つの基本」の4つ目、「主にある交わりに生きる」をテーマとして歩んでいきます。それは、具体的に言えば小グループや各世代別会、あるはまた奉仕のグループの輪に参加し、お互いのことを心にかけながら、信仰生活を送るということです。

Ⅱ.キリストの言葉が豊かに宿る交わり

来年の主題聖句はコロサイの信徒への手紙の3章16節で、次のような御言葉です。
「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」
この御言葉を見ますと、まず第1に、「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい」という勧めが目に飛び込んできます。これは、私たち信徒の交わりは、本来、キリストの言葉、羊飼いであるイエスさまの言葉を豊かに宿す交わりであり、またそのような交わりになるように祈り求めていくように、という教えの言葉です。

Ⅲ.主にある交わりの実際―ハイベルズ牧師と会社経営者との交わり

先週の木曜日、「グローバル・リーダーシップ・サミット」が行われました。その中で、私自身とても心に残った講演がありました。
それはビル・ハイベルズ牧師のお話です。ハイベルズ牧師は、「レガシー」、日本語では「遺産」という言葉を使いながら、私たちは、日ごろ周囲に何かを残しながら生きていることに注目し、こんなお話をされました。
ある時、ハイベルズ牧師の友人で、会社の社長として成功を収めたある人が、ハイベルズ牧師と話をしたいと言って来たのだそうです。会ってみると、その人はとても浮かない顔をしていました。そして彼は言いました。「自分の人生は妥協の連続だった」と。
それで、彼は主にある友であるハイベルズ牧師と話がしたいと思ったそうなのです。話し始めた彼は、話の途中で急に黙ったかと思うと、しばらく沈黙の後、「眠れない日々が続いているんだけど、その理由を知りたいかい?」と言って声を詰まらせ、「自分は、とてつもなく金を稼いだ男、としてだけ記憶されるのかと思うと…」とつぶやいたのです。「自分の結婚生活は失敗だった。子どもたちとも上手くいっていない。信仰も口先だけだった。友人に対しても最低で、全く友だちがいない男だった」と。そして、少し間をおいて、「でも、もしやり直すことができるのなら、何でもやりたい。どんな犠牲でも惜しまない」と言ったのです。
これを聞いたハイベルズ牧師は少し考え、こう言いました。「じゃあこうしてみよう。ここ5年、あるいは10年を振り返ってみて、君のエネルギーの使い方を円グラフに表わしてみて欲しい。」そう言われた彼は、すぐに円グラフを書いて見せました。
彼の描いた円グラフは、ほとんどの部分が仕事で占められていて、結婚生活、家庭生活、友人との関係、教会生活、神さまとの関係、これら全てが僅かの部分にギュウギュウに詰まっている、そのような円グラフでした。
それを見たハイベルズ牧師は、主にある兄弟として彼に助言しました。「過去を変えることはできない。でも、私たちはこれからのことを選び取っていくことができる。だから、家に帰って、祈り、この真っ白な新しい円グラフの中を、神さまがあなたに願っている配分で、もう一度、書き直してみたらどうか。そして、そのような生き方を今日から始めてみないか!」と。
彼は自分の人生を変えたいと思っていましたから、帰宅するとすぐに新しい円グラフに取り組みました。時間をかけて、神さまが彼に求めておられる、そして彼自身も心から願っているエネルギーの配分、そうした生き方を表わす新しい円グラフを書いたそうです。
その話をした後で、ハイベルズ牧師は、私たち聴衆に向かって、「あなたが今の職場や働きから退く時、後に残された人たちは、あなたをどのような人として記憶に留めるでしょうか? そしてもう1つ、あなた自身はそのように記憶されることを願っているでしょうか。」と言いました。
そして、友人に勧めたように、私たちに対しても、「今こそ、真っ白な円グラフの前で、神さまの御心を求めながら、神さまが願っている新しい円グラフを書き、そうした生き方を始める時なのではないでしょうか!」とチャレンジしてこられました。
ハイベルズ牧師は言いました。
聖書の中には、ずっと不本意な生き方をしてきて、人生の土壇場で、最後の最後のところでその、レガシーを書き直した、そのような人物が大勢います。その1人が、イエスさまと一緒に十字架に付けられた囚人です。彼は人生の最期の場面で命の道を選んだのです。信仰を選んだのです。イエスさまは、彼に対して「あなたは今日、私と一緒に楽園にいる」と宣言されました。
過去を書き直すことは、確かに不可能です。でもこれから、どう生きるかについて選び直すことができるのです。
私は、この話を聞いた時、思い出した説教がありました。それは、暗殺される前夜に語ったと言われるマーティン・ルーサー・キング牧師の説教の一節でした。「私の生涯の最後にあたって、あなた方の中の誰かが私の周りにいてくれたならば、私は長々とした葬式を望みはしません。そしてもし誰かが死者に対する賛辞を求められたとしても、私は長いスピーチを望みません。今であれ、その時であれ、私がその人たちに語ってほしいと思うことは、次のようなことです。私は、自分がノーベル平和賞を受けたことについて語ってほしいとは思いません。そんなことは重要ではありません。私がその他に、3百も4百もいろいろな賞を受けたなどということも語ってほしくはありません。そんなことは重要ではないのです。私の学歴について語ってほしいとも思いません。私は、その日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアはその生涯を他の人々のためにささげようとしたと語ってほしいのです。その日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは人々を愛するために生涯をささげようと努めたと語ってほしいのです。」
もし私たちが、「今の働きから退く時、後に残された人たちに、私がどのような人として彼らの記憶に残るのか。それでいいと、今のあなたは思っているのか」と訊かれ、「いや、そうであってほしくない」と思うのならば、ハイベルズ牧師の勧めに従い、もう一度、神さまに私自身の物語を書き換えていただくように祈り求めたいと思うのです。
私も説教を聞きしながら、キング牧師のように「人々を愛するために生涯をささげようと努めた」と記憶されるような人生を送りたいと改めて思わされました。
来年の主題聖句に、「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい」とあります。ハイベルズ牧師と友人との交わりの中に、まさに、このキリストの言葉を中心とした主にある交わりが起こったのです。
私たちの交わりがキリストの御言葉を中心とする交わり、それを豊かに宿す交わりである時に、それは、2つ目のポイントである「知恵を尽くして互いに教え、諭し合」う交わりとなるということです。
正に、ハイベルズ牧師と友人との主にある交わりの中で起こったこと。まさに、私たちがどのような「レガシー・遺産」を残すかという話題は、この聖句が示している「教え、諭し合い」が行われたのだということなのです。
そして第3に「主にある交わり」は私たちの心を引き上げ、神さまへの礼拝へと導く交わりとなることも教えています。「詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」とある通りです。

Ⅳ.宣教70周年を記念する年

さて、来年、2017年は、宗教改革500年ですが、私たち高座教会にとっては宣教70周年を迎える記念の年です。高座教会70年の歴史を振り返る時に、そこには「キリストの言葉が豊かに宿るような」交わりがありました。
「2人でも3人でもわたしの名によって集うところにわたしもいる」と約束された主イエス・キリストが、聖霊にあって共におられ、御言葉によって導いてくださった70年だと思います。
このことを記念して1月22日には、記念礼拝を捧げます。また来年末までには、『高座教会宣教70周年記念誌(仮称)』を発行する予定です。それらのことに期待をしながら、2016年の残された2か月を、今年のテーマである、「御言葉と祈りに生きる」ことを大事にして、2017年に向けての歩みを進めて行きたいと願います。お祈りします。

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