信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら
2017年1月22日
創立70周年記念礼拝
松本雅弘牧師
申命記8章2~6節
ヘブライ人への手紙11章39節~12章2節
Ⅰ.はじめに
高座教会は1947年1月19日に最初の礼拝が行われました。丸70年が経過し、その間、多くの神の民が起こされ、今も祝福された群れとして歩むことが出来ます幸いを感謝いたします。
Ⅱ.高座教会の歴史
30周年記念誌『ただキリストの導きの中で』に、高座教会誕生の経緯に関わる次のような記述があります。
「思えば30年前、太平洋戦争によって国土は荒廃、絶望と空白、食糧・物資難にあえぎ、虚脱状態の昭和21年夏の頃、厚木基地進駐軍のチャプレン・ストレート師から鷲沢与四二氏へ、この小さな英文聖書が手渡された。マッカーサー司令官が、占領軍として初めて日本国土を踏んだのが、厚木基地を持つこの土地であった。その頃林間は文字通り防風林として植樹された松林で、農家の牛車が往来し、疎開者が林を開墾、芋づくりに励んでいた。アメリカ人は、じゃが芋が好物だから強奪されないよう隠匿する必要がある。など、まことしやかに伝えられていた時代でもあった。ところが、ある日、一台のジープが訪ねて来て、じゃが芋は徴集されなかったが鈴木次男氏が連れて行かれた。それは基地の教会にオルガニストを探していた進駐軍が、戦争中も宗教音楽の研究を続けていた鈴木氏のことを、彼のラテン語とグレゴリオ聖歌の先生から聞きつけてクリスマス聖歌の指揮依頼に来たためである。軍隊合同のクリスマスはカトリック主催で、プロテスタント、ユダヤ教も加わっての礼拝であった。この時、ストレート師を知ったのであるが、ストレート師は『林間』という地名を『リンカーン』と結び付けて大変気に入り、この地に福音を伝えたいと願っていることを鈴木氏に話された。鈴木氏はそれを親戚関係にあった鷲沢氏に話し、ストレート師を紹介したのが一冊の英文聖書との出会いとなり、高座教会誕生の基となったのである。・・・・」
さらに記念誌には、70年前の最初の礼拝の様子が次のように伝えられています。「・・賑やかなクリスマスを契機として、翌年昭和22年1月19日、爾見氏アトリエを会場として、最初の聖日の公同礼拝が持たれたのである。参加者は、前記のように個性豊かな人達であったから、礼拝前後の雑談騒々しく炭を持ち寄って大火鉢を囲み、煙草を喫うために、煙出しをしてから礼拝を始める仕末であった。終わると、牧師説教に対する批評まで飛び出すと云う型破りの礼拝も、やはり語り草として残っている。」
「高座教会」という名称の由来は、鷲沢さんを中心とした6名のメンバーたちが、この地域の名称「高座」という名前に心ひかれ、「高座」とは「神が高く座していただくこと」に適当ということ、また、「教会は地域の人々の心の拠り所でなければならない」という願いから、「高座コミュニティ教会」という名前に決まり、日本基督教団の1つの教会としてスタートをしたということです。そして3年後の1950年にカンバーランド長老教会に加入していくことになります。
Ⅲ.「危機なくば、栄光なし」
ところで、先週、全日本卓球大会がありました。その大会に伊藤美誠選手が出場していました。昨年彼女はライバル平野選手に簡単に負けてしまったそうです。伊藤選手の卓球は「省エネ卓球」ということで、あまり動かないで卓球をするスタイルだそうですが、それまで通用してきたそのスタイルが平野選手に通じなかったのです。
試合が終わった後、伊藤選手のお母さんが、「変わるチャンスよ!」と言ったそうです。今まで自分のスタイルで戦ってきた、それが持ち味で、通用してきた。でも、通用しない相手が現れた。だから、この負けは変わるきっかけとなる。変わるチャンスなんだ、というのです。
その言葉に励まされて伊藤選手は体幹トレーニングを始め、そして「省エネ卓球」の殻を破り、動く卓球へと脱皮しようとしていたというのです。
その話を妻から聞いて、伊藤選手のお母さまは「凄い母親」だと思いました。問題にぶつかった時に、その出来事を「変わるチャンスよ」と娘にアドバイスした。そのように受けとめたということです。
私は、その言葉を聞きながら思い出したことがあります。今日、生島陸伸先生ご夫妻がおいでくださっていますが、ご夫妻と親交の深かったハンス・ビルキというスイスのキリスト教指導者の「危機なくば、栄光なし」という言葉です。現在、「70周年の記念誌」の編集委員会が開かれて、今までの資料を確認しながら、高座教会の歴史を振り返っていますが、70年の間には幾つもの困難な時期、危機と呼ばれるようなこともあったと思います。しかし、そのつど、神さまの支えと導きの中で、今日、ここまで守られたことを覚えます。そして、そうした出来事を通して、神さまが栄光を現してくださったように思うのです。
Ⅳ.信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つめながら
私は高座教会の歴史を振り返る時、いつものように心に思い浮かぶ御言葉があります。それが今日お読みしましたヘブライ人への手紙の御言葉です。ここから3つのことをお話したいと思います。
まず第1に、ここで著者は「自分に定められている競走」という表現を使いながら、私たち一人ひとり、また一つひとつの教会それぞれに、神さまによって定められ、備えられた競走、歩むべき歩みがあると教えています。
11章1から3節で「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によって、」と記しながら、アベルから始め、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセと次々に信仰の先輩たちの歩みを綴っています。リレーのようです。あるいは駅伝に例えてもよいかもしれません。
何千年も続く信仰者の歩み、神の民の歴史を刻む歩み、そして教会史の1頁1頁を綴る多くの先輩たちの信仰の歩みがありました。
そして今、この日本、そして大和市とその周辺を視野に入れたこの地域に集められ、福音のバトンを持って走るようにと、神さまが召してくださっているのは私たちだということです。過去には偉大な聖徒がいたことでしょう。そして、高座教会には多くの信仰の勇者がおられました。しかし、そうした方たちは、それぞれに神さまが託した、「定められた競走」を走り終えて、天に召されました。ですから、過去に、いかに立派な方たちがおられたとしても、今、この時代、高座教会という兄弟姉妹と共に、毎週礼拝を捧げながら、福音のバトンを持って走るように定められているのは私たちである、ということです。
これは、とても重い責任であると共に、とても尊く、光栄な務めのように思います。ですから、どうでしょう。私たちの走りを抜きにして、先に天に召された方たちは完成しないわけですから、彼らは、固唾を飲んで私たちの走りを見守り、応援してくださっているのだということです。つまり、「歴史に見られている」という意識です。2つ目のこととして、教会の歴史、いや、この神の歴史の1頁を綴りながら、私たちは今の日々を過ごしているというわけです。そのように、私たちはいつか天に召されるわけですから、今、この時から、天につながる歩みをしようではないか、とヘブライ人への手紙の著者は私たちを励ますのです。それが12章1節に出て来る、「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて」という意味です。
そして第3に、12章2節を見ていただきたいのですが、「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」とあります。ここで著者はイエスさまのことを「信仰の創始者また完成者」と表現しています。つまり、イエスさまの名において始めてくださったことは、イエスさまの名において、必ず完成してくださる。このお方がイエス・キリストご自身なのだと、教えているのです。
主イエスは、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)と言われるお方です。
「わたしは既に世に勝っている」という言葉の意味は、オセロゲームを想像していただきたいのですが、キリストの十字架と復活において、その4隅にキリストの石が置かれているような状態です。
そうした上で、私たちの信仰の競走や戦いがあるのです。確かに序盤、中盤、ある時は損をし、負けが続くような状況があります。しかし、最終盤、すなわち再臨の日に、キリストが再び来られ、最後の石が置かれる時、一瞬の内にすべての石の色がキリストの恵みの色にひっくり返って行くのです。
そのような戦い、そのような歩みこそ、信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つめて歩む私たちの歩みです。
確かに私たちの走りは、私たちに責任がある走りです。しかし同時に、最終的にイエスさまが責任を取り、イエスさまが完成してくださる歩みでもあるのです。
私たちは、この信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つめつつ、主が再び来られる時まで、新たな70年に向け、自分たちに定められている競走を忍耐強く、共に走っていきたいと願います。お祈りします。