生きることも病むことも
2016年11月27日夕礼拝
和田一郎伝道師
詩編13編1~6節
ガラテヤの信徒への手紙4章12~16節
Ⅰ.はじめに
パウロは、ガラテヤ書3章から、ここまでのところで、ガラテヤの信徒に対して、厳しい口調で、正しい信仰理解について語って来ました。たとえば3 章 1 節「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち」と相当に厳しい言葉を使って、相手が誤った信仰に流されていることを嘆いてきました。
Ⅱ.パウロの信念
それが今日の聖書個所12節から、口調が変わって、パウロは相手の心情に訴えかけるようになります。12節で「兄弟たち、お願いします」という言葉を使っています。彼らがパウロの教えから離れてしまったこと、憤りの感情から一転して、それでも兄弟として愛していることを伝えます。「わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください。」と言うのはどういうことでしょうか?
パウロは、異邦人伝道の使徒です。同じユダヤ人に伝道するのとは違って、生まれ育った背景の違う人たちに伝道する上で、大切にしていた信念、または秘訣のようなものをもっていました。そのことを分かり易く説明したのが、第一コリント9 章にあります。
「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。・・・ 福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」(Ⅰコリント9:19-23)
パウロはこのように、自分はユダヤ人ですが、ユダヤ人の習慣や考え方を、捨てる覚悟を持っていました。彼の言う覚悟とは、自分の思いのままにするのではなく、文化の違う異邦人伝道の使徒としての自由です。それは徹底して相手の立場に立って、相手に寄り添うことです。ガラテヤに行った時は、ガラテヤ人のようになって伝えたのです。
Ⅲ.病める者にも
12節の後半から、ガラテヤ教会の人々と出会った頃の出来事を思い出して、次のように語ります。ここでも相手の心情に訴えています。
「あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。」(ガラテヤ4:12-14)
ここに「体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を知らせた」とあります。
パウロは、ガラテヤ地方に赴いた時に、健康な体で行ったのではなく、病気を持っていたようです。具体的には書かれていませんが、パウロは目の病気、あるいはマラリヤの病を持っていたのではないかと言われます。いずれにしてもパウロを苦しめる病があった。パウロがガラテヤで伝道することになったのは、旅の途中で彼が病気の症状がでたことがきっかけでした。ユダヤ人の中では、病気は悪霊の働きだと考えられていましたから、病人を嫌ったり、避けることがありました。ですからガラテヤの人々は病人のパウロを、悪霊の使いのように扱ってしまう誘惑と試練がありました。
しかし、パウロが伝道に行った時、彼らはパウロに対して、いっさいそのような不当なことはしませんでした。それどころか「神の使い」か、また、「キリスト・イエス」でもあるかのように受け入れました。使徒言行録でもリストラと言う町に行った時、バルナバを「ゼウス」パウロを「ヘルメス」とギリシアの神々の使者のように呼んで、いけにえを献げようとさえしました。おそらく、リストラでもガラテヤでもパウロの事を他の伝道者と区別して、特別な使者であると認めていたのでしょう。その特別な使者とは「使徒であるパウロ」ということです。「使徒」という役職は、イエス様によって直接任命された12弟子たちのように限られた人です。パウロはダマスコ途上でキリストに出会い、異邦人伝道の使徒とされました。ガラテヤの人々はパウロが滞在中、病人であったにも関わらず、使徒として敬ってくれました。そしてイエス・キリストを救い主であると、福音を受け取ったのです。
その時は、15節にあるように、自分達がキリストによって救われた幸福に満ちていました。そのことを「自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとした」ほどと、びっくりするような表現でパウロは語っています、パウロは目になんらかの病気を持っていたようです。この手紙の最後に、「このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。(6:11)」と言っています。この手紙はパウロが言った事を、誰かが書き記す、口述筆記であったと言われていますが、最後に自分の署名を入れる時に、大きな字で書かないといけないぐらい、目が見えなかったようです。
Ⅳ.生きること、病むこと
病気と闘ったクリスチャンに三浦綾子さんという作家がいます。その三浦綾子さんは、「病気の百貨店」と言うほど、病気を持ちながら執筆した人でした。三浦綾子さんの一生は、ほとんどが病気との闘いで、24歳の時に肺結核と脊椎の病気で13年間もの闘病生活。ガンや、パーキンソン病など多くの病いがありました。三浦さんは、病室に机を持ち込んで口述筆記をしたそうですから、パウロと重なる所があります。
いろいろな病気をしてきましたが、ガンを告知された時は不思議な境地になったそうです。どう説明してよいか分からない、深い淵の底にあるような、何とも言えない静かさに満たされた、と言います。その日から、朝目覚めると「今日は私の命日だ」と思うようになった。誰にとっても、今日は命日になるかも知れないのだ。病気のあるなしに関係なく、世界の幾万人の人が今日の夕日を見ずに死んでいく。今元気で笑っている人にも、今後の計画を練っている人にも、病気の人にも健康な人にも、老人も子どもも、誰にだって今日一日の保証はない。「今日は私の命日だ」と、それを身に刻み付けるように思い始めました。
さらに、ガンを特別席から引きずり降ろそうとしたそうです。「風邪を引いた」とあっさり言えるように、「ガンです」とあっさり言うようにした。家族がひた隠しに隠すような苦労をしてほしくなかったので、我が家ではガンが普通のこととして語られるようになった。
こうして、三浦綾子さんは病気を持ちながら、方々へ取材や講演をしながら執筆活動を続けました。
三浦さんは「病気のおかげで、私の書く本が多くの方々に読んでいただけるし、感動していただける」と言って、自分自身が苦しみを通ることは、よい作品が生み出されるから“感謝”だったそうです。なぜなら「福音を伝え、ひとりでも多くの人がまことの神様を信じてほしい、神様へ心を動かしてほしい」という祈りを持って書いていたからです。
パウロがこの手紙の送り先、ガラテヤに、かつて伝道旅行に行った時、彼らは尊敬と信頼をもって受け入れてくれました。パウロが病気であるにもかかわらず、決して見下したり、蔑んだりせずに、パウロが教えるイエス・キリストの福音を受け取ることができました。
「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。…すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。」(Ⅰコリント9:22)
パウロも病気のお陰で、ガラテヤに滞在することができました。病気のお陰で、パウロの熱意が、彼らの心をキリストへと動かし、本当の救いに預かった恵みを、パウロに感謝することができたのではないでしょうか。病気という、一見、目に見える有り様はマイナスの要素でしかありません。出来る限り病気にはかかりたくないものです。しかし、健康であっても病気であっても、今日一日生きられる保証は誰にもありません。健康でも病気であっても、神様はそれを超えたご計画をもっていて、すべてが益となる、善いようになるように働かれるお方です。
Ⅴ.まとめ
私たちは、ガラテヤの人たちのように、本当の救いに預かった恵みを感謝することができたのに、15節からあるように、いったいそれは何処へ行ってしまったのか?と問われる時があります。自分勝手な信仰に踏み外してしまう過ちを繰り返してしまいます。パウロが近くにいた時の信仰は喜びに満ちて、確かなものでした。パウロのような、私たちに福音を伝え、育てて下さった信仰の先輩たちがいなくても、教会に繋がり、御言葉と祈りに生きる信仰生活でありたいと願います。病気の人にも健康な人にも、お年寄りも子どもも、誰にでも、与えられている、今日という一日が、感謝で満たされますように。お祈りをいたしましょう。