神に栄光、地に平和

2016年12月25日
クリスマス礼拝
松本雅弘牧師
イザヤ書33章2~6節
ルカによる福音書2章1~20節

Ⅰ.導きの不思議さ

クリスマス、おめでとうございます。考えてみれば信仰を持つことはとても不思議なことのように思います。何故なら2千年も前に生きていた1人の人、それも遠く離れたパレスチナで生きたお方と時空を超え、ある意味で自分の家族よりももっと深いかかわりの中に生きることだからです。これは本当に不思議な導きです。

Ⅱ.世界で最初のクリスマスを祝ったのは神だけ

今日の聖書箇所でルカはクリスマスの出来事を記録しています。そのルカが、まず伝えたかったこと、それは住民登録のためにヨセフが向かったのが「ダビデの町」だった点です。その町で生まれたイエスこそ、私たちの真の王なのだという信仰を明らかにしています。
しかし、王の王であるイエスさまがお生まれになった時、当時の人々はその誕生を誰も知らなかったのです。ルカはその事実をも淡々と伝えます。
この後、羊飼いは御子誕生の知らせを受けますが、それは全くの例外です。世間一般の人々は誰一人、イエスさまの誕生を知りませんでした。ですからお祝いもしなかったのです。お祝いしたのは父なる神さまだけでした。
さらに、ルカはイエスさまの誕生をもう1つ別の視点でとらえ、「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。」と伝えています。
ここに当時のローマ皇帝の名前が出て来ます。彼こそ、数多くのローマの皇帝の中でも、特に「名君」と呼ばれた人です。アウグストゥスの時代、かなりの長い間平和が続きました。それを「アウグストゥスの平和」と呼びます。
この時代の人々は、「このような平和は皇帝アウグストゥスのお蔭なのだ」と語り、彼を「救い主」と呼び、「神」と崇める人々も出てきたのです。そしてローマのある地方では、この皇帝の誕生日を「福音」と呼んだそうです。「福音」とは元々は「良き知らせ」という意味ですが、「イエス・キリストの福音」の「福音」と同じ言葉を、アウグストゥスに当てて使っていたのです。
この後、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」という天使の言葉が出て来ます。ここで言われる「告げる」というギリシア語は「福音」という言葉の動詞的な使い方です。つまり天使の言葉を直訳すれば、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを喜びとして告げる」となります。日本語に直すとしつこい翻訳になるために、単に「告げる」とだけ訳しています。
ここでルカは、その誕生日を「福音」として祝われている皇帝アウグストゥスの治世に生まれたイエスさまの誕生こそ、実は本当の「福音」として人々に語り告げられたのだと語っているのです。
そうした上で、2章11節には、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」と記し、皇帝アウグストゥスを呼ぶ時に使っていた「救い主」という呼称を、敢えてイエスさまに当てて用いているのです。
天使がイエスさまを指さしながら「アウグストゥスではない、こちらこそ本当の救い主・メシアなのだ。ダビデの町に誕生し、布にくるまって飼い葉桶の中に寝かされている乳飲み子こそ、真の救い主なのだ」と語るのです。

Ⅲ.世界の片隅に生まれた救い主

ところで、イエスさまの誕生の出来事は当時のローマ史にほとんど記録されていないと言われます。特に18世紀以降の聖書学者による福音書研究ではその歴史的信憑性が疑われてきました。
しかし、後にその学説はひっくり返ります。決定的理由は、後の時代の考古学の発掘やエジプトと他の地域で発見された碑文などの研究の成果によりました。
現在、聖書外の文献や最新の考古学の裏付けによって分かってきたことですが、この時の住民登録がシリアで実施されたのは紀元前7年、もしくは紀元前4年頃なのではないか。したがって、イエス・キリストは紀元元年を遡ること、7年前、もしくは4年前にベツレヘムで誕生されたのかもしれないと考えられるようになってきました。
さらに通説として、この時代、皇帝アウグストゥスの名による住民登録が行われ、しかもそれが40年の歳月を要して実施されたと考える学者も出て来ています。つまり、「40年もかかった」ということは、裏を返せば、それだけローマの領土はとてつもなく広大で、そこに住む民の数も多かったということでしょう。まさに皇帝アウグストゥスの偉大さを示す証拠にもなる歴史的な事実だと思うのです。
ここで私たちが決して見落としてはならないこと、それは、アウグストゥスによる世界規模の歴史的人口調査が実施されるという出来事の最中に、ひっそりとした夜に、世界の片隅で、もう1人の王である、いや真の王である救い主イエスが誕生したのだ、ということをルカが私たちに伝えているということです。
この時代の人々は皇帝アウグストゥスの力を称賛し、彼がもたらした平和を喜びました。そして彼の誕生日を「福音」と呼んでお祝いしていました。
その同じ時、同じ世界にもう1人の王、いや真の王である「イエス」という名のメシア・救い主が誕生したのです。本当にひそやかに、当時の人は誰も知らない、それ故に誰からもその誕生を祝われない仕方で誕生しました。それを歴史的出来事としてスクープした新聞記者のように、ルカは、自らの興奮を抑えつつ、しかし確信をもってここに記録しているわけなのです。

Ⅳ.「神に栄光、地に平和」

ルカは、イエスの誕生を「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」と伝えています。そして、この出来事を最初に知らされたのが羊飼いたちだったと、この後の記述を通して私たちは知らされるのです。
ところで、羊飼いとは住民登録の対象外の人々でした。ですからその最中にも、いつもと同様に羊の番が出来たのです。ではなぜ神さまは彼らを選び御子の誕生を知らせたのでしょうか?
それは彼らこそが誰よりもイエスさまを必要とする人たちだったからです。ルカは、主イエスの誕生に飼い葉桶が使われた理由として「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」と伝えていますが、「場所がなかった」とは「迎え入れてはくれなかった」ということです。これは、まさに羊飼いたちが日ごろ経験して来たことでした。
「お前なんか、居ても居なくてもいい」と人々から見られ、それ故に、心深く傷つく経験を何度もしていたのが羊飼いです。その彼らに、神さまは御子誕生の最初の知らせを伝えてくださったのです。彼らが神に愛されている尊い存在として、胸を張って生きて行って欲しいと神さまは願っておられました。
ある人が言っていました。「クリスマスの出来事を1つひとつ考えてみると、クリスマスの物語の中には、本当はそうあって欲しくない話、そうあってはならないという話が幾つも含まれている」と。
そうです。「決して、そうあってはならない」と、神さまは熱い愛をもって、寂しく片隅に追いやられた人々の所に御子を送ってくださったのです。イエスさまがおられた場所は、きっと動物臭かったと思います。使用中の飼い葉桶に寝かされたわけですから。でも、よく考えてみれば、その臭いこそ羊飼いが身にまとっていた「香水」です。ホッとできるような香りだったでしょう。
恐れを感じている羊飼いたち、いや私たちが、恐れることなく近寄ることができるように、イエスさまは、赤ちゃんとして誕生されました。羊飼いがやって来た時に、「場違いなところに来たなぁ」と感じないように、しっかりと「野原の香水」を浴びるように飼い葉桶に誕生されたのです。何と優しい神さまなのでしょう!
イエス・キリストは、ほんとうにひっそりとした仕方でお生まれになりました。それはひっそりと、片隅にしか居場所を見つけることができない人の救い主になるために、本当に静かに生まれてくださったのです。
羊飼いたちに喜びの知らせを告げた天使たちは、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」と歌いました。
クリスマスの夜に、飼い葉桶の中に、オムツにくるまって、誰に認められることもなく産声をあげているイエスさま。そのイエス・キリストの誕生によって、神さまの恵みの支配が、この世界に始まっているのです。全ての人の救い主となり、全ての人の顔から涙を拭おうとする神さまの闘いが、この時から始まったのです。
私たちは、この主イエスの平和を実現する闘いに参与するように招かれています。その光栄と喜びをもう一度、共に分かち合い「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と賛美しながら、歩みを進めて行きたいと願います。お祈りします。

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