親よりも、子どもよりも、夫婦が大切

2016年2月14日 ファミリーチャペル
松本雅弘牧師
マタイによる福音書19章4~6節

Ⅰ.よき夫婦になるための秘訣―父母を離れること

今日の聖書箇所でイエスさまは「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」という旧約の言葉を引用しながら「父母を離れる」ことの重要性について語られました。
今日は、夫婦になるための条件としての父母を離れることを中心に、「よい夫婦となることの秘訣」についてご一緒に考えてみたいと思います。

Ⅱ.夫婦の関係は相手があって初めて成り立つ関係

 考えてみますと、夫と妻の関係は相手があって初めて成り立つ関係です。当然ですが夫は妻がいるから夫です。妻も夫がいるから妻なわけです。ところが、結婚してしばらくすると、この基本が危うくなります。ここでまさに「父母を離れる」という、「親離れ」が問われます。
結婚して間もなくの頃、私の母の誕生日が4月29日で国民の祝日にあたっていましたので、お祝いも兼ねて私の実家に帰るようにしていました。私にとっては母親の誕生日ですから、大事な年中行事だったのですが、妻にとってはあまり気の進む行事ではなかったようなのです。
子どもが与えられた後も、その日は子ども達を連れて実家に戻りますが、帰りの電車の中で決まって、私たち夫婦は険悪なムードになりました。仕舞いには、子どもたちの方がよく分かってきて、「お祖母ちゃんの誕生日はいつもケンカするね」と言われるほどになってしまいました。
何が問題だったのか? しばらくして妻の気持ちが分かるようになりました。それは実家に帰ると、いつの間にか私が母親の子どもになってしまうということです。実家にいる私の姿が妻の目から見ると夫であるよりも姑の息子としてしか映らない。夫なのに、子どももいる父親なのにまるで自分が子どものように振る舞っていたのです。

Ⅲ.夫婦の関係が祝されると家庭も祝福を受ける

最近つくづく思うのですが、私たちの人生って本当に複雑です。次々に応用問題がやってきます。夫婦の関係、家族関係もそうです。結婚してしばらくすると、夫も妻もそれぞれの役割が増えて来ます。夫は会社が忙しくなり、夫婦に子どもが与えられれば妻は母親としての働きが求められてきます。
たとえばこんなことが起こります。夫の会社での責任が増え、妻との時間がなかなか持てない。そうした中で、妻にとって夫が物理的にも精神的にも疎遠な存在になってしまうような場合、当然ですが妻は自分を「妻」として意識する機会が少なくなっていきます。そしてふと、自分の周りを見回した時に、そこに子どもが居たことに改めて気づかされる。すると当然、「ああ、私は、この子の母なんだわ」と突然スイッチが入るように、よい母親であることに自分の存在価値を見出していくことになります。
母親であることの自覚は、もちろん当然であり、尊いことです。ただ問題は、夫婦の関係の中で初めて満たされるべき心のニーズが、夫の存在が希薄であるがために、どうしても子どもとの関係の中で満たそうとする、そこに問題が起こるということだと思うのです。
先月のファミリーチャペルでも紹介しましたが、結婚カウンセラーの村瀬幸治さんは、最近の親の、子どもへの過干渉に触れ「なぜ親はそんなに子どもに執着するのか」と問題提起し、その理由は「親が1人の大人として、安心して生きていないからではないか。子どもとのかかわりの中でしか、自分の存在感を感じることが出来ないとか、・・」と語っていました。
男性はともすると仕事を第一にして、帰宅した後もずっと会社員であり続けることが考えられます。その結果、家庭には会社員はいても夫がいなくなるわけですから、妻も妻である意識が薄れます。夫あっての妻ですから……。すでに子どもが居れば、その子の母になるわけです。
このことは心の中で起きることなので、目に見える部分での大きな変化はありません。以前と変わらず、同じ屋根の下で暮らしています。でもそうした2人の生活はもはや夫婦ではなく、会社員の男性と母という女性が同居しているだけになってしまうわけです。
今年、教会ではマリッジコースという夫婦セミナーに取り組みます。そのセミナーで用いるビデオの中で、ある奥さんが話していました。テレビを観ていて、夫婦円満の秘訣は適当な距離を保つことだと真面目に説く専門家の話を聞いて驚いたというのです。定年退職した夫婦の場合には、この距離感が特に大切だと強調されていた。彼女は、「でも、私たちは距離を保つために結婚したのでしょうか」と率直に問題提起していました。 
教会で結婚式を挙げるカップルに課題図書を読んでいただくことにしています。それは『ふたりで読む教会の結婚式―大切な12のこと』という本です。今日の説教の題はその本の中にある1つの章のタイトルをそのまま使わせていただきました。
著者は牧師の吉村和雄先生です。その本の中にありましたが、吉村先生がアメリカで行われた研修会に参加した時のことでした。講師はとても有名な方で、牧師をしながら大学で経営を教えるような人だったそうです。その講師が自分の手帳を見せてくださった。当然のように手帳は予定でびっしり。真っ黒になっていました。ところが、ところどころ空白な日がある。不思議に思って、「先生、どうしてこの日が白いのですか?」と訊いてみたそうです。すると講師は、「この日は何の仕事も入れていない。妻と一緒に過ごす日だから」と答えたそうです。
吉村先生は、教会形成の学びもさることながら、この手帳の話が一番心に残り、感動を与えられたと語っていました。物凄く忙しい人が忙しいからこそ努力して妻と過ごす日を確保する。そういう日は、ベビーシッターを頼んでも必ず夫婦で出かけるというのです。なぜそこまでするのかと言えば、妻が母親になってしまうからだそうです。
勿論、夫は家庭に仕事を持ち込まない。そうやって夫と妻でいる時間を確保する。確かに、私たち日本では、若いご夫婦が子どもを預け、2人だけで外出することに批判的な風潮があります。でも聖書によれば、家庭において夫婦が基本ですから、ある意味で工夫をしながら、妻に対して自分が夫であること、夫に対して自分は妻であること、そうした夫と妻でいる時間を確保することが、実は、いかに大事であるかを知らされるように思うのです。
いかがでしょう。私は、自分が子どもの頃のことを思い出す時、何が安心で幸せだったかと言えば、お父さんとお母さんが互いを大切にし合っている姿を見る時だったと思います。そうした両親、つまり夫婦が中心になって作られた家庭の中で、子どもたちは安らぎを感じますし、温かさを経験するものです。
このようなことをお話しますと、そんなことをしたら子どもがひがむのではないかと反論する人もいます。でも、そうではないように思います。
逆に妻が妻であることを忘れて、子ども一辺倒の母親として、一生懸命になって世話を焼き、子どもを可愛がったとしても、たぶん子どもは幸せを感じないのではないでしょうか。むしろ、「ボクはいいから、お父さんを大事にして」というのが彼らの実感だと思います。  
また「俺が稼がなければ、お前たちは食べていけないんだから……」と言って、いつも仕事のことしか考えていない。罪滅ぼしのように、物を買い与え、立派な家を建て、その家の中を整えたとしても、誰が幸せを感じるでしょうか?! お金で建てられるのは「ハウス(家)」であっても、「ホーム(家庭)」は夫婦で協力して立てるものです。「ハウス」があっても「ホーム」がなければ誰が幸せになれるでしょうか?! 
そんな家の子どもに訊けば、「親父、お袋をかまってやってくれよ。そうでなければ安心して結婚もできやしないじゃないか……」と心の中で訴えているのではないかと思います。

Ⅳ.親よりも、子どもよりも、夫婦が大切

子どもはどんなに可愛くても手がかかってもいつかは巣立って行きます。またそうでなければ困るわけですが……。そしてまた、仕事も同じです。どんなに忙しく、そしてやりがいがあったとしても、いつか後輩にバトンタッチしていくものです。仕事から離れる時が必ずきます。
でも、夫婦は違います。2人が夫婦であるという事実はずっと変わりません。よく言われることですが、私たちの失敗は、変わるものに目を奪われすぎることです。それに加えて、変わらないもの、変えてはいけないものを軽く扱ってしまうこと、おろそかにしてしまうことでしょう。
「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」とイエスさまは言われます。
「父母を離れなければ、本当の意味で夫と妻の関係にはならない、ひとつにはなれないのだ。そのことを大切にしなさい」と強調しておられるのです。
私たちが心にとめておきたいよい夫婦の秘訣は、「親よりも、子どもよりも、夫婦が大切」ということです。夫婦の関係を優先して生きる時、結果として親子の関係が祝福されるからです。
お祈りします。

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