純潔の人マリア

和田一郎牧師 説教要約
2024年5月26日
雅歌2章1-6節
ルカによる福音書1章39-56節

Ⅰ.マリアの言葉

 私が中学生の時、ビートルズの「Let it be(レットイットビー)」という曲を聴きました。曲の中に聖書の言葉「お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ1章38節)英語の聖書では、”let it be with me according to your word.”とあります。作詞作曲をしたポール・マッカートニーは「マザー・マリアが私の所にやって来て、囁いてくださった」と、イエスの母マリアからの励ましの言葉として曲にしていました。神様の言葉に委ねていれば大丈夫ですよ。という励ましのメッセージとして聴いた人も多いと思うのです。

Ⅱ . 信じた二人  

  マリアは、天使から、あなたは身ごもっていると聞いた時、親類のエリサベトも男の子を宿していることを初めて聞きました。このことを知ったマリアは、じっとしていられませんでした。彼女は数日かけて急いで行ったとあります。
思えばマリアは、ある日突然、天使に「神の子救い主の母となる」と告げられたのです。それも聖霊の力によって、結婚する前に妊娠するということでした。誰にも信じてもらえない、とんでもないことです。マリア本人は、驚きはしましたが「お言葉どおり、この身に成りますように」と答えました。それは物凄い決意です。
その決意の助けとなったのが、不妊の女で親類のエリサベトが、身ごもっていると天使が言っていたからです。これから自分の身に起こることを、一足先に体験しているエリサベトと、共に喜びたい。それまで、この喜びは誰とも分ち合うことができないのです。その思いを胸にして歩いていきました。
エリサベトに会うと「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」と言うのですが、この二人の女性の喜びは、子どもを授かったことだけではなく、その源泉は「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、幸いである」ということです。ルカ1章における大切なメッセージは、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方に幸いがある」ということです。これは私たちにも響いてくるメッセージです。喜びの源泉は主の言葉は実現することにある。そう信じる者に喜びがあるのです。
実はエリサベトの夫のザカリアは、信じようとしなかったので、子どもが出産するまで口が利けなくされたのです。信じて喜びを得た二人の女性とは対照的です。
マリアの賛歌が歌われます。救い主の母に選ばれたマリアが、そのことをどんなに喜び、感謝し、幸せに思っているかと歌っています。この歌の後半51節以降では、人間の思いや価値観と、神さまの思いや価値観が、いかに違っているかを歌っているのです。人間社会の中で思い上がる者を、主は追い散らします。この世で権力ある者は、その座から引き降ろします。そして、この世で低いとされている者を、高く上げ、飢えた人を良い物で満たす。それが主なる神様です。
マリアは、自分のような貧しいく小さな者に目を留めてくださった、はした女の私を高めてくださったことを喜んでいるのです。しかし、誰も受けたことのない祝福を受けた半面、神殿で出会ったシメオンという老人が預言したように「剣があなたの魂さえも刺し貫くでしょう」という痛ましい苦難と重荷を、その人生において喜びと共に担うことになったのです。

Ⅲ . マリアの生涯

マリアは、ごく普通の母親として、イエス様を育てていきました。出産後、ヘロデ王の迫害があり、幼子の命を守るためにエジプトに亡命して不安の中で過ごしました。その後ヘロデが死んだのでナザレの村に戻ると、息子を大工の子として育てていきました。12歳で、祭りのためにエルサレムに上っていった時、迷子になった少年イエスが神殿にいる所を見つけると、母親らしく「なぜ、こんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです。」(ルカ2章48節)と息子を叱りました。その叱った様子も母親の愛情を感じる場面です。
その後健やかに成長して、故郷のナザレの人々から「この人は大工ではないか」と言われたとおり、父ヨセフが早く亡くなった後、イエス様は大工として一家を支えていたと言われています。当時の家は石造りでしたから、石工という重労働の仕事をして家計を支える長男イエスと、それを静かに見守り、下のきょうだい達を育て、生活を支えた母マリア。そのような生活がイエス様が30才になるまで続くのです。
そして、いよいよ宣教の働きのために公生涯に出ます。カナの婚礼で、母マリアはイエス様が奇跡を行われるのを支えて見守りました。ユダヤ中の話題の人物として人々が群がるようになってからは、息子に会いたいと訪れても「私の母とは誰か、兄弟とは誰か」(マタイ12章48節)と冷たい言葉に触れるのですが、それが息子イエスの使命だと、マリアは遠くから見守りました。
そして、十字架で自分の息子が処刑されるという痛ましい出来事を目の当たりにするのです。最後に息子と接したのは「女よ、見なさい。あなたの子です」と言われ、それから弟子に「見なさい。あなたの母です。」と最後の言葉を交わされた時です。(ヨハネ19章26-27節)。
それまで公生涯においては、親子の関係を断って、距離を置いているように見られましたが、最期の時に至って、息子らしく母を気遣って「これからは私の母の面倒を見てやってほしい」と託したわけです。ここでは託した相手を「愛する弟子」とありますが特定の人物というよりも、愛する弟子たちに託したと言えます。最後の晩餐の時、弟子たちを前にして「世にいるご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれた。」とありました。
弟子たちは皆、イエス様にとって愛し抜かれた人たちでしたから、イエス様に愛され、救いにあずかっている弟子たちすべて、さらにイエス様が愛されている信仰者である私たちにマリアを託されたのです。

Ⅳ . もう一人のマリア

イエス様とマリアの関係と重なる親子がいます。明治の文学作家、小林多喜二とその母です。三浦綾子さんが『母』という題で小林多喜二親子を描いています。小林多喜二は、明治プロレタリア文学を代表する作家です。
その小林多喜二の母セキさんは、字を書くことも読むこともできなかったのですが、多喜二は勉強ができたので学校を卒業して北海道の銀行に勤めました。当時の銀行員は高給とりでしたが、実家の餅屋の仕事を出勤前に手伝ってから出勤し、仕事から帰ると小説を書きました。それも「貧乏人のいない世の中にするために小説を書いているのだ」と言うのです。彼は、いくら勤勉に働いても報われない農民や労働者の中で育ちました、貧しい人の味方となって小説を書き、武器を作るお金で皆に白い米のご飯を!と反戦を訴え続けた人でした。
そんな彼の小説「蟹工船」は評判になり注目されますが、危険思想をもつ要注意人物として警察にマークされ始めるのです。遂に多喜二は逮捕され、裁判も受けずに、特高の拷問によって殺されてしまう。今ではありえない話しですが、当時の治安維持法で拷問で死ぬ人が多くいたのです。
死んだ小林多喜二の遺体を、引き取りに行った母セキさんは遺体を自宅に運び、あまりに悲惨な拷問の跡に絶句しました。多喜二のほっぺたに自分のほっぺたをくっつけて、生き返って欲しいと嘆き、優しい自分の息子が、なぜ国家権力によってこんな仕打ちを受けなければならないのかと悲しみました。
しばらくして長女に誘われて教会へと導かれます。文字を読めないのに「聖書をお開きください」っていうので戸惑います。しかし、牧師から「お母さん、人間には心の目とか、心の耳というものがあって、聖書を読めない人でも、聖書をすらすら読める人より、よく分かることがあるのです。お母さんのように人の何倍も涙を流してきた人は、その心の目と、心の耳があるんです」。と言われ、やがて洗礼に導かれたそうです。人生の痛みを味わった、セキさんのような人は、心の目と、心の耳を持っている。

Ⅴ . マリアの信仰は、今の私たちの励まし

「お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ1章38節)というマリアの言葉は「心の目、心の耳」から受取った信仰だったのでしょう。このマリアの言葉は、自分に対して「この身になりますように」と受け止める言葉なのですが、その言葉は、私たちへの励ましの言葉にもなるのです。
自分の息子イエス・キリストを痛ましい十字架で亡くした痛みを経験した女性ですが、強く優しく生きた女性の純粋な信仰を表す言葉として、私たちは励まされます。神のみ言葉が、この身になりますように、願い求めていきましょう。
お祈りいたします。