最初の弟子たち
和田一郎牧師 説教要約
2024年6月9日
イザヤ書44章1-5節
ヨハネによる福音書1章35-51節
Ⅰ.はじめに
今日の聖書箇所は、イエス様の最初の弟子たちの話です。先週はマタイ福音書からイエス様が洗礼を受けた箇所でした。マタイは徴税人という人から嫌われる仕事をしている時に、収税所でイエス様から声をかけられ弟子になりました。最初の弟子との出会い。それが今日の聖書箇所です
Ⅱ . 洗礼者ヨハネの弟子から主イエスの弟子へ
35節「その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と共に立っていた。」とあります。ここに書かれたヨハネとは、洗礼者ヨハネのことです。洗礼者ヨハネは預言者の一人です。旧約聖書でも預言者が現れ救い主メシアであるイエス・キリストの到来を預言しました。その最後の預言者が洗礼者ヨハネで、イエス様の最後の3年間の公生涯を前にして、その道備えをするのが洗礼者ヨハネの使命でした。彼はヨルダン川で人々に悔い改めのしるしとして洗礼を授けながら、「私の後から来る方は、私に優っている」と語り続けたのです。洗礼者ヨハネには弟子たちがいました。弟子たちと一緒に立っていた時、イエス様が歩いて来るのを見て弟子たちに36節「見よ、神の小羊だ」と言いました。
二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従いました。つまり、洗礼者ヨハネの二人の弟子が、イエス様の弟子となったのです。元々は洗礼者ヨハネの弟子だったのです。ヨハネは自分の元に集まって来た人々にイエス様を指し示し、人々がイエス様の弟子となることを願っていたのです。
この人たちは、信頼する相手を簡単に変えてしまう、移り気の早い人たちではありません。キリストと出会い、この人こそ従うべき救い主であることを知ったのです。イエス様の弟子になったアンデレが41節で「私たちはメシア『油を注がれた者』に出会った」と言っています。キリストに出会って、この人が求めていたメシアだと分かったのです。そして、彼らはそれまでの師であった洗礼者ヨハネの使命を知っていました。31節でヨハネが「この方がイスラエルに現れるために、私は、水で洗礼を授けに来た」と言ったヨハネの使命を知っていました。そして、ヨハネ自身がイエスさまに従うように願ったのです。
Ⅲ . 何を求めているのか
38節「イエスは振り返り、二人が従って来るのを見て、『何を求めているのか』と言われた。」答えに苦しむ問いです。あなたは何を求めて生きているのですか?ということです。
私たちも教会に来て「何を求めているのですか?」と聞かれたら答えに困ります。知りあいが楽しそうに教会に集っているし、いい話が聞けるので来ているという方々もいるでしょう。そもそもどうして教会に来ているのかを問われたら、答えに困るのです。しかし、だれでも何かを求めています。この二人の弟子たちも、自分が今必要としているものを満たしてくれる何かが見つかると思っていたのです。
彼らは返事をしました。「ラビ、どこに泊まっておられるのですか」とまったく答えになっていない答えです。宿泊場所を尋ねてどうする?と私たちは思います。しかし、彼らは彼らなりに必死だったのです。「ラビ」は先生という意味ですが「先生」と呼べる師に会い、先生の言葉を聞きたかったのです。深い関わりを持ちたかったのです。
ですから、イエス様は答えました。39節「来なさい。そうすれば分かる」と。直訳すると「来なさい、そして、見なさい」” Come and see”です。
「見なさい」。何を見るのか? 奇跡を見ていくことになるのです。
12人の弟子たちを招かれたイエス様は、公生涯で「しるし」と呼ばれる奇跡を現わしていきます。ヨハネ福音書では七つのしるしがあります。「カナの婚礼」「役人の息子の癒し」「38年間病気の人の癒し」「五千人の給食」「湖の上を歩く」「生れつき目の見えない人の癒し」「ラザロの復活」です。それらのしるしは、「復活」という最も偉大なしるしに至る道にありました。七つのしるしを見ることで、弟子たちは一つ一つをメシアの救いの出来事として見ていくのです。それらのしるしを通して、復活を先取りする出来事の証人とされていくのです。イエス様は「来なさい、そして見なさい、そうすれば分かる」。それは復活の証人となる、使徒の道への招きであったのです。
その日アンデレたちはイエス様と共に過ごしました。次の日になって、アンデレはこのことをすぐに兄弟のシモン・ペトロをイエス様の元に連れてきました。これは福音書の中にある初めての家族伝道です。アンデレは人をイエス様に紹介していきます。イエス様に繋ぐ人であり続けました。一人の少年を紹介し、異邦人だと嫌われていたギリシア人を紹介し、自分の兄弟を紹介しました。人を分け隔てしない人です。
一方で、アンデレが取り次いだ兄弟のペトロは42節「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ『岩』と呼ぶことにする」と言われました。
ペトロはこの瞬間人生が変わったのです。それは名前を付けられたからです。聖書において名前は人格を現わしています。単に名前が変わっただけではなく、その人自身が変えられたのです。
「岩」という意味の名をつけられ、やがてその岩が教会の礎になることをイエス様は願ったのです。こうして、ペトロも弟子に加えられました。
今日の聖書箇所では、洗礼者ヨハネの弟子だった二人の人が、イエス様の弟子になった話から始まりました。二人の弟子のうちの一人はペトロの兄弟アンデレとあります。そして、もう一人は名前が出てこないので無名です。しかし、使徒ヨハネだという神学者も多くいます。つまり、著者のヨハネ自身のことです。この福音書では「イエスの愛した弟子」と表現される人物がいます。21章20節では「この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸元に寄りかかったまま『主よ、あなたを裏切るのは誰ですか』」と、他の弟子が言いにくいことを聞くことができた、特別な存在として書かれていますが、それは著者ヨハネ自身だと見ることができるでしょう。他の三つの福音書は「洗礼者ヨハネ」とありますが、ヨハネだけは自分と同じ名前なので、あえて「ヨハネ」とだけ記しているのです。
最初の弟子の一人ヨハネは、イエス様にもっとも近い弟子だったと言われています。ですから十字架に架かられた時、母マリアを託すほど信頼していた人物です。ヨハネは12人の使徒のなかでも最も若かったとも言われ、そして長寿を全うした人なのです。なぜかといいますと、このヨハネによる福音書が書かれたのが、西暦90年後半だと見られているからです。イエス様が十字架に架かられてから60年程たってから書いた書です。ヨハネが書き残した書は『ヨハネの福音書』『ヨハネの手紙』『ヨハネの黙示録』が残っています。その後のキリスト教会に大きな影響を残した人物でした。そのヨハネも元々漁師でしたが、イエス様と出会ってペトロと同じように、大きく人生を変えられた人です。
Ⅳ . 最初の弟子たち
今日は、イエス様の最初の弟子たちの様子を見てきました。一人一人が個性の違うユニークな弟子たちです。イエス様は、この後、弟子となっていくマタイやユダも含めて、多種多様な人たちを弟子としていきました。育ちや境遇、性格や賜物などが、それぞれ違っていました。分け隔てしないイエス様の性質、神様の性質がここに現れているのです。そして、イエス様に出会った弟子たちは変えられていきました。出会ってもそのまま、以前と変わらない弟子などいなかったのです。それは私たちも同じです。私たちも弟子だからです。イエス様に「来なさい。そうすれば分かる」と言われ、従った者をキリストの弟子と呼びます。イエス様に従った弟子たちは、古い自分から変えられました。人から評価されたいという思いから、世の中から認められたいという思い、そして、人にも神にも頼らなくていい自分のことは自分でできるという思いから解放され「来なさい」と招いてくださる方に出会った者は、すべてを変えられるのです。変えていただける喜び、それが弟子にして頂いた喜びです。そこには古い自分からの解放があります。
この一週間、自分の信仰生活で見させて頂いた「しるし」を証ししていきましょう。言葉を通して、行いを通して、それぞれの賜物を用いたキリストの弟子たちに倣って、証しの生活を歩んでいきましょう。
お祈りいたします。


