はじまりにいた方
<秋の歓迎礼拝> 和田一郎牧師 説教要約
2024年10月13日
ヨハネによる福音書1章1節
Ⅰ. 聖書について
今、私たちが手にしている聖書は旧約聖書と新約聖書に分かれています。
旧約聖書は紀元前1500年~紀元前400年ごろに書かれました。イエス・キリストが生まれ十字架に架かられた後、新約聖書は西暦50年~100年頃までに書かれました。旧約聖書と新約聖書の間に400年の空白期間がありましたが、実に1600年の年月をかけて書かれた書物です。
旧約聖書は、天地を造られた神がイエス・キリストをこの地上に送るという預言をして終わっており、新約聖書は、そのイエス・キリストが預言通りに地上に来られ、十字架に架かられ復活した出来事、そして、それを見た使徒たちのキリストを証言する手紙が主な聖書の内容です。
数十人もの人たちが同じテーマで一貫した真理が書かれているというのは不思議だと思います。それは唯一の神様が、神様の霊(聖霊)によって聖書を書くことを示された人々に働きかけて書かれたのです。つまり、聖書は神の霊によって書かれた「神の言葉」です。
旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はギリシア語で書かれました。それが原典ですがその後、宗教改革の前後になって英語やドイツ語に翻訳されるようになると、一気に世界中の国の言語に翻訳されるようになったのです。聖書が日本語に翻訳されたのはいつ頃でしょうか?記録のうえでは、フランシスコ・ザビエルが持って来たと言われていますが、それは残っていません。現存する最古の日本語訳聖書は中国のマカオで1837年に書かれた聖書です。その聖書が書かれるまでの物語を作家の三浦綾子さんが『海嶺』という小説にしました。
Ⅱ. 「はじまりに賢い者ござる」
物語は、14人の乗組員の乗った船が、愛知県の熱田から、お米をつみこんで江戸へ出発するのですが。途中の遠州灘で暴風雨にみまわれ漂流します。漂流期間は1年2か月。乗組員14人は米を運ぶ船だったので遭難後も米だけは確保されていたのですが、少しずつ病で死んでいくのです。「人は何で死ななあかんのか?」「死んだらどうなるのか?」死んでいく仲間の死体を抱きながら、彼らは祈り始めます。「そうだ日本にはたくさん神様がいる。よし、知っているだけ神や仏の名前を書き出していこう」と、紙に伊勢神宮、金毘羅大権現、神田の大明神様と書いていくのです。小説ではありますが、江戸時代末期の日本人の素朴で必死な祈りが綴られています。
現代の日本は、宗教に対する偏見が強いです。無宗教の方がバランスがとれているかのように思われている。しかし、どの町にも神社・お寺が必ずあります。江戸時代はもっとあったそうです。本来、日本人の信仰心というものは素朴で熱心であったのです。小説にはその様子が描かれていました。
14人の中で、生き残ったのは年の若い3人でした。音吉・久吉、岩吉のみが生き残る。船は北アメリカの西部、ワシントン州最北端に流れつきました。ここで原住民のマカハ族と遭遇して奴隷となって働かされるのです。逃げ出すことはできません。
しかし、漢字で救出を願うメモを現地人に託すと、その漢字のメモが人から人へと手渡され、当時この地域を所有していたイギリスの商社が、東洋人が漂着したと分かり、原住民の酋長と交渉して3人は救出される。3人は商社の責任者マクラフリン博士の家に連れてこられ、3人と一緒に神に祈るのです。3人の日本人は、はじめてキリスト教の祈るのを目の当たりにするのです。神棚も仏壇もない所で祈るのを3人は奇妙に思いながら祈りを見ていました。
マクラフリン博士が、彼らを救出したのは、彼らを日本に送り返してあげたいという思いからです。3人がロンドンからアフリカの喜望峰を抜けて、中国マカオに到着したのは、日本を出てから3年が経っていました。ここで3人はギュツラフという宣教師に出会います。音吉・久吉、岩吉の3人は英語をある程度話せるようになっていました。ですからこの時にギュツラフから聖書の学びを受け、ギュツラフが願っていた聖書の日本語訳を手伝うことになったのです。
聖書を旧約聖書から新約聖書まで、すべてを翻訳するのは相当至難の業です。そこでギュツラフが選んだ書が、今日私たちが読んだ「ヨハネによる福音書」です。その翻訳作業の中で、一番難しい箇所が、今日読んだ最初の言葉1章1節だとありました。
「初めに言があった」英語で、「インザ ビギニング ワズ ザ ワード」これを翻訳するのです。ギュツラフは「ワードはただの言葉ではない」と「ワード」について説明しました。
「神は、天地を造るのに手では造られませんでした。言葉で造られました。魚も鳥も、山も木も言葉で造られました。それは天地を創り出す力でもありますし、善悪を判断する知恵でもあります。すべてのものを存在させている秩序でもあります。それらすべてを合わせたもの、それがここでいうロゴス、ワードなのです。」
3人はその話をもとに日本語の中から、選び出そうとしていた。善悪を判断する知恵を「賢い者」と表現しました。このようにして、「はじまりに賢い者ござる」となりました。
「ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル、コノカシコイモノワゴクラク。ハジマリニ コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。」
時代を経て、今は「初めに言(ことば)があった」となりました。「言葉」ではなくて「言」の一文字で表しているところに、普段話す「言葉」とは違うという意味が込められているのです。
Ⅲ. ヨハネによる福音書1章1節
このヨハネによる福音書1章1節ほど、簡単明瞭にイエス・キリストの神性(神であること)を深淵な言葉で表している箇所は他にありません。
「初めに」という言葉は、聖書の一番最初の言葉、創世記1章1節の「初めに神は天と地を創造された。」と同じ言葉ですし、著者のヨハネもそのことを意識していたと思います。しかし、「初めに」というのは天地創造されたその時だけを指す言葉ではないでしょう。天地創造の以前からすでにイエス・キリストが存在していたことを意味しています。そして、「初めに、神の子があった」と言わずに「言があった」と表現したのは、「光あれ」と言葉で御業を現したように、言葉を通じて自らを現わされる方だからです。
「言は神と共にあった」。独り子イエスは、父なる神と共にあったと言うのです。別の言い方として「神は神と共にあった」とも言えますが、それでは二つの神があることになってしまうので、ヨハネは二つの神ではなく「父なる神」と、「子なるイエス・キリスト」は異なるものでありながら、唯一の神だけがあることを示しました。
「言は神と共にあった。」人としてこの世に来られたイエス様が神であられる、キリストの神性がこれ以上ないほど明確に断言されています。
ヨハネによる福音書が書かれた目的は、20章31節「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じて、イエスの名によって命を得るためである。」とあります。
この聖書を読んだ人が「イエスは神の子メシアであると信じるため」に、この聖書は書かれました。著者ヨハネは、この聖書と出会った人は、救い主イエス・キリストと出会って欲しいという願いがあったのです。
Ⅳ. 出会いが人生をつくる
ちなみに3人のその後ですが、日本に帰国しようと船で近づきますが、江戸幕府によって大砲の砲撃を受けて追い返されるのです。3人はマカオに戻り中国やアメリカ、シンガポールなどに移り住んで結婚して家庭を築いていったそうです。日本の家族に再会することなく生涯を終えました。
しかし翻訳した聖書は、翻訳完成の23年後に、アメリカ人宣教師ヘボンがその聖書を持って、日本へ来て大きな影響を与えました。ヘボンが改めて日本語訳聖書を造っていく礎となったのです。
この聖書と出会い、神さまと出会った人たちは、その人生を変えていったと思います。
神さまは不思議な形で出会いを与えてくださいます。それは神さまからの招きです。どうぞその神さまからの呼びかけに応えて、福音という恵みを受け取って頂きたいと思います。
今日は話の中で、「言」とはイエス・キリストその方だと話しました。すべての初めにキリストがあり、キリストは神と共にあり、キリストはあなたと共にあり、今も生きておられます。
お祈りいたします。
