伝道の幻

<中会神学校デー>
小泉健牧師 説教要約
2026年7月12日
イザヤ書55章6-11節
使徒言行録16章6-10節

Ⅰ. 

使徒パウロが二回目の伝道旅行をしています。同じ伝道者であるシラスと共に、まずシリア州やキリキア州を回って教会を力づけました。ここは、パウロが第一回伝道旅行で伝道した場所です。前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たち、姉妹たちを訪問し、信仰を励ましました。途中の町で、テモテという若い弟子が一行に加わりました。パウロ、シラス、テモテの三人になった。ここまでは順調でした。
ただ、ここまでは、新しい町に行ったわけではない。すでに訪れた町をもう一度訪ねただけです。ここからが本番です。新しい町に行って、まだキリストの福音を知らない人たちに伝道する。では、どこへ行くかです。
一行は、小アジアの内陸部を東から西へと進んでいました。このまま大きな街道をたどって西に向かっていくと、小アジアの西海岸に出ます。大きな町がいくつもあります。ここが、当時「アジア」と呼ばれていた地域です。アジア州の首都がエフェソです。おそらくパウロは、街道沿いに伝道をしながら、エフェソに行こうとしていたのだと思います。
ところが、うまくいかなかった。御言葉を語ることを聖霊から禁じられました。西に向かって、アジアに行くことができなかった。そこで、針路を北に転じます。フリギア・ガラテヤ地方を通って行く。ここは山岳地帯で、人が多いわけではない。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとした。山岳地帯を抜けてしまって、もっと北、黒海沿岸のビティニアに行こうとしました。しかし、イエスの霊がそれを許さなかった。計画を立てるのだけれども、うまくいかない。どこにも行けずに、トロアスに来た。
「聖霊に禁じられた」とか、「イエスの霊が許さなかった」というのは、具体的にどういうことだったのだろうと思います。
具体的に何が起きたのかは語られていません。たしかなことはわからないのですけれども、一つの手がかりは、この時「ガラテヤ地方を通った」と言われていることです(6節)。ガラテヤ地方の教会は、この時に建てられたものと思われます。パウロは「ガラテヤの信徒への手紙」の中で、こう言っています。
「知ってのとおり、私が最初あなたがたに福音を告げ知らせたのは、私の肉体が弱っていたためでした」(ガラテヤ4:13)。
パウロが伝道できなくなった、道を妨げられた、というのは、具体的にはこの病気のことかもしれません。重い病気にかかって、それまで考えていた計画は全部だめになった。どんなに無理をしても、力を振り絞ってみても、どうにもならない。
港町トロアスに来ました。ここで道は終わっています。その先は海です。エフェソに行けず、ビティニアにも行けず、海にぶつかった。パウロは海を見ながら、何を考えたでしょうか。頭に描いていた計画。思い切り伝道しようという思い。夢。全部崩れました。

Ⅱ. 

御言葉が語ろうとするのは、その先のことです。パウロは、この行き止まりの地トロアスで、一つの体験をします。
「その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、私たちを助けてください』とパウロに懇願するのであった」(9節)。
マケドニアというのは、ギリシア北部の地域です。海を越えて、ギリシアに渡って来てください。わたしたちを助けてください。パウロは、一つの幻を与えられました。伝道の幻です。今までは小アジアの伝道しか考えていなかった。しかし、あちらにも行けない。こちらにも行けない。その道が全部閉ざされているように思っていた。ところが今、ギリシア伝道、ヨーロッパ伝道の幻を持つようになった。
「パウロがこの幻を見たとき、私たちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神が私たちを招いておられるのだと確信したからである」(10節)。
ここで突然「私たち」という言葉が出てきます。これまでは、「彼らは」「パウロは」と語ってきたのに、ここで初めて、突然、「私たちは」と出てきます。使徒言行録を書いている著者ルカが登場しています。ルカが、ここトロアスで一行に加わった。パウロ、シラス、テモテの三人に、四人目の伝道者として仲間入りします。
「私たちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。」
トロアスは行き止まりの町だと思っていました。健康状態もよくない。ルカは医者です。パウロがルカと出会ったのは治療のためだったでしょうか。治療をしながら話をしたでしょう。パウロは主イエスのことを語る。やがてルカはキリスト者となった。想像ですけれども、そういういきさつがあったのかもしれません。
ルカは異邦人です。マケドニア人であるように思われます。ルカはパウロにマケドニアのことを話したのではないでしょうか。ルカとの出会いが、パウロにマケドニア伝道の幻を与えたのかもしれません。パウロが幻に見たマケドニア人はルカなのかもしれません。
パウロはこの時、病気によって、すべての計画が破綻していました。途方に暮れていた。どこに向かっていいかわかりませんでした。そのときに、新しい、思いがけない幻を与えられた。
「パウロがこの幻を見たとき…マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神が私たちを招いておられるのだと確信した」(10)
「確信する」。これは、バラバラのものを一つのところに持ってきて、結び合わせるという意味の言葉です。パウロたちはこの時、一つ一つのことを思い返し、結び合わせたのでした。これまでは、サタンが伝道を妨げていると思っていたかもしれません。自分は弱くて、伝道旅行をする力はないのだとあきらめていたかもしれない。しかし今、改めて思い起こします。父親がギリシア人であるテモテが仲間に加わった。パウロが病気になった。あれほど願い、計画していたエフェソ伝道が妨げられた。ビティニアにも行けなかった。ルカに出会った。そして、パウロの幻。すべてを結び合わせて、確信するに至ります。これは、神がわたしたちを召しておられる。招いておられるのだ。
一人が見た伝道の幻を、皆が見るようになりました。パウロが召されているだけでない。神は自分たち皆を召していてくださる。そう受け止めた。彼らはすぐにマケドニアへ向けて出発することにしました。
それにしてもです。今日の10節に突然「私たち」が現れるのは、やはり不思議です。ここからルカが加わった、ということではありますけれども、それだけなら、「私」がパウロに出会ったとか、「私」も仲間に加わったということを書いてもよさそうな所です。そういうふうに語らない。ルカは自分のことを語らない。自分を消しています。それならいっそ、黒子の書き手に徹して、「彼らは」と書き続けてもよさそうなものです。でもそうもしない。

Ⅲ.

 伝道の幻が与えられた時、それは一人のものではなくて、みんなのものになった。ルカもそこに加わった。「私たち」のものになった。
神の招きを受け取った時、ではだれが招かれているのか。だれが召されているのか。他のだれかではなくて、「彼ら」ではなくて、この「私」だ、「私たち」だ、そう受け止めた。そうやって生まれた「わたしたち」です。御言葉は、聖書を読んでいるわたしたちも、この「私たち」に加わってほしいと、招いていると思います。
幻が与えられています。わたしの道はここまでと思っていた、その向こうから、海の向こうから呼ぶ声が聞こえます。助けを求めています。
「マケドニア州に渡って来て、私たちを助けてください。」(9)
助けてください。「福音を伝えてくれ」と言ったのではないんです。「主イエスのことを知りたい」ではないんです。たぶんキリストの福音というものを知らない。助けを求めている。
海の向こうで助けを求めて叫んでいる人がいる。愛する者を亡くして、叫んでいる人がいます。取り返しのつかないことをして、叫んでいる人がいます。戦禍に逃げまどいながら、叫んでいる人がいます。がれきになった町で叫んでいる人がいます。戦場から戻っても心が休まらず、心に深い傷を負って叫んでいる人がいます。
「こちらに渡って来て、私たちを助けてください。」
これは、本当の救いを求めている。救いを告げる福音を求める叫びです。福音を告げ知らせるために、神が召している。この召しに応えて出かけていくのはだれですか。伝道するのはだれですか。だれかに任せて、その「彼ら」がするのでない。ルカは、「彼ら」と書けなかったんです。文章としてはおかしいけれども、突然「わたしたち」と言う。
今、わたしたちはトロアスにいます。道は行き止まりに見えます。教会に集う者たちは高齢化し、そして減っていきます。教会が減っていきます。伝道どころでない。どうやって教会を維持できるだろうかと考えています。しかし、パウロが聞いたのは、わたしたちが聞くべきなのは、助けを求める叫びです。本当の救いを求める叫びです。わたしたちの耳にも聞こえてきます。
この叫びに応えて出かけていくのはだれか。伝道に出かけていく船に乗り込むのはだれか。それは、どこかにいる「彼ら」ではない。「私たち」です。神がわたしたちを召していてくださいます。神がわたしたちを用いてくださいます。