キリストの福音が結ぶ共同体
宮井岳彦副牧師 説教要約
2026年5月17日
民数記6章22-27節
ローマの信徒への手紙1章1-7節
Ⅰ. 力ある手紙に耳を傾けて
今日から私がここに立つ日はご一緒に「ローマの信徒への手紙」の御言葉に耳を傾けます。とっても楽しみに準備をしてきました。しかし今、いざ始まってみると、とてもドキドキしています。大冒険が始まる、と思います。冒険には危険がつきものですから、不安もあります。しかしきっと、聖書の方が私たちに何か新しいことを始めるに違いありません。何年か経ってこの手紙を読み終えた時、私たちは今とは違う新しい私たちになっているはずです。
この手紙が書かれて約2000年経ちました。無数のキリスト者たちがこの手紙が語る福音に耳を傾けてきました。例えば、マルティン・ルターという修道士がかつていました。この人は1517年に、今日では「95ヶ条の提題」と呼ばれている公開質問状を当時の教会に突きつけた。そこから大きな教会改革運動のうねりが始まりました。実は、ルターはそのわずか1、2年前に大学で「ローマの信徒への手紙」の講義をしています。ここでこの手紙を読んだことが、あのおおきな改革運動の原動力の一つになったようです。
他にもたくさんそういう例はありますが、「ローマの信徒への手紙」は、どうやら凄い力を持っているようです。しかしそう言われると却(かえ)って身構えたり、怯(ひる)んだりしてしまうかもしれません。「始める前からずいぶん大風呂敷を広げたな」とお思いになるかもしれません。しかし、聖書の御言葉にはそういう力があるのだと思います。ですからこちらとしてはあまり欲張らずに、地道に聖書に耳を傾けていきたいと思います。
Ⅱ. パウロの息づかいを聞こう
そのようなことでローマの信徒への手紙が始まりますが、最初に心に留めたいことは、私たちが今開いているものが「手紙」である、ということです。そのようなことは改めていわれるまでもなく、「ローマの信徒への『手紙』」と言っているのだからそりゃ手紙だろう、当たり前だろうと思われるかもしれない。そうなのですが、実際に「ローマの信徒への手紙」を読み始めてみると、どうもあまり「手紙」という感じを受けないのです。まず、凄(すさ)まじく長い。さらに、内容に難しいところもある。手紙と言うよりも論文を読んでいる印象を受けます。しかし、これは「手紙」なのです。「手紙」だということは、これには手紙として書いた差出人がいて、この手紙の宛先となって受けとった人がいる、ということです。
これを書いたのはパウロという人物です。実は使徒言行録を開いてみると、恐らくパウロはこのときに「ローマの信徒への手紙」を書いたのであろうと思われる報告が載っています。
「この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ました後、ギリシアに来て、そこで三か月間過ごした」(使徒20:1-3a)。
この3か月間のギリシア滞在。このときに「ローマの信徒への手紙」が書かれたのではないか、と考えられています。続きを読むとどうやら冬の3か月間だったようです。冬のギリシアで三ヶ月かけてパウロはこの手紙を書いた…。そう思うと、グッと生身(なまみ)の手紙という印象が強くなるように思います。
受けとったのはローマの教会に生きるキリスト者たちです。「ローマの教会」と言っても、私たちが今いるような大きな教会堂があって、そこにたくさんの人が来ていたということではありません。小さな家の集会が点在していて、ひっそり隠れるようにして、ローマ帝国の中心地で礼拝を献げていました。
パウロ自身は、このときにはまだローマに行ったことがありません。しかし手紙の最後には、たくさんの人のお名前が出てきます。ローマの小さな集会で信仰を守っている人たちの名前です。そのなかには、パウロがかつて別の場所で出会った人もいます。パウロ自身は恐らくまだ会ったことがない、しかし名を聞いたことがある人もいる。いろいろな人を思い浮かべながらこの手紙を書いた。パウロやローマのキリスト者たちの息づかいが聞こえてくる、まさに「手紙」なのです。
この人たちは、私たちと同じではないでしょうか。私たちも日本という国の大和市という特定の町でキリスト者として生きています。ここには名前を持った信仰者がいて、それぞれに顔を持った人間として信仰生活を営んでいます。冬のギリシアで手紙を書いたパウロもそうです。この手紙を受けとったローマのキリスト者たちもそうです。パウロが書いたこの手紙は、私たち宛ての手紙でもあるのです。
Ⅲ. 神の福音への情熱!
4月29日に石塚惠司牧師の葬礼拝をこの場所で行いました。それに先立ち、1月には和子先生の葬礼拝も行われています。和子先生の葬りの準備をしたときに、和子先生が高座教会におられた時代にお書きになった文書をいくつか読みました。和子先生の伝道への情熱が込められたものがいくつもありました。和子先生が愛しておられた聖句の一つは「恐れるな。語り続けよ、黙っているな。私はあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、私の民が大勢いるからだ」(使徒18:9-10)という、神さまがパウロにお語りになった御言葉です。この方は、主イエス・キリストの福音を語ることに情熱的な方です。
パウロもまた情熱的に伝道して生きた人物です。この手紙はパウロが書いたものですが、直接筆を執(と)ったのではなく口述筆記をしたと考えられています。一言ひとことパウロが語り、それを筆記者が書き留めていく。冒頭の1節から手紙が始まっていますが、パウロの息づかいを考えるために、聖書協会共同訳とは少し違いますが元の語順にしてみると、このように言っています。
「パウロ、僕 キリスト・イエスの、召された者使徒として、選び出された者、神の福音のために」とここまで口にしたとき、どうやらパウロの言葉が止まったのではないか、と思います。手紙には、手紙の定型表現があります。日本語であれば、「拝啓 風薫る5月となりました。おかわりありませんでしょうか。」そのようなことを書いて、その後で本来の要件に進む。この当時の手紙の定型表現を考えると、「キリスト・イエスの僕、使徒として召され、神の福音のために選び出されたパウロから、ローマにいる、神に愛され、聖なる者として召されたすべての人たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにありますように」と、1節から直接7節に進むのが自然だったようです。ところが、パウロは実際に1節から手紙を始め、最初は定型通りに自己紹介をして「神の福音のために」まで進めたところで、お決まりのご挨拶として先に進められなくなった。この「神の福音」について、おざなりのご挨拶の一部で済ますことができなくなって2から6節が割り込んできた。パウロの福音への情熱がそうさせたのです。
パウロがどうしても語りたかった「神の福音」は3節によると「御子に関するものです」。恐らくここのところは、今私たちがこの言葉を聞くのと、2000年前のローマが支配していた世界に住む人たちが聞くのとでは全然違う響きを持っていたと思います。
まず「福音」ですが、これは当時の一般社会ではローマ皇帝の即位の知らせ、あるいはお世継ぎの誕生の知らせを指して使われる言葉でした。しかも、そのローマ皇帝は自分のことを「神の子」と呼ばせていました。ですから普通、一般的に、「神の子に関する福音」と言ったら「神の子であるローマ皇帝のすばらしい支配のはじまり」という意味を持つ言葉であったようです。
ところがパウロは全然違うことを言います。ローマ皇帝ではない、別の王がいる。ローマ皇帝ではない、別の神の子がいる。
神の子イエスを、私たちは「イエス・キリスト」とお呼びしています。今日のところにも何度もそのお名前が書かれています。ところが1節だけは「キリスト・イエス」と、順序が逆に書かれています。イエス・キリストは名字と名前ではない。イエスはお名前ですが、キリストは称号です。ヘブル語の「メシア」という言葉のギリシア語訳です。どういう意味なのか?いくつかの意味がありますがいちばん大切な意味は「王さま」です。ですから「キリスト・イエス」というのは「王であるイエス」と、このお方が王でいらっしゃることを特に協調した言い回しだ、ということになると思います。
Ⅳ. 王であるイエスの僕
パウロは言います。「私は王であるイエスの僕、このお方の福音のために召し出された者」、と。思えば、石塚惠司先生も同じですね。王であるイエスの僕として、ただ神の子イエスこそまことの王でいらっしゃるという福音に仕える僕です。私もそうです。そして、皆さんも同じです。皆さんも、王であるイエスに選ばれて、召し出されて、大和にあるこの教会で信仰生活を送っておられるキリストの僕です。
今日の1〜7節には、三度「召す」という言葉が繰り返されています。「使徒として召され、神の福音のために選び出されたパウロ」(1節)、「あなたがたも異邦人の中にあって、召されてイエス・キリストのものとなったのです」(6節)、「ローマにいる、神に愛され、聖なる者として召されたすべての人たちへ」(7節)。ここを読むとよく分かります。パウロもローマの人々も、神に召されて、王であるイエスの僕として今生かされている。私も、あなたも同じです。私たちも神に召され、王であるイエスの僕として選ばれて、今日ここで神を礼拝しているのです。


