この世の富を神のために
和田一郎副牧師 説教要約
エズラ記5章1-5節
ルカによる福音書16章1-13節
2023年9月24日
Ⅰ. 黒と白のあいだ
私は、池波正太郎の小説が好きでよく読みます。池波正太郎の描く世界観が好きなのですが、その世界観とは善人と悪人のあいだを描いていることです。小説の主人公は、「人間というやつは、善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だ」と言うのです。人間は善と悪が入り混じった存在です。善人なのか悪人なのか分からない、入り混じった矛盾した存在です。それを世の中が、白黒はっきり分けようとすると息苦しい世の中になってしまうでしょう。池波正太郎自身の言葉では、「近頃の日本は『白』でなければ『黒』である。その中間の色合いが全く無くなってしまった。その色合いこそが『融通』と言うものだ」と。昔の日本には、白と黒との間にある「融通」というグレーゾーンがあった、それが戦後の近代化でなくなってしまったと嘆いていました。
今日の聖書箇所には不正を行う悪賢い男がでてきます。しかし、イエス様は、その男を認めているのです。いったいどのような教えでしょうか。
Ⅱ. 不正の富
イエス様は、譬え話をされました。ある所に、財産を持っている主人がいました。彼はその財産を管理人に任せていました。ところが内部告発をする者がいて、この管理人の会計の帳尻が合わないことが判明したのです。主人は管理人を呼びつけて言った。「お前の会計は、帳尻が合わないそうじゃないか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せるわけにはいかない」と。管理人は職を失いました。しかし、会計の報告を出すまでの、わずかな時間を利用して悪知恵を思いつきました。それが主人から借金をしている者たちに対して、借金の減額をすることでした。油百バトスの者には、五十バトスに、小麦百コロスの者には八十コロスに、借金を減らして恩を着せたのです。そうすれば職を失ったあとに、彼らから仕事を得られると考えたのです。これは紛れもなく不正です。ところが主人は「それは賢いやり方だ」と褒めました。
この譬えを話された後、イエス様は「私は言っておくが、不正の富で友達を作りなさい。そうすれば、富がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる」(9節)と言いました。もちろんここで、イエス様が不正を働くことや、ずる賢く世間を渡れと言っているのではありません。どう解釈していいのか難しい箇所です。
理解するポイントは「不正の富」の意味です。「不正の富」とは横領したお金とか、盗んだお金という意味ではなくて、この世の財産、地位、力や人脈など、この世で成功するために必要とされる諸々のことを「不正の富」と言っているのです。8節で「この世の子」と「光の子」と比べていることからも分かります。「この世の子」というのは、信仰をもっていない、世間一般の人です。「光の子」は神様を信じるクリスチャンです。ですからイエス様はクリスチャンと、信仰を持っていない世間の人とを比べていて、「不正の富」という、信仰をもっていない世間の人々の生きる知恵や、財産を築く知恵を褒めたのです。
続く10節には「ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である」。と「小さいこと」と「大きいこと」を比べているところも同じです。「小さいこと」というのも、この世のことです。「不正の富」と同じで、この世で成功するために必要とされることを「小さいこと」と表現しています。「大きなこと」とは、神の国を作り上げること。すると、この世で成功するための知恵に忠実な人は、神の国を建て上げる仕事を任せられると言うのです。
信仰と日常生活は切り離せません、私たちの信仰生活は日常の生活の中にあります。そうであるならば、この世で成功するために必要な知恵は、信仰生活においても大切です。この世の財産、地位、力や学歴や人脈などが、神の国を広げる宣教のためにも必要とされるのです。聖書には「この世に倣ってはなりません」(ローマ書12:2)とも書かれてありますが、信仰的なことは白で、世俗的なものは黒か、といえばそうではないとイエス様は教えているのです。この社会で生きていく、人脈、地位、経験や仕事を通して、この世の友を作りなさい、その友はやがて永遠の住まいに入る、信仰の友となり、神の国を建て上げる友になるだろうと言われるのです。
Ⅲ. 合法か違法か
第二次世界大戦のヨーロッパに、一人の実業家がいました。彼は学生時代に成績を改ざんして退学処分になったこともあり、あだ名は「詐欺師」でした。スパイ活動をすることになって死刑を宣告されましたが、戦争で難を逃れました。戦争で一儲けしようと考えポーランドで工場経営を始めました。彼の名はオスカー・シンドラー。映画「シンドラーのリスト」でも有名になった、ナチスによる迫害からユダヤ人の命を守った人です。
シンドラーは、上流社会の中で上手に立ち回り、良い身なりをし、お金を湯水のように使う実業家でした。経営していた工場を軍需工場にすることで大きな利益を得ていました。しかし、その工場には迫害されつつあったユダヤ人が働いていてユダヤ人の命を救い始めたのです。人脈や政治的なコネを使ってユダヤ人を守りました。自分が成功するために始めた事業でしたが、いつのまにか人道的な働きになっていったのです。
同じ頃に、杉原千畝(すぎはら ちうね)という日本人外交官がヨーロッパの領事館に務めていました。杉原はユダヤ人にビザを発給して、彼らの亡命を手助けしたことで知られています。その「命のビザ」を発給したのは、合法か違法かギリギリの判断だったそうです。彼が発給したビザは「日本通過ビザ」でした。ですからユダヤ人は入国許可証と旅費を持っていることが条件でした。しかし、杉原はその条件を満たしていない、数千人のユダヤ人にビザを発給し続けたのです。おそらく今の時代においては違法行為でしょう。外務省が認めていなかったのですから。
シンドラーも、杉原もクリスチャンではありませんが、今日の聖書箇所で言う、「不正の富」(この世の富)で多くの命を救ったのです。
Ⅳ. 帳尻の合わない私たち
最初に、人間という生き物は、善と悪が入り混じった矛盾した存在だと話しました。私たちは、神様の前に立った時に、悪を犯した分、善も行いました、悪も善も同じぐらいですと帳尻を合わせられる人は、誰もいません。不正な管理人のように、私たちの善悪は帳尻が合わなくて、どうしようもなく罪が重なっています。しかし、帳尻の合わない私たちを、神様は放り出すような方ではないということです。
「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(ルカ 5:32)と主は言われたのです。私は帳尻が合いますという人ではなく、帳尻が合わないことを受け入れて、悔い改める者に、憐みと慈しみを注いでくださる神がいるのです。
神様は罪ある自分を悔い改めて、地上の人生を、知恵を使って精一杯生きようとする者、つまりこの世という、小さなことに忠実な者を用いてくださいます。ただ単にこの世の知恵と富を使って人生を生き抜く喜びから、天に富を積んで生きる喜びとなる。この世の知恵を神の国のため、この世の富を神様のために用いていきたいと思うのです。
イエス様は、不正な裁判を通して、十字架に架かられました。まったく罪のない方が、欲深い人間による不正な裁きによって、栄光を現わしてくださったのです。
お金を増やすこと、地位を確立すること、自分の利益を守ることにおいても、キリストに仕えることによって、その知恵は栄光へと変えられていきます。この一週間、この世の富を神様のために捧げていきましょう。
お祈りします。