旅の途中の恵み

<合同礼拝> 和田一郎牧師 説教要約
2024年8月25日
創世記28章10-15節
(9時)ペトロの手紙一1章1-2節

Ⅰ. ヤコブという人

私たち家族は今年の夏休みに山登りに行ったのですが、ずっと雨が降っていました。帰りの高速道路でも強い雨が降っていました。しかし、やっと雨がやんだ時、空から光が差しました。息子が「天国の梯子だ」と大声で言ったのです。雲の切れ間から太陽の光線が真っすぐ地面に射していました。横にいた妻があれは「ヤコブの梯子だよ」と教えました。雲の上に天国があるような美しい景色でした。
みなさん旅は好きですか?最近、どこに旅をしましたか? 人生そのものが旅でもありますね。ヤコブは旅に出ることになりました。旅の目的は結婚相手を見つけるためでしたが、それは表向きな理由で、実際は兄弟のエサウとの仲が悪くなり、エサウから逃げるためでした。ヤコブは兄のエサウから「長子の権利」と「祝福」をだまし取ったので、兄の殺意から逃れる旅に出なければなりませんでした。ワクワクした楽しい目的がある旅ではありません。旅が嫌になったら戻ればよいという選択はできません。ヤコブの旅は先の見えない不安と孤独な旅でした。その旅の途中ある場所で野宿をします。一人で石を枕にして寝ている時に夢を見ました。
それは、天に続く梯子が立てられていて、神の使いが梯子を行ったり来たりしているという夢でした。その時、ヤコブはこのような神さまの声を聞いたのです。
「私は主、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神である。今あなたが身を横たえているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は地の塵のようになって、西へ東へ、北へ南へと広がってゆく。そして地上のすべての氏族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。私はあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにしてもあなたを守り、この土地に連れ戻す。私はあなたに約束したことを果たすまで、決してあなたを見捨てない。」(創世記28章13‐15節)
旅の途中、野原にたった一人、身体を丸めて横たわるヤコブのそばに神が立ち「私はあなたと共にいる、どこへ行ってもあなたを守り、決してあなたを見捨てない。」と告げる神様の声をききます。それは孤独の中で聞いた神様の声でした。自分が犯した過ちに震える中で聞いた神様の声でした。神様がこんな罪深い自分と共にいて下さる。これから先も、どこまでも共にいて下さる。そして「決して見捨てない」と言って下さった。ヤコブは神様のその言葉によって慰められます。救われます。そして気付きました、自分が裏切ったことによる父の屈辱、自分が傷つけた兄の痛み、家族が別れわかれになった母の悲しみ。ヤコブはこのとき自分が犯した罪の深さを知ったのです。自分がどんなに傲慢であったか。「自分は賢い」と高ぶっていたのです。ヤコブは神がそこにいることを知り、目を覚まします。ヤコブは夢の中で神様と出会い、ここに神様がいるという体験をした、その場所をベテル(神の家)と名付けました。
人は孤独を感じる時、しばしば神を経験し、重要なことを学ぶものです。ヤコブは、これまで両親から神について教えられていたけれども、まだ神と出会っていませんでした。心の中に神を受け入れる経験がなかったのです。しかし、両親から離れて頼るべきものがなくなり、孤独を感じるようになった時、神を求める心が起きたのです。そして、神と出会うことができて明らかになったのです。自分の問題は、自分一人で考えても分からなかった。人間関係、人生の挫折、そのような問題は神様と向き合うことで明らかになるのです。自分の中からは決して出てこない神の光に照らされて、自分の中にある罪、課題、生きるべき道が明らかになるのです。ヤコブは神様による赦しと祝福の言葉を聞き、神様が私と共にいて、私の人生に関わって下さっていることを知ったのです。この神を信じて、この神に従って生きていこう。この神の教えに従っていれば、どこに行っても大丈夫だと確信することができたのです。

Ⅱ. 「各地に離散し、滞在している選ばれた人たち」

人生は旅のようなものだと話をしました。ヤコブのように、旅をしている途中で神様と出会い、救われる人が多くいます。ヤコブのように生まれ育った土地を離れて、苦労を重ねながら神様に救われる人が多くいます。今日読んだ、新約聖書『ペトロの手紙一』は、使徒ペトロがそのような人々に向けて書いた手紙です。
「イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散し、滞在している選ばれた人たち」(1ペト 1:1)とあります。
『ペトロの手紙一』の最初には、挨拶の言葉があります。ペトロは特定の人に手紙を書いたのではありません。ローマ全域に散らばって住む、すべてのクリスチャンに向けて手紙を書きました。「離散し、滞在している選ばれた人たち」をギリシャ語でディアスポラといいます。旧約聖書に書かれているバビロン捕囚の出来事の後、ユダヤ人は世界中の町に散らばって信仰を守っていました。イエス様が地上に来られて、十字架に架かられた後、その福音は、世界中に散っていたユダヤ人を通して、異邦人に広がっていったのです。キリスト教会は伝統的に彼らのことをディアスポラ・クリスチャンと呼びます。つまり「自分の出身地ではない所に住むクリスチャン」です。移民や難民、仕事などさまざまな事情で生まれ育った国を離れて暮らすクリスチャンです。
みなさん宣教師というと、どんな人を思い浮かべるでしょうか。きっとキリスト教の普及していない外国に行って、現地の言葉を覚えて、現地の人々にキリストを伝えるという宣教師のイメージがあるのではないでしょうか。たとえばヘール宣教師という人は、アメリカのカンバーランド教会から日本に来た宣教師です。彼は明治時代にキリスト教が普及していない大阪や和歌山県、三重県を渡り歩いて、慣れない日本語でキリストを伝え、教会を建てたり、学校などを設立したりして宣教しました。典型的な宣教師の働きです。
しかし、現代の宣教のスタイルは時代に合わせて大きく変わりました。世界的に人口の移動が大規模で活発になったからです。人は昔に比べて安く頻繁に外国に行くことができるようになりました。企業は国内だけではビジネスチャンスがありませんから、世界中にビジネスの拠点をもつようになりました。仕事の関係で海外で生活する日本人家族が飛躍的に増えて右肩上がりで増え続けています。そうした人々が集まる現代のディアスポラ教会が世界中にあります。カンバーランド教会では、高座教会出身の佐藤岩雄先生が、アメリカ・テキサス州のルイビル日本人教会の牧師をしています。佐藤先生は日本から送り出された宣教師として、アメリカに住む日本人に日本語で説教し、信徒の数は増え続けています。日本国内にいる日本人よりも、海外に移住した人の方が、心を開いて信仰を持つ人が多いと言われています。
日本国内ではどうでしょうか?高齢化が進む日本では、人口や産業を維持するために、移民する人たちを必要としています。日本には340万人もの在留外国人の人が住んでいます。去年は過去最高の数でしたが、これからも増え続けるでしょう。日本は外国から来る移民の人々を必要としています。その移住してきた人たちは、日本に来て信仰を持つ人が多いそうです。
それがスペイン語礼拝、地の塩コミュニティ・ブラジル人集会、MCM集会の人たちに現れています。昔の宣教師たちは、外国に行って外国人にキリストを伝えていましたが、現代の宣教の中心は外国に移り住んだ人たちに母国の言葉でキリストを伝える働きが中心になっています。佐藤岩雄先生もテキサスのルーテル教会の場所を借りて、日本人に日本語でメッセージをしているように、盛小根シルビア先生はスペイン語を母国語としている人へ、上田ルイス先生はポルトガル語を使う人へ、望月アンヘリナ先生はフィリピンの人たちの言葉でキリストを伝えているのです。
 高座教会は神様の計画の中で、聖霊の働きによって建てられました。教会が建てられた目的は、キリストを信じる人であふれる社会にするためです。宣教するために建てられた神の器です。自分達の所有物ではありません。教会は神様からの貴重な預かりものですから、神様の知恵に従って用いていかなければなりません。アメリカ・テキサスでは佐藤先生のルイビル教会がルーテル教会と協力して、テキサスで宣教しているように、高座教会の信徒である私たちも、スペイン語礼拝、地の塩コミュニティ・ブラジル人集会、MCM集会と共に、この地域の宣教の働きを担っているのです。私はスペイン語もポルトガル語も、英語やタガログ語も話せません。しかし、この地域にはスペイン語、ポルトガル語、タガログ語を話す人が沢山いますし増えているのです。盛小根シルビア先生、上田ルイス先生、望月アンヘリナ先生が必要なのです。そして、彼らの子ども達は日本の学校に通っていますから、日本語が母国語になります。そこに高座教会が協力できる大きな可能性があります。

Ⅲ. 決して見捨てない神

ヤコブの⾒た夢は、天からの梯子が地に向かって伸びており、その梯子を天使が上り下りしている、という夢でした。私たちが住むこの地上には問題が山積みです。問題が山積みのこの地上を、私たちは旅しているのです。しかし、私たちが旅する地上に神様が降りてきてくださり、私たちのそばに立ってくださるということです。自分の知恵と力ではどうすることもできなかったヤコブ。問題を抱え、身から出た錆とはいえ心に傷を負ったヤコブのもとに、神がくだってきてくださり「私はあなたと共にいる・・・決してあなたを見捨てない」とおっしゃってくださった。「今あなたが身を横たえているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える」この神の言葉によって、ヤコブはそこから立ち上がりました。ヤコブの人生は、その後も波瀾万丈の生涯となりますが、この時の神の言葉に励まされて、信仰の人生を全うしたのです。そして、私たちも同じように、この言葉に励まされて、この地で、⼀歩前進することができるのです。
今日は、この地域で共に同じ真理を大切にする仲間と共に礼拝を捧げています。ここに集う私たちはアブラハム、イサク、ヤコブの子孫です。神の家族です。私たちに喜びがあれば西へ東へ、北ヘ南へと子孫は広がり、祝福されていくでしょう。私たちは孤独ではありません。神と共におられます。神の家族が共にいます。
お祈りいたします。