主の教えを喜びとし、主にある交わりを力とする

和田一郎牧師

説教要約ー 2025年の活動方針を踏まえて

2024年11月3日
ネヘミヤ記8章1-12節

Ⅰ. 今年の教会活動

今日は来年度2025年の活動方針を踏まえた説教になります。
今年1月1日に能登半島地震があり、それに対する募金をボーイスカウトでやりましょうというメールが来ました。準備まで1週間ないので無理ではないかと思ったのですが、ガールスカウトと他の大和市の団とも一緒にやることになって募金活動をすることができました。参加者は延べ100人以上でしたが、いつも以上の一体感を感じました。
一人ではできないけれど仲間が集まればできることがある。交わりによる喜びがありました。教会では人と人との繋がりを「交わり」と言いますが。交わりが「力」になるのだと実感しました。
2025年の主題は「主の教えを喜びとし、主にある交わりを力とする」。そして、主題聖句はネヘミヤ記8章10節「主を喜びとすることこそ、あなたがたの力であるからだ。」です。

Ⅱ. ネヘミヤの城壁の再建

紀元前537年に、ペルシアのキュロス王が、バビロン捕囚でペルシアに住んでいたユダヤ人に、本国へもどってもよい、神殿を再建してもよいと勅令を出しました。ユダヤに帰還した人々はエルサレムに集まり礼拝を再開しました。ここから、イスラエルの新しい共同体の再構築が始まるのです。
書記官エズラは、広場に集まった民衆に向って律法を朗読しました。つまり聖書の朗読を始めたのです。3節に「夜明けから正午まで」とありますから、彼らは早朝から六時間ほどにも及ぶ礼拝を捧げたのです。長く退屈な儀式ではありません。ここで最も重視されたのは、律法である旧約聖書の言葉が解き明かされて、きちんと理解されたことです。聖書を朗読した結果、その反応はどうであったでしょう。
「総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラと、民に律法を説明していたレビ人たちは、民全員に言った。『今日はあなたがたの神、主の聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。』」(ネヘ 8:9)
聖書のみ言葉を聞いた結果、人々は罪を示され深く悲しんだのです。 エズラやレビ人たちが悲しむなと、何度も言わなければならないほどでした。これは、エズラとネヘミヤが予想したことでも、期待もしていた事でもありませんでした。聖書のみ言葉を聞き、理解した人々は、聖書に記されたことの、「何を理解したのか?」と言えば、律法を守れない自分達、神の教えに背を向けてしまっていた、自分達の罪を理解したのです。その悔い改めは深いものでした。
同じ、旧約聖書のみ言葉の説き明かしを聞いても、このように悔い改めて深く悲しむこともあれば、エマオの途上のイエスの弟子たちが、イエスから聖書を解き明かされていたとき、「二人は互いに言った。『道々、聖書を説き明かしながら、お話しくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか。』」(ルカ 24:32)ということも起こるのです。御言葉を聞いて、落ち込む人がいれば、喜ぶ人もいる。それぞれの心に問われるものが違うからです。聖書はいつも、ひとり一人に問いかけます。励まされる人がいれば、考えを改める人もいるのです。
そこで、エズラ達は言いました。「行ってごちそうを食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分けてあげなさい。今日は、我らの主の聖なる日だ。悲しんではならない。」(ネヘ8:10)
主の前に集い、食べたり飲んだり、喜びを分かち合う。そして、エズラたちは続けました。「主を喜びとすることこそ、あなたがたの力であるからだ。」
礼拝とは、悔い改めで終わるのではない。悔い改めた先に、自分が新しく正された、そうして下さった主を喜びとすることこそ、「私たちの力」になるのです。喜びは力です。そして、その喜びは自分達だけではなく、周りの者と分ち合うものです。
この喜びは「我らの主」に感謝する日です。貧しくて備えのない者も、その輪に加えられるのです。人々は皆、ごちそうと贈り物を用意し、貧しい者も一体となって喜んだ。これもまた、みことばを理解した結果である。
この出来事は、バビロン捕囚から帰還して、新しいイスラエル信仰共同体のスタートの出来事です。そこでは、まずエズラによる律法の解き明かしの説教と、ネヘミヤたちの城壁再建です。御言葉を学び、御言葉の実践がある。そこには大きな喜びがあるのです。

Ⅲ. 初代教会の働き

このような出来事は、新約聖書の時代、初代教会でも繰り返されます。
ペンテコステの出来事の後、ペトロは民衆に向かって「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい」(使徒 2:38)と説教をすると、ペトロの言葉を受け入れた、三千人ほどの人たちが教会に加わったとあるのです。その教会で人々一同は「・・・ひたすら、使徒たちの教えを守り、交わりをなし、パンを裂き、祈りをしていた。」(使徒言行録2章42節)とあります。
このような初代教会の営みを周囲の人々は見ていて、「民衆全体から好意を寄せられた」(使徒2:47)とあるのです。教会と地域の繋がりがあったのです。教会にも、地域にも喜びがもたらされたのです。

Ⅳ. 新しい教会の活動にむけて

2025年の主題にもどって確認しますが、2025年主題「主の教えを喜びとし、主にある交わりを力とする」ここには二つのことが語られています。「主の教えを喜びとし」と「主にある交わりを力とする」です。
「主の教えを喜びとし」というのは、聖書から学ぶことを喜びとする、ということです。
ネヘミヤ記8章8節に「彼らは神の律法の書をはっきりと朗読し、また意味を明らかにしたので、人々はその朗読を理解した。」とあります。
これまでも大切にしてきたことですが、礼拝や祈祷会、集会における説教を通して、聖書を神の言葉として聴き、その時々の説教が自分に何を語られているのか。それを自分に対する神様からのメッセージだと受け取る時、それはきっと喜びとなります。
「主にある交わりを力とする」は、先程ボーイスカウトの話をしましたが、交わりの豊かさというのは教会の力の源です。
「…主を喜びとすることこそ、あなたがたの力であるからだ。レビ人たちも民全員を静かにさせて言った。『静かにしなさい。今日は聖なる日だ。悲しんではならない。』民は皆、行って、食べ、飲み、分かち合い、大いに喜んだ。教えられたことを理解したからである」(ネヘ8:10-12)
コロナの感染対策で3年ほど、交わりが途絶えました。すっかり教会の様子も変わりました。そこで2025年は交わりの回復を大切にする年にしたいと思うのです。さがみ野教会との合同の年でもあります。さがみ野教会との交わりも造り上げていきたいと思います。
毎年、1月の第2主日に「新年地区祈祷会」を行ってきました。同じ地域に住む方々の交わりをもつ会です。交わりを中心にするものなのに「祈祷会」とすると堅苦しくて参加しにくいという声がありましたので、来年からは「新年地区交わり会」としました。多くの人に声をかけて親睦を深めて頂きたいと思います。
 今年は、3/16「輪和Waコンサート」という、障害をもつ方々とクラシック音楽を一緒に楽しむイベントの為に教会の礼拝堂を使っていただきました。また、駅の近くの訪問介護クリニックが勉強会をするために教会を使っていただきました。ボーイスカウト・ガールスカウトの連盟が開催する講習会にも使って頂いてます。そしてこの地域の協議会にも伺う機会を作り高座教会が地域のオアシスとなるように広めていきたいと願っております。
高座教会では、みどり幼稚園をはじめとして、キッズチャーチやスカウト活動など子どもミニストリーが豊かです。かつて戦後この地域に幼稚園がなかった頃、地域のニーズとして、みどり幼稚園が設立されましたが、今の時代においては、子ども食堂や、学童保育、児童発達支援の要望などがあると思います。そのような取組みも積極的に考えていきたいと思うのです。どうか信徒の皆さまの賜物を今後の高座教会の働きのために捧げていただきたいと願っております。
お祈りいたします。