神から出たものは滅びない

鈴木淳牧師 説教要約
使徒言行録5章27-42節
2025年6月29日

Ⅰ. これまでの歩み

私は、横浜産まれの横浜育ち、20歳で就職し化学関係の会社で仕事をしていました。21歳の頃に、小さい頃からの幼馴染の友人が心臓病で死亡してしまい大変なショックを受けました。そして、人間は死んだらどこに行くのか、いや人間とは何者なのかという最大の疑問を抱えてしまいました。ある時、自宅で法事できたお坊さん質問すると「仏教の人は仏教の仏に、キリスト教の人はキリスト教の神様のところに行くんですよ」と答えました。私は直観的に「そんなはずはない。神は一人のはず」と思ったことを今でもよく覚えています。
またその頃、ある友人から、三浦綾子さんの塩苅峠を渡されて読む機会がありました。主人公の鉄道員、永野信夫さんが北海道の塩苅峠でブレーキの効かなくなった電車を止めるために、自らを投げうって車両を止め乗客を救って死んだという小説で、大変感銘を受けました。そして主人公が実在の人物であることに本当に驚き、キリスト教に関心を持つようになりました。その出来事の後、中学の同級生が時々に希望ヶ丘教会に行っていることを知り、人生迷走中の私も、どんな話しをしてるのかと初めて教会の門を叩きました。
普段から大変生意気極まりない私でしたが、希望ヶ丘教会の瀬底先生と典子先生は大変歓迎してくれました。私は、瀬底先生ご夫妻の寛容さによって教会に受け入れられました。瀬底先生ご夫妻がいなければ、私は決して教会に通い続けることは出来なかったでしょう。20歳代は洗礼を受け、青年会や教会学校と、中会青年会と日々奉仕に開けくれた日々でした。また結婚することができました。
29歳で献身し何とか神学校を卒業し、瀬底先生が倒れた経緯もあり、予定してなかった希望ヶ丘教会に伝道師として赴任することになります。しかし、赴任当初から考えていた母教会からは出なくてはならないという思いがあり、2007年に辞任して2008年に横浜市旭区であさひ教会の開拓伝道と介護事業運営を開始ししましたが、教会運営と介護事業の経営を同時に進めることは大変な労力で困難を極めました。しかし、伝道所から伝道教会、伝道教会から教会へと種別変更をして自立することが、私の使命の一丁目一番地として必死でした。2019年に、信徒数は30名を超え、財政も介護事業によって自立し、教会設立となったのです。
しかし2020年のコロナと共に、あさひ教会は大変なトラブルに巻き込まれます。2020年2月に、教会と事業所を移転した際に始めた新規事業が走り出した矢先でした。新規事業の運営で大きなトラブルが起こり、その責任は鈴木牧師の牧会と経営姿勢に問題があると非難を受け混乱を招くことになりました。そして鈴木牧師は、あさひ教会のために一年以内に、事業経営を辞めて専任牧師になるようにとの要望でした。当初はこの事を真剣に考え大変悩みました。本当に事業を止めて牧師職に専念することも考えました。しかしその要望には、小さな教会なので牧師謝儀を支払う財政的裏付けはなく、当初から無理な話しでした。そしてまたその要望には他の目的があることが分かりました。目的が違うため、話しは並行が続き、その混乱で多くの人が傷付き、結果的に活動会員の半分が離脱することになるのです。
私が、一年間休任して、あさひ教会の牧師に戻った2022年4月には、礼拝は長老三名と奏楽者と私の連れ合いのわかなさんと孫の7名でした。本当にがっかりしました。教会分裂とかは、キリスト教会でもたまに聞きましが、まさか自分が牧会する教会でこんなことが起こるとは思いもよりませんでした。その出来事は、本当に牧師と言うか、キリスト教自体を辞めたくなったし、今までやってきたことは何であったのかという挫折感に満ちたものでした。人生最大のピンチでした。でも、そんな状況でも、一緒に礼拝をしてくれる人達がいました。ここで挫折している訳にはいかない、残ってくれた人に感謝しなくては。ここで投げ出したら、自分を支援した人達を裏切ることになると歯を食いしばる思い出で続けていました。
しかしまた、日々が過ぎて行く中で示されたことは、この2020年問題は私にとって大変重要なことであったと考えられるようになりました。2008年から走り続けてきた教会と事業、そして教会自立の種別変更。しかしその反面、自立出来ていない教会に対して、努力が足りないと思っていたことも確かです。俺はこんなに努力したんだ、他の人はもっと頑張るべきだと思っていました。でもこの出来事は、自分の努力の結果を、神は見事に、打ち砕き、謙虚になるようにと言われたのだと受け止めました。私は間違いなく傲慢であり謙虚でなかったなと悟ることが出来ました。

Ⅱ. 与えられた苦難

詩編119:71に「苦しみに遭ったのは私には良いことでした。/あなたの掟を学ぶためでした。」とあります。信仰の応答のつもりが、自分の努力でやったと思い、逆に努力を惜しむ者を見下していた自分がいました。自分は間違っていた。この出来事なくして、私は神の本当の掟を学ぶことは出来なかったと思います。
本日読んで頂いた聖書箇所では、イエス様の弟子のペテロや使徒たちが、ユダヤの最高法院の中に立たされ、大祭司から尋問を受けるのです。ユダヤ人は、ペテロ達のキリスト教の伝道をやめさせようとします。しかしそこで、見識のある議員が出て来て「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい」と言い出すのです。何故かというと、5:38「そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。放っておくがよい。あの計画や行動が人から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」と発言しました。それを受けて、一同はその意見に同意したとあります。神から出たものであるなら、滅ぼすことは出来ない、滅ぼされない。滅びない。だから、今も、キリストの教えは、その言葉通り、様々な迫害と困難を乗り越えて、この極東の日本でも延べ伝えられている。ここで、私達の教会と聖書の箇所が大きく繋がっているのです。
それは何故か、それは使徒達の努力か、それは宣教師の力か、それは殉教者の信仰か。勿論、それもあります。しかし更に言えば、その全ては、神から出たものだから、滅ぼされず、今もあるのです。神から出たものは滅びない。更にそれを言い換えれば、だからこそ私達は慌てなくてよいという事だと思います。私達の働きが、神から出たものなら、人間の努力や人間の失敗では滅びないのです。私達は、そういう大きな力のもとに教会が立てられ、礼拝があることを深く覚えたいと思います。
そして、ここで大切なことは時間ということがあります。この聖書箇所では、ユダヤ人の最高法院の決定は、慎重に取り扱い、放っておくという決定をしました。つまり直ぐに決定せずに、時間をおいて、様子をみるということ。つまり人間によって判断せずに、神に判断を委ねるという姿勢です。ここが大切だと思います。
人間と言うのは、直ぐに答えを出したい生き物なのです。待てない生き物なのです。神の決定に委ねられない待てない人間の愚かさ。そうではなく、大いなる偉大な神に信頼を寄せて、待てない気持ちをぐっとこらえて祈って答えを待つこと。何故なら、神から出たものなら滅びないからです。苦しくてもこらえて、天命を待つのです。この待つこと、いや待てること、それが私達に求められる信仰の姿勢だと私は学びました。

Ⅲ. 苦しみにあったことも幸い

コロナによって、日本のキリスト教会は大変な困難を得ました。またその影響は、今尚この高座教会も含めてカンバーランド長老キリスト教会全体に、教勢や財政も含めて厳しい状況を与えています。しかしそれを私達は大きな視点で読み返す必要があると思います。つまり、現状を、私達の失敗とか、信仰の薄さとか、怠惰だとか、そういったことではないのです。神は私達の失敗や怠惰さも善と変える方です。こ苦難の出来事を通して、私たちは大いに謙虚になり、大いに神に頼ることを覚えるべきなのです。神を信じ、その最善の采配を待つ心です。
私の神学校卒論のテーマは、ドイツの神学者DH・ボンヘッファーでした。彼の著書「抵抗と信従」に収められている「歴史における神の支配に関する二、三の信条個条」という文において「神はいかなる困窮に際しても、われわれが必要とする限りの抵抗を、われわれに与えたもう。しかし神は、その力を前もっては与え給わない。それは、われわれが自分自身ではなく、神のみに信頼するためである」と語りました。これは凄い言葉です。神は必ず私達に必要とする力を与えられる。しかしそれは、前もって与えられない。何故ならば、私達が神のみに信頼する為であると。
この文章は1942年の降誕節に、ボンヘッファーは十年後のドイツ国家の未来を見据えて、少数の友人に降誕節の挨拶としてこの文を送ります。ヒットラー抵抗運動と戦うドイツ告白教会は、このあと更なる苦難に耐えることになります。また、ボンヘッファーの語った有名な言葉の一つに「安価な恵み、高価な恵み」というものがあります。神の恵は自動販売機のようにお金を入れればジュースが出てくるようなものではない。キリストの代価を持って与えられた高価な恵みであると。この言葉と前の言葉は繋がっています。神は必ず私達に必要とする力を与えられる。しかし私達には苦難に耐える力が前もって与えられないが、苦しみにあったことは幸いである。私達はその苦難をもって神の掟を学び、神のみに頼ることを学ぶのです。神の高価な恵みに気が付くためにです。ですから心配する必要はないのです。神から出たものは決して滅びないからです。私達のキリスト教会は神から出たものなのですから。