キリスト者の身体性
「主イエス・キリストを着なさい。欲望を満足させようとして、肉に心を向けてはなりません。」 (ローマの信徒への手紙13章14節)
義足をつける生活を始めたある青年は、人の視線が自分の足に注目しているように感じて義足を隠すようになっていました。しかし、スポーツ用義足と出会い、人生が180度変わったそうです。義足の技術は進化をしていて以前は脚を切断されたら車いす生活になるのが一般的でしたが、今では義足を使って歩くことも、走ることもできるようになりました。本当にいい義足とは、感覚すべてにおいてその人に適合していること、そうすると着けていることを忘れてほかのことに集中できるし、新しい可能性と目標が生まれるのです。パラスポーツの選手は、義足が少しずつ自分の体のように「身体化」していくそうです。義足自体は触っても感覚がないのに義足のさきで何かを触るとその感触でだいたい何に触れているかが分かるといいます。競技用の義足は大きくカーブしていますが、そのたわみもイメージできるほど身体化するそうですが、そうするとカーブした足が、ぶつからないように歩くことができるのです。つまり自分の身体という領域は、肉体の身体だけではないようです。そうであれば人の霊性においても同じことが言えると思うのです。聖書には「キリストを着なさい」とあります。それは罪ある自我を聖霊で覆ってキリストという目指すべき人格を着ることができ、イエスさまの御霊をいつも感じること。聖霊に満たされ、聖霊の働きによってキリストに覆われていなさいというメッセージです。イエス・キリストが身体化されていく、キリストに似た者へと近づくことができるのです。
《祈り》日々聖められ、心も体も新たにされていることを、主よ、ありがとうございます。今日も、新たに聖霊でこの身体を覆ってください、キリストを着て今日の持ち場へと送り出してくださいますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
義足をつける生活を始めたある青年は、人の視線が自分の足に注目しているように感じて義足を隠すようになっていました。しかし、スポーツ用義足と出会い、人生が180度変わったそうです。義足の技術は進化をしていて以前は脚を切断されたら車いす生活になるのが一般的でしたが、今では義足を使って歩くことも、走ることもできるようになりました。本当にいい義足とは、感覚すべてにおいてその人に適合していること、そうすると着けていることを忘れてほかのことに集中できるし、新しい可能性と目標が生まれるのです。パラスポーツの選手は、義足が少しずつ自分の体のように「身体化」していくそうです。義足自体は触っても感覚がないのに義足のさきで何かを触るとその感触でだいたい何に触れているかが分かるといいます。競技用の義足は大きくカーブしていますが、そのたわみもイメージできるほど身体化するそうですが、そうするとカーブした足が、ぶつからないように歩くことができるのです。つまり自分の身体という領域は、肉体の身体だけではないようです。そうであれば人の霊性においても同じことが言えると思うのです。聖書には「キリストを着なさい」とあります。それは罪ある自我を聖霊で覆ってキリストという目指すべき人格を着ることができ、イエスさまの御霊をいつも感じること。聖霊に満たされ、聖霊の働きによってキリストに覆われていなさいというメッセージです。イエス・キリストが身体化されていく、キリストに似た者へと近づくことができるのです。
《祈り》日々聖められ、心も体も新たにされていることを、主よ、ありがとうございます。今日も、新たに聖霊でこの身体を覆ってください、キリストを着て今日の持ち場へと送り出してくださいますように。
牧師 和田一郎
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