【聖霊と教会について②】(信仰の基本シリーズ3)
全7シリーズ 各3回 月曜-水曜
「ある人に息子が二人いた。弟のほうが父親に、『お父さん、私に財産の分け前をください』と言った。それで、父親は二人に身代を分けてやった。」 (ルカによる福音書15章11-12節)
《聖霊の導き》 この物語には、父の農場で働く兄と弟が出てきます。弟はゆずり受けた財産を湯水のように使い果たして豚の世話をするまでに落ちぶれました。そんな自分に失望した時「我にかえった」(17節)のです。それは「聖霊」の働きでした。自己中心的な考えが聖霊の働きを邪魔していたのです。そして本来自分がいるべき父のもとへ帰ろうと思い立ちました。 《神の招き》 不安でしたが、家に向かって行く弟息子は、自分の方に駆けよってくる父の姿を見ました。神さまは私たちが駆けよる前に、駆けつけて来てくださるお方です(20節)。 《罪の告白》 「私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました」(21節)。人は誰もが罪人です。それを自覚して正直に自分の罪を神さまにさらけ出す時、その人は聖霊で満たされています。そして、赦された喜びを知り、人を赦せる者とされるのです。 《赦し》 「急いで、いちばん良い衣を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足には履物を履かせなさい」(22節)指輪はその家の者であるしるしであり、履物を履くことが赦されているのは家族だけでした。まさに「神の家族」の一員になることを赦されたのです。罪の赦しは神さまにしかできないことです。 《食卓の喜び》 「そして、祝宴を始めた。」(24節)父は弟息子のために、祝いの食卓を用意しました。神の家族とは、父の喜び(32節)を家族の喜びとすることです。そして、「救われる」とは神の子とされ、教会というという、神の家族に迎えられることです。礼拝では聖餐式があり、教会の集会では食事の交わりを大切にしています。 《比較する》 一方で、ずっと父のもとで真面目に働いてきた兄はこの食卓に来ません。戻って来た弟と自分を比較したのです。「私は何年もお父さんに仕えています」という律法主義。自分の価値を認めてもらいたい虚栄心が、「聖霊」の働きを阻んでいました。平凡な日々であっても、「子よ、お前はいつも私と一緒にいる」と言われる父なる神さまに感謝できた時、人は本当の自由を得ます。それは聖霊の働きによって得られるのです。
《祈り》主よ、私の自己中心的な考えや、驕り高ぶり、律法主義や虚栄心は聖霊の働きを弱めます。どうか謙遜な心を持てるようにしてください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「ある人に息子が二人いた。弟のほうが父親に、『お父さん、私に財産の分け前をください』と言った。それで、父親は二人に身代を分けてやった。」 (ルカによる福音書15章11-12節)
《聖霊の導き》 この物語には、父の農場で働く兄と弟が出てきます。弟はゆずり受けた財産を湯水のように使い果たして豚の世話をするまでに落ちぶれました。そんな自分に失望した時「我にかえった」(17節)のです。それは「聖霊」の働きでした。自己中心的な考えが聖霊の働きを邪魔していたのです。そして本来自分がいるべき父のもとへ帰ろうと思い立ちました。 《神の招き》 不安でしたが、家に向かって行く弟息子は、自分の方に駆けよってくる父の姿を見ました。神さまは私たちが駆けよる前に、駆けつけて来てくださるお方です(20節)。 《罪の告白》 「私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました」(21節)。人は誰もが罪人です。それを自覚して正直に自分の罪を神さまにさらけ出す時、その人は聖霊で満たされています。そして、赦された喜びを知り、人を赦せる者とされるのです。 《赦し》 「急いで、いちばん良い衣を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足には履物を履かせなさい」(22節)指輪はその家の者であるしるしであり、履物を履くことが赦されているのは家族だけでした。まさに「神の家族」の一員になることを赦されたのです。罪の赦しは神さまにしかできないことです。 《食卓の喜び》 「そして、祝宴を始めた。」(24節)父は弟息子のために、祝いの食卓を用意しました。神の家族とは、父の喜び(32節)を家族の喜びとすることです。そして、「救われる」とは神の子とされ、教会というという、神の家族に迎えられることです。礼拝では聖餐式があり、教会の集会では食事の交わりを大切にしています。 《比較する》 一方で、ずっと父のもとで真面目に働いてきた兄はこの食卓に来ません。戻って来た弟と自分を比較したのです。「私は何年もお父さんに仕えています」という律法主義。自分の価値を認めてもらいたい虚栄心が、「聖霊」の働きを阻んでいました。平凡な日々であっても、「子よ、お前はいつも私と一緒にいる」と言われる父なる神さまに感謝できた時、人は本当の自由を得ます。それは聖霊の働きによって得られるのです。
《祈り》主よ、私の自己中心的な考えや、驕り高ぶり、律法主義や虚栄心は聖霊の働きを弱めます。どうか謙遜な心を持てるようにしてください。
牧師 和田一郎
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