【聖餐について③】(信仰の基本シリーズ6)

全7シリーズ  各3回 月曜-水曜
「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してそれを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これは私の体である。』また、杯を取り、感謝を献げて彼らに与え、言われた。『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される、私の契約の血である。』」 (マタイによる福音書26章26-28節)
 聖餐はイエスさまの十字架刑にかかる前日の、最後の晩餐の席で定められたものです。「聖餐」と「洗礼」の二つが新約聖書の聖礼典で、旧約聖書の聖礼典である「割礼」と「過越しの祭」から、神の恵みのしるしとして新たに定められました。 聖餐式に使われるパンとぶどうは、あくまでもパンとぶどうであってそれ以上のものではありませんから、パンとぶどう自体をキリストの体として崇拝するものではありません。イエスさまの贖いと死と復活を霊的に想起する手段です。 口にする時は、自らをよく吟味し、私たちのために命を捧げて今も愛してくださる主への感謝をもって、イエスさまの臨在を味わうのです。時に自分の罪深さや至らなさから、聖餐に与る資格がないと遠慮する方がいますが、それは個人で決めることではなく、聖餐を通して霊的な養いと成長の手段として整えていただくものです。  私は聖餐式において、パンとぶどう液の入った杯を持って「こちらをご覧ください」と促します。それは、復活の主が今も現実に臨在され、会衆と共にいてくださることを、心の中だけではなく、現実にある目の前のパンと杯をとおして受け取っていただくためです。 イエスさまと12人の弟子たちは最後の晩餐によって一つに結ばれました。キリストとの一致、弟子たちの一致が教会を築いていったように、聖餐式は主に繋がる兄弟姉妹が、一つに結ばれるという一体性があらわされます。世代や意見、価値観の違う信徒同士が恵みの食卓で一つになれることを現わしているのです。この一致についても観念的なものではなくて、聖餐を通して、より具体的に「聖徒の交わり」(ホーリーコミュニオン)が教会を建て上げていくことを表しています。
《祈り》私たちの主イエスさま、復活の主が今も私たちの中で共にいてくださり感謝いたします。あなたは今も私たちの為に食卓を用意してくださいます。あなたの招きに感謝いたします。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/