【キリストについて③】(信仰の基本シリーズ3)

(全7シリーズ  各3回 月曜-水曜)
「私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのだ。」 (ヨハネによる福音13章15節)
 聖書には、イエスさまが私たちに求めているキリスト者としての生き方が記されています。私たちが迷い悩む時、模範となる方がイエス・キリストです。「こんな時にイエス様ならどのようにするだろう?」キリストに倣うことが、キリスト者としての在り方です。 【寛容になろう】イエス様は失敗した人を見捨てませんでした。嫌われ者を受け入れました。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはいけない。」(ヨハネ書8:11)イエス様は、敵対関係にあった律法の学者ニコデモとも語り合い寛容な姿勢を貫かれました。 【小さな者に寄り添おう】イエス様は生涯を通して、世間から見放されていた病人や障害をもった人に心を開いて寄り添いました。「この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである。」(マタ 25:40)と小さな者に寄り添うことを求めておられます。 【仕えさせる者でなく仕える者になろう】神の独り子であるイエス様が、この私たちに仕えて下さり、私のためにご自分の命を献げて下さった、その愛に応えてたいのです。 「人の子は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マル 10:45)そして、受けるよりは与えるほうが幸いであると聖書は教えています。仕えることに喜びを見いだしていきましょう。 【つねに謙虚であろう】イエス様は、神でありながら自分を無にして、しもべとなって人間と同じ者になり、へりくだって十字架の死に至るまで従順な人生をおくりました。そして、私たちに「施しをするときは、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない。」と教えています。善行をするにしても、自分でも善い行いをしたことを知らないほど謙遜に生きるということです。相手からの報いを求めず、人からの評価を望まない謙遜に生きたキリストに倣いたいのです。 【自己犠牲をいとわない】イエス様は人間の罪を背負って十字架の死に向かわれました。それが人となって地上に来られた目的です。自分自身の喜びよりも他者の益を大切にするという美徳は、現代社会では自己を肯定する価値観の前に完全に否定されているようです。しかし、イエス様の献身的な姿勢に感謝し、それに倣うという教えは不変であり中核にある価値観なのです。
《祈り》神様、イエスさまは特別な方で模範にできるとは思えません。だからあなたに委ねます。あなたの力に支えられて、キリストに倣う者としてください。
牧師 和田一郎
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