不運も幸運も受けようではないか

「私たちは神から幸いを受けるのだから、災いをも受けようではないか。」 (ヨブ記2章10節)
 そろそろ車を洗車しようかと考えている時、「雨は降らないか?」と天気予報を気にしていたのに、洗車して早々に雨が降りだしたので「やられた!マーフィーの法則だ」と苦笑いをしました。マーフィーの法則とは科学的な根拠はないのですが、失敗する可能性があるものは失敗するという、多くの人々による経験談からなる出来事をまとめたものです。たとえば「トーストがテーブルから落ちた時、バターを塗った面を下にして着地する確率は、絨毯の値段に比例する。」「何かを捨てたいときに限ってゴミ箱がなかなか見つからない。」「急いでいる時に限って赤信号になる。」などです。では、すべてを知っていてくださる神様はそういった時に、どのように働かれているのだろうか?と気にし始めるときりがなくなります。 神さまは、悪人にも善人にも太陽を昇らせ雨を降らせてくださいます。晴れの日や雨の日が幸いなのか災いなのか、それはその人次第です。一つ一つ良し悪しを考える必要はありません。生活は不運と幸運の繰り返し、信仰で不運がなくなるわけではありません。不運が問題ではなく、不運に振り回されることが問題です。大切なことは大きな計画を持っていてくださる神さまを信頼することです。  ヨブ記2章には、神さまに忠実でどのような悲劇と苦難が襲ってきても、ただひたすらに神に信頼しきって生きるヨブの言葉が記されています。神さまが与えてくださるものに無駄はない。信頼する神さまから受けるものだから、幸いも、災いをも受けようではないかというヨブにとって、日々の運や不運は日常生活の一部です。主への信頼によって心に穏やかな平安がもたらされているのです。
《祈り》主よ、私たちは罪深く、気まぐれで、感情に流されます。そのような自分や他人を信頼すべきでしょうか?いいえ、私の頼りは、ただあなたにあります。変わらぬ愛で、万事を益としてくださる主を信頼いたします。
牧師 和田一郎
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