【人間と罪について②】(信仰の基本シリーズ3)
全7シリーズ 各3回 月曜-水曜
「女が見ると、その木は食べるに良く、目には美しく、また、賢くなるというその木は好ましく思われた。彼女は実を取って食べ、一緒にいた夫にも与えた。そこで彼も食べた。」 (創世記3章6節)
人間は、神さまの恵みによって造られエデンの園で生かされていましたが、残念ながら神さまの信頼を裏切り、命令を守らず人間に罪の性質が入りました(創世記3:6)。これによって死ぬ者となり、生まれてくるすべての人間に罪の性質が入っています。これを「原罪」といいます。 「罪」というのは罪を犯したからではなく、性質として持っているものです。命令に背いて、神のように自分で善悪を判断できる者になろうとしたアダムとエバが犯した「罪」は、人間の性質としてすべての人間がもっています。この人間の罪の性質ゆえに、人が人を傷つけ、弱い人をいじめし、貧困に無関心となり、戦争や紛争によって多くの人々の命を消し去ってしまうのです。こうしたことのすべてが、神さまが私たちに期待されている生き方からズレている、つまり「的外れ」なのです。(「罪」はギリシャ語で「ハマルティア」、もともと「的外れ」を意味します) 罪の根源的な問題は、神を神として認めないことです。最も尊重しなければならない神さまよりも他のものを頼りにすることが罪の根源です。十戒の第一戒には「あなたには、私をおいてほかに神々があってはならない。」(出エジプト20:3)とあります。つまり、神さま以上に他のものを尊重することは、すべて偶像崇拝(偽物を拝むこと)になるのです。自分の願望、仕事、恋愛、趣味などは、神さまの御心を尊重しながら考えるべきもので、神さま抜きで、それらを優先するならば、神を神として認めない偶像崇拝の罪なのです。 神さまは愛なる方ですが、同時に聖く正しい方です。ですから、罪を罰しないままにされることはありません。私たちに罰を与えることによって、罪に気づかせ、そこから離れさせ、神に立ち返ることを望んでいるのです。人間は罪深いですから、自分で自分を救い出すことは絶対にできません。人間の罪のために十字架にかかって帳消しにしてくださったイエス・キリストの救いに頼るしかないのです。ですからイエスさまを信じて、神さまの言葉に従い、神さまとの良い関係を保つことが、人間本来の生き方なのです。
《祈り》神さま、私を憐れんでください。私の問題は、私がどれだけ大きな罪を、あなたに赦されているのか、分かっていないことです。何か善い行いをして、罪を帳消しにできると思っていたのです。私の赦しは、ただキリストの十字架にあります。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「女が見ると、その木は食べるに良く、目には美しく、また、賢くなるというその木は好ましく思われた。彼女は実を取って食べ、一緒にいた夫にも与えた。そこで彼も食べた。」 (創世記3章6節)
人間は、神さまの恵みによって造られエデンの園で生かされていましたが、残念ながら神さまの信頼を裏切り、命令を守らず人間に罪の性質が入りました(創世記3:6)。これによって死ぬ者となり、生まれてくるすべての人間に罪の性質が入っています。これを「原罪」といいます。 「罪」というのは罪を犯したからではなく、性質として持っているものです。命令に背いて、神のように自分で善悪を判断できる者になろうとしたアダムとエバが犯した「罪」は、人間の性質としてすべての人間がもっています。この人間の罪の性質ゆえに、人が人を傷つけ、弱い人をいじめし、貧困に無関心となり、戦争や紛争によって多くの人々の命を消し去ってしまうのです。こうしたことのすべてが、神さまが私たちに期待されている生き方からズレている、つまり「的外れ」なのです。(「罪」はギリシャ語で「ハマルティア」、もともと「的外れ」を意味します) 罪の根源的な問題は、神を神として認めないことです。最も尊重しなければならない神さまよりも他のものを頼りにすることが罪の根源です。十戒の第一戒には「あなたには、私をおいてほかに神々があってはならない。」(出エジプト20:3)とあります。つまり、神さま以上に他のものを尊重することは、すべて偶像崇拝(偽物を拝むこと)になるのです。自分の願望、仕事、恋愛、趣味などは、神さまの御心を尊重しながら考えるべきもので、神さま抜きで、それらを優先するならば、神を神として認めない偶像崇拝の罪なのです。 神さまは愛なる方ですが、同時に聖く正しい方です。ですから、罪を罰しないままにされることはありません。私たちに罰を与えることによって、罪に気づかせ、そこから離れさせ、神に立ち返ることを望んでいるのです。人間は罪深いですから、自分で自分を救い出すことは絶対にできません。人間の罪のために十字架にかかって帳消しにしてくださったイエス・キリストの救いに頼るしかないのです。ですからイエスさまを信じて、神さまの言葉に従い、神さまとの良い関係を保つことが、人間本来の生き方なのです。
《祈り》神さま、私を憐れんでください。私の問題は、私がどれだけ大きな罪を、あなたに赦されているのか、分かっていないことです。何か善い行いをして、罪を帳消しにできると思っていたのです。私の赦しは、ただキリストの十字架にあります。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/

