【人間と罪について③】(信仰の基本シリーズ3)

全7シリーズ  各3回 月曜-水曜
「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 (ヨハネによる福音書8章7節)
《人を裁くという罪》  姦淫の現場で捕まった女性をイエス様の前に連れてきた律法学者の目的は、「イエスを試して、訴える口実を得るため」(6節)でした。彼らにとって不都合な存在になった、イエス様をおとしいれようとしたのです。イエス様が女に「罪がある」と言えば、それまで神の愛を語ってきたことが偽善になる。「罪はない」と言えば姦淫の罪を定めた律法違反だと責めることができるからです。人には何かに快感を感じることがありますが、人の弱点や欠点を指摘することに喜び、人を裁くことに酔うという「罪」があります。それが集団になったとき、その裁きはエスカレートします。人の失敗に寄り添うよりも、その人間の間違いを徹底的に追及するのです。姦淫の罪で捕まった女性を連れて来た律法学者たちは、「この女ほど悪い罪を犯していない」と、自分の罪を棚に上げて、人を裁くことに熱中したのです。 《すべての人が罪人である》  イエス様は彼らに「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われました。もしここでイエス様が「彼女よりも正しく生きている者は・・・」と言ったなら、石を投げる人はいたでしょう。人は人と比べて自分の方がましだと見ると、優越感から人を裁こうとします。しかし「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が・・・」と言われた時、人との比較ができない彼らは何もできませんでした。自分の中に罪がないとは言えない、すべての人に罪があることを認めざるを得ませんでした。 《赦しはイエス・キリストだけ》  人々は立ち去っていき、女性だけが一人残りました。彼女は「ああ助かった」と逃げ去ることもできたでしょう。しかし、彼女は一人残ったのです。人の罪を赦すことができるのはイエス様だけです。 この地上にイエス様が来られた目的は「私もあなたを罪に定めない」と、罪人に赦しを与えるためでした。そして、私たちは「行きなさい。これからは、もう罪を犯してはいけない。」というイエス様の声に従って人生を歩んで行くことができます。日々、この「行きなさい、罪を犯さない一日を歩みなさい」という言葉に押し出されて一日をスタートすることができるのです。
《祈り》主よ、私は礼拝します。あなたの前にひとり立ちます。赦しをいただくために。
牧師 和田一郎
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