【聖霊と教会について①】(信仰の基本シリーズ3)

全7シリーズ  各3回 月曜-水曜
「聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』と言うことはできません。」 (コリントの信徒への手紙一12章3節)
 私たちの信じるまことの神さまは、三つのちがった位格をもちながら、本質は一つです。「父なる神」、「子なるキリスト」「助け主なる聖霊」という三位一体の神です。聖霊は天地創造の時にも働かれていました。「地は混沌として、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」(創世記1:2)。何もない混沌とした世界から美しい自然を造り、今も満ちています。 さらに「神である主は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれた。人はこうして生きる者となった」(創世記2:7)とあるように聖霊の息吹を吹き入れられたことによって人は生きる者とされました。 私たちが神さまを信じることができるのは、聖霊なる神さまのわざです。自分の意思で「神さまを信じよう」と確信するときも、じつは聖霊なる神の導きが背後にあり、神さまを信頼して生きていく信仰生活を支えているのは聖霊の働きにあるのです。 しかし、人が自分自身の知恵や力を誇って高ぶる時、聖霊の働きを弱めてしまいます。聖霊の働きの実である愛、寛容、善意が薄れてしまいます(ガラテヤ5:22)。へりくだって謙遜になる時、聖霊は強く働かれる。謙遜であることと聖霊の働きは結びついているのです。モーセはエジプトの王宮にいた時は、驕り高ぶりがありましたが、羊飼いとされて「謙遜」を身につけると、聖霊に満たされイスラエルの民のリーダーとして神さまに用いられました。 これらのことが書かれている聖書は「聖霊」に導かれて人間が書いたものです。人間が聖書を書きましたが、彼らが書いた聖書の言葉は聖霊が働きかけて書かれた、神の言葉そのものです(2テモテ3:16)。  そして、聖霊はキリスト者に働きかけて、私たちをキリストに似た者へと変えていきます。それは画一的な人間を造るのではなく、それぞれの人格や個性を生かして、キリストに似た者にしてくださるのです。(ヨハネ書14:16) 私たち人間は土の塵で造られました。いつかまた塵にかえるだけの存在でしたが、父なる神さまはイエス・キリストと出会わせ、聖霊という永遠の命の息を吹き入れてくださいました。聖霊によって「キリストに似た者」という、その人の本来あるべき姿に近づけてくださり、生きる意味を与えてくださるのです。
《祈り》聖霊なる神よ、どのように祈っていいのか分からない私を強めて、言葉にできない心の呻きを聞いて、告白させてください。私を命の息吹で満たしてください。
牧師 和田一郎
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