罪の告白

「『ラザロ、出て来なさい』と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、『ほどいてやって、行かせなさい』と言われた。」 (ヨハネによる福音書11章43-44節)
 「藤沢?隣の町に潜んでいたんだ・・・」「連続企業爆破事件」という昭和のテロ事件に関与して重要指名手配になっていた男が死んだという。藤沢市の工務店で住み込みで働き、銀行の口座を持っておらず、給料は現金で受け取っていた。免許証もない、健康保険証もないので自費で診療を受けていたが、1年ほど前から胃がんで入院していたところ、突然「私は桐島聡だ」「最期は本名で迎えたい」と言い、数日後に亡くなった。逃亡生活49年、自首すれば、もう少し幸せな人生だったのではないかとも思う。いったいどんな思いで生活していたのだろう? ドストエフスキーの『罪と罰』を思い出してしまった。金貸しの老婆を斧で殺して良心の呵責に苦しむ主人公を悔い改めに導いたのが娼婦のソーニャであった。主人公の男に頼まれてソーニャが読んだ聖書の箇所がラザロの復活である。 彼女は貧しい家庭に育って、娼婦になるしかなかった。彼女は一度身を滅ぼした、一度死んだ。だがラザロの復活を信じることでキリストに命を与えられたのである。そして、ソーニャは「ラザロ、出て来なさい」というキリストの愛を信じて、殺人者である主人公を更生へと導いていく。一度死んで、罪赦されて、新しい命を生きていく物語。主人公は自首してシベリアの監獄で生活するが、その枕元には聖書があった。 ヨハネ福音書11章は、ラザロという男が死んで墓に葬られていたが、イエスさまの呼びかけで復活して出てきたという話です。「ラザロ、出て来なさい」という愛に満ちた大きな声が、死の力に勝利しました。生き返ったラザロの人生は新しいものとなりました。死んでいた人が復活し、新しい命を生き始めた。イエスさまが来て下さり、出会ってくださることによって、そういうことが私たち一人ひとりにも起るのだということです。 ドストエフスキーのエピローグの言葉 「一人の人間がしだいに更生していくものがたり、その人間がしだいに生れ変り、一つの世界から他の世界へしだいに移って行き、これまでまったく知らなかった新しい現実を知るものがたりである。」(『罪と罰』工藤精一郎 訳)
《祈り》主よ、あなたに私の罪を告白します。人目を忍んで隠してきたことがあります。認めたくなかったのです。しかし、自分に嘘をつき続けることに疲れました。あなたにしか扱えないことです。私はその罪に死にたいのです。そして復活の主を信じます。
牧師 和田一郎
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