【礼拝について】(信仰の基本シリーズ6)

全7シリーズ  各3回 月曜-水曜
「安息日を覚えて、これを聖別しなさい。六日間は働いて、あなたのすべての仕事をしなさい。しかし、七日目はあなたの神、主の安息日であるから、どのような仕事もしてはならない。あなたも、息子も娘も、男女の奴隷も、家畜も、町の中にいるあなたの寄留者も同様である。主は六日のうちに、天と地と海と、そこにあるすべてのものを造り、七日目に休息された。それゆえ、主は安息日を祝福して、これを聖別されたのである。」 (出エジプト記20章8-11節)
 なぜ、日曜日があるのでしょうか?旧約聖書には、六日働いて七日目を安息日とするようモーセの十戒で定められています。これが一週間の起源です。人間が肉体的にも霊的にも休める真の安息というのは、神さまと向き合うことでなりますから、安息日と礼拝は深く関連しています。礼拝をあらわすへブル語の一つに「カーハール」があり「集まる」という意味があります。それは「出会い」という意味も含んでいます。人と人とが出会い、そして何よりも神との出会いが礼拝です。 「神との出会いとは、私たちが町内の知人と街角で出会って『やあ、こんにちは。元気ですか』という程度の出会いではありません。アブラハムの全生涯が示すように、それは「神ご自身の顕現 (あらわれ)」「召命、または招きと選び」「決断と服従」「罪の告白と赦し」「み旨の告知」「祝福の約束」「信頼の告白」「感謝と献身」「使命への旅立ち (派遣)」などをひき起こすところの火花を散らすような対話の連続です。」(『礼拝を豊かに』今橋朗) 旧約聖書の時代のイスラエルは、週の終わりの土曜日を安息日として厳守していました。しかし、イエスさまが十字架に架かられて、三日後の日曜日に復活されてから、週の最初の日の日曜日を「主の日」として守るようになりました。信仰生活の中心は主日共同の礼拝です。週の最初の日に礼拝をして、礼拝において生活の場へ六日間派遣され、次の日曜日に神さまに招かれて、礼拝をとおして「なぜ生きるのか、いかに生きるのか」、その意味を与えられるのです。
《祈り》主よ、毎週の主日において、御言葉と礼典をとおして神さまとの出会いを体験できます。礼拝には赦しがあり、癒しがあり、喜びがあります。疲れた心と身体が、礼拝において生きる意味を与えられる、その恵みに感謝します。
牧師 和田一郎
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