【洗礼について】(信仰の基本シリーズ6)

全7シリーズ  各3回 月曜-水曜
「口でイエスは主であると告白し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。」 (ローマの信徒への手紙10章9節)
 洗礼は聖餐と並んで、キリストによって制定される新約聖書の聖礼典です。旧約聖書の聖礼典である割礼と過越しの祭から、神の恵みのしるしとして新たに定められました。人は自分の罪を悔い改めて、イエスさまを信じた時、聖霊の働きによって新しい者へと生れ変わります。洗礼式で頭に注がれる水は、聖霊の具体的な象徴です。 そして、神さまが行われた霊的な出来事を形にあらわすために、会衆の前で口で告白するのです。それは「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」(マタイ18:20)とあるように、きわめて共同体的(教会的)な行為です。洗礼を受ける者は共同体(教会)に加えられるのです。  洗礼を受けるためにもっとも大切なことは「私は罪人です。この罪を赦してください。イエス・キリストを救い主として信じて、従っていきます」と告白することです。そして、「あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です。」(1コリント12:27)とあるように、教会はキリストの体です。受洗して教会員になるということは、そのキリストの体に加わることです。その人は手、足、目、耳といった体の大切な器官のように用いられます。  洗礼を受けても以前と変わったという実感がないと言う人がいます。自分の感覚においてはそうでしょう。しかし、ローマ書には「信じるなら、あなたは救われる・・・」とあります。信じるというのは自分の感覚を捨てて、神の力を信じることです。神さまは人を変える力をもっています。洗礼を受けた者は聖霊が働き、その内にキリストが宿り、新しい者へと変えられていきます。 「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)
《祈り》神さま、洗礼を受けたあとも、罪の性質が残る私がいます。どうか罪を犯す誘惑に負けないように、内に住んでおられるキリストに強く結び合わせてください。イエスさまにとどまり続ける信仰を与えてください。
牧師 和田一郎
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