神を知る二つの道

「そればかりか、私の主イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさに」(フィリピ3:8)
 数年前、ローマ法王が語ったクリスマスメッセージで「自らを批判し、バチカンは病気だ」と語って、十五にわたる「今のバチカンが患っている病い」について語られました。 新たな宗教改革が始まるのではないかという予感を与えるのもさることながら、それは両刃の剣、法王の語る一つひとつの病は、プロテスタント教会にも当てはまることのように感じました。 その六番目に「精神的な認知症」という病気がありました。その症状は「神との出会いを忘れる」といこと。クリスチャンとして生きている以上、神をもっと知りたいという願いがあるはずなのですが、それを忘れてしまった者がいるというのですから。 私たちはどうでしょうか?なぜ、信仰を持っているのでしょうか。なぜ、日曜日には礼拝するのでしょうか。それは、そのことによって、神さまとの出会いを経験し、神さまをもっと知りたい、神さまに知られ愛されていることをもっと知りたい、そうしたクリスチャンならではの願いが、私たちの内側にあるからだと思います。 神さまについて知ることとは、神についての知識を得ることです。聖書を学び、信仰書や神学の本をたくさん読むことを通して、神に関する知識を蓄えることは可能です。でも神に関してたくさん知っていても、その人が神さまに喜ばれる人に変えられているかどうかは別問題です。  では具体的にはどうしたらよいのでしょうか。一つは、神の「自己紹介の書」である聖書を通し神さまは私たちに語りかけてくださるので、その語りかけてくださる神さまの御前にとどまり神さまとゆっくりと会話をすることです。 そしてもう一つは、神さまの前に一日の出来事を振り返ること、様々な出来事を通して語りかける神さまに聞くことです。 この二つ、とても大切なことです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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