人生は美しい

「主にあっていつも喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」 (フィリピの信徒への手紙4章4節)
 幼い息子をもつ父にとって映画『ライフ・イズ・ビューティフル』は涙なくして見られない物語です。第二次世界大戦前、ユダヤ系イタリア人の陽気な男性グイドは、美しい小学校教師と結婚し、息子ジョズエも生まれ家族は幸せな日々を送ります。しかし、ナチスドイツのユダヤ人迫害によって3人は強制収容所に連行されてしまう。母と引き離されて怖がる息子に、父は悲惨な現実を悟られないよう、ひたすら陽気に振る舞いながら嘘をつき続けるのです。「これはゲームなんだ!泣いたり、ママに会いたがったりしたら減点。いい子にしていれば点数がもらえるぞ・・・」。現実は絶望的な収容所の生活でしたが、父の必死に陽気を装った話術にかかると楽しいゲームに様変わりしたのです。ナチスが撤退する混乱の中で父と息子は逃げようとしますが、父のグイドは捕まってしまう。ゴミ箱の中に隠れていた息子を怖がらせないように、父は息子にウインクし、背中に銃を突きつけられてもまるで喜劇の主人公のようにジョズエの前を戯けて通りすぎるのですが・・・。 成長したジョズエは、父が命を捧げて贈り物をしてくれた「これが私の物語である」と物語を終えます。やるせないエンディングですが「人生は美しい」と思える映画です。  聖書には「いつも喜びなさい」と私たちに語られます。痛みや苦しみのあるこの世の中で、いったいどうやって喜べばいいんですか?と言い返したい思いもあると思います。 カール・バルトという神学者は「喜びは、苦しみや恨みに『それにもかかわらず』と言って待ったをかける、挑戦的なものだ」と言いました。自然に喜びがやって来るのを待っていても喜べません。今日喜べなかったら、いつまでたっても喜べないのです。 「喜びなさい」と呼びかけた使徒パウロは監禁状態の中から、苦難の只中にあるフィリピ教会に向けて手紙を書きました。どちらも苦難の中にいる人なのです。喜べない時にこそ、喜びなさいと言うのです。苦難は永遠には続きません。神さまは私たちの将来にも、またこの世界の将来にも、大きな報いを備えておられ希望の源となってくださるのです。使徒パウロは、その神さまを信頼して苦難の中にある人々が喜べるようになってほしい、喜ぶことができるようにと、「喜びなさい」と祝福の言葉を告げたのです。
《祈り》恵み深い神さま、私はあなたの恵みを頼りにしています。私の人生に光があたることを期待しています。あなたの御心のままに私に最善をなしてください。あなたが共にいてくださることを、私は喜びます。
牧師 和田一郎
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