収穫は多い
「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」 (ルカによる福音書 10章2節)
玄関先の庭にシソ(大葉)を植えたのは数年前。放っておいてもどんどん生えてくる。夏にはそうめん、冷ややっこなど、冷たい料理に合うので重宝する。次つぎと生えてくるので大量消費できるメニューを考え、ミキサーで刻んでパスタにからめると、見た目はバジルソース風になって、とても美味しい。梅と合わせるとさわやか。タラコとの相性も良い。さすが日本が誇る和製ハーブ。植えた後はほとんど何もしていないのに収穫できるのも便利。翌年は周りの雑草に混ざって別の株が増えている。もう我が家の消費量では追いつかない。収穫は多いが食べ手が少ないのです。 イエスさまは、宣教の旅の途中で、弟子たちを行く先々の町に派遣しました。イエスさまより一足先に行って、救い主が来られると告げたのでしょう。この時に派遣されたのは無名の七十二人です。二人一組になって派遣されました。彼らにむかって「収穫は多い」 つまり、神さまを信じて、救われる準備のできている人は多くいるということです。ここでイエスさまは「宣教」について教えています。私たちキリスト者は宣教する者たちです。なぜならイエス・キリストを模範としているからです。イエスさまの生涯はすべて宣教でした。神さまを伝え続けるという生き様でした。イエスさまは具体的に、人となってこの地上に来られ、十字架に架かられ、人間の罪の代価となってくださり父なる神さまとの和解の道を開いてくださいました。人を癒し、教え、子どもに微笑みかけ、過ちを叱ったり、議論もしました。そのすべてが宣教だったのです。このイエスさまを模範とするのがキリスト者です。 「キリストは決してこの歴史の世界、我々の現実とほどほどに接触するという生き方をなさったのではないのであって、歴史のただ中に、罪の現実の中に入り込まれたのですから、私たちもまたキリストにならう者として、この世のただ中に入っていかなければならない。これが私たちが十字架を負ってキリストに従うことであり、『受肉の信仰』を受け入れ、そして私たち自身の信仰が『受肉する』ということなのであります。それはこの世に対して、積極的に取り組むということを意味していると言わなければなりません。」(隅谷三喜男)
《祈り》宣教の主よ、あなたは収穫の実を豊かに育んでくださいました。人間の目では宣教など難しいと思ってしまいます。しかし、あなたが豊かな実りを備えて下さっていることを信じて、証しの使者として生活の場へと派遣してください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
玄関先の庭にシソ(大葉)を植えたのは数年前。放っておいてもどんどん生えてくる。夏にはそうめん、冷ややっこなど、冷たい料理に合うので重宝する。次つぎと生えてくるので大量消費できるメニューを考え、ミキサーで刻んでパスタにからめると、見た目はバジルソース風になって、とても美味しい。梅と合わせるとさわやか。タラコとの相性も良い。さすが日本が誇る和製ハーブ。植えた後はほとんど何もしていないのに収穫できるのも便利。翌年は周りの雑草に混ざって別の株が増えている。もう我が家の消費量では追いつかない。収穫は多いが食べ手が少ないのです。 イエスさまは、宣教の旅の途中で、弟子たちを行く先々の町に派遣しました。イエスさまより一足先に行って、救い主が来られると告げたのでしょう。この時に派遣されたのは無名の七十二人です。二人一組になって派遣されました。彼らにむかって「収穫は多い」 つまり、神さまを信じて、救われる準備のできている人は多くいるということです。ここでイエスさまは「宣教」について教えています。私たちキリスト者は宣教する者たちです。なぜならイエス・キリストを模範としているからです。イエスさまの生涯はすべて宣教でした。神さまを伝え続けるという生き様でした。イエスさまは具体的に、人となってこの地上に来られ、十字架に架かられ、人間の罪の代価となってくださり父なる神さまとの和解の道を開いてくださいました。人を癒し、教え、子どもに微笑みかけ、過ちを叱ったり、議論もしました。そのすべてが宣教だったのです。このイエスさまを模範とするのがキリスト者です。 「キリストは決してこの歴史の世界、我々の現実とほどほどに接触するという生き方をなさったのではないのであって、歴史のただ中に、罪の現実の中に入り込まれたのですから、私たちもまたキリストにならう者として、この世のただ中に入っていかなければならない。これが私たちが十字架を負ってキリストに従うことであり、『受肉の信仰』を受け入れ、そして私たち自身の信仰が『受肉する』ということなのであります。それはこの世に対して、積極的に取り組むということを意味していると言わなければなりません。」(隅谷三喜男)
《祈り》宣教の主よ、あなたは収穫の実を豊かに育んでくださいました。人間の目では宣教など難しいと思ってしまいます。しかし、あなたが豊かな実りを備えて下さっていることを信じて、証しの使者として生活の場へと派遣してください。
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